ヴィヴィアン・ウエストウッドってどんな人?|Vivienne Westwood

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みなさんこんにちは。
ブランド古着のKLDです。

今回は、イギリスを代表するブランド、Vivienne Westwoodのデザイナーであるヴィヴィアン・ウエストウッドさんってどんな人?というお話をしていきます。

2022年12月、新年を待たずにこの世を去ったという衝撃的なニュースが舞い込んできた彼女ですが、ブランドのイメージの通り、まさにパンクロッカーのような人生を駆け抜けた女性でした。

今回は、

  • Vivienne Westwoodってどんなブランド?
  • デザイナーの経歴
  • ヴィヴィアンを形作るもの

という形でお話していきます。

ブランドの事が改めて気になっている方、デザイナーについて意外と知らなかった!という方などにぜひお読みいただいきたい記事になっています。

Vivienne Westwoodってどんなブランド?

95AWコレクションより 引用firstview.com

引用Instagram @viviennewestwoodjapan

Vivienne Westwoodは、81年からランウェイショーをおこなっているイギリスのファッションブランド。

ブランドとしての歴史は更に前にさかのぼり、正式なコレクションとして発表されるその10年ほど前(1971年)から、ロンドンのショップで洋服が販売されていました。

70年代のパンクムーブメントを作ったブランドとして有名なのはもちろん、その後も独自のアヴァンギャルドでありながらエレガンスを感じさせるデザインで、世界中から愛されています。

現在の展開ラインは、

  • Vivienne Westwood Gold Label(メインのコレクションライン、パリコレで発表)
  • Vivienne Westwood Red Label(レディースのプレタポルテライン、ロンドンコレクションで発表)
  • Vivienne Westwood Man(メンズのプレタポルテライン、ミラノメンズコレクションで発表)
  • Anglomania(過去のデザインの復刻をおこなうカジュアルライン)

となっています。

ヴィヴィアン・ウエストウッドってどんな人?


引用Instagram @viviennewestwoodjapan

デザイナーであるヴィヴィアン・ウエストウッドは、1941年、イギリス中部のダービーシャーに生まれます。
5歳の頃には靴を作れるくらい才能があった、とは本人の談。

10代後半の頃にロンドンに移住。

1960年代、女性の職業の選択肢は決して現代ほど多くはなく、そんな中、画家を目指して美術学校に通っていました。
しかし、経済的に決して裕福でなかった彼女は学校に通い続ける事が難しくなり、退学。

その後、美術教師になるという事も視野にいれて教員養成学校に入り、教師を目指す傍らで画家になる夢も諦めずに絵を描き続けていました。

しかし、画家になる夢は叶わず、一旦は美術教師として社会人になることに。

社会人になって数年後、62年にデレク・ウエストウッドと結婚、その後出産を経験します。

本人曰く、とても安定した「アメリカン・ドリーム」そのもののような生活で、まさに「素敵な奥様」のようにヴィヴィアンは暮らしていたそう。
しかし安定している反面、知的好奇心の満たされない生活に辟易としたヴィヴィアンは、出産のあと、わずか3年ほどで離婚を決意。

その後、1965年にマルコム・マクラーレンと出会い、“パンクの女王”としての運命が動き始めたのです。

1971年、マルコムと共にロンドンに自分達の店をオープン。
最初は経営の苦しい店の半分のスペースを借りて、CDショップとしての営業だったそうです。


マルコム・マクラーレン 引用archive.ica.art

社会人生活時代に自分の服を作る事があったヴィヴィアンは、その店で自作の服を売り始めます。

そして1976年、マルコムがプロデュースし、ヴィヴィアンも衣装のデザイン等を担当したセックスピストルズがブレイク。
マルコムとの店もそれを期に人気店となり、ヴィヴィアンの作ったファッションを含めたパンクムーブメントが生まれる事となりました。


セックスピストルズ 引用nme-jp.com

その後、1979年にピストルズの解散、同時に店の閉店などを経験し、パンクムーブメントの最盛も終わりを迎えますが、店名を変えて店を再オープン。

ファッションブランドとしても、これまで作り上げたパンクファッションから徐々にパンクを根底に置いたハイファッションにシフトしていきます。
プライベートでは1981年、事実婚関係だったマルコムと離別。

ブランドとしては好調で、1983年にパリコレデビュー。
マルコムとは事実婚関係は解消したものの、ビジネス面ではパートナーとしてここまでやってきましたが、その関係もこの前後で解消されたといわれています。

その後資金面でのピンチや、デザインに対して世間の理解が得られない…など様々なことを乗り越えながら、近年は夫であるアンドレアス・クロンターラー氏と共にデザインを手がけ、ファッションブランドとして挑戦し続けていました。

しかし2022年12月、家族に囲まれながら永眠。
戦いの連続だった生涯に、幕を下ろしました。

ヴィヴィアン・ウエストウッドを形作るもの

ここからは、デザイナー「ヴィヴィアン・ウエストウッド」を形作る、様々な要素に触れていきたいと思います。

パンク精神


引用vogue.co.jp

ヴィヴィアンは「パンクの女王」と呼ばれるほど、デザイン的にも精神的にもパンクのイメージの強い女性です。

もちろんそれはマルコム・マクラーレンと共にセックスピストルズをプロデュースしていたから、というだけではなく、彼女の発言、生き方そのものに対する賛辞として“女王”と呼ばれているといえます。

パンクとはそのジャンルの音楽やファッションのことだけを指すのではなく、自分の納得できないことに対してしっかりと、自分の意志で反発の意思を示していく事だといえます。

ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性は、ファッションだけではなく、精神的にもパンクを体現した存在でした。

個人的にヴィヴィアンのパンク精神の目覚めを感じたエピソードとして、「幼少期にキリストの磔刑の絵画を見て人生が変わった」と彼女自身が語ったものがあります。

「キリストの絵を初めてみた時、その受難まで教えなかった両親に騙されたと思った」
「人は信用せず、自分で真実を見つけようと悟った」

聖人の受難にショックを受けた彼女は、人々が傷つけ合うのを止めるため、「騎士のように生きようと思った」と決意したそうです。


(参考)ルーベンス「キリストの磔刑(たっけい)」

どうすることも出来ない、やるせない出来事が起きたり辛い境遇になったとしても、自分の力でどうにかしていこう、という気持ちがパンク精神の根底にはあると考えられます。

このようにヴィヴィアンは、キリストの磔刑に衝撃を受けた幼少期から、自分の中に強い意志を持って生きていきた女性なのではないかと思います。

1度目の結婚をした時にも、「知的好奇心が満たされない」「世間のことを知りたい」という自分の心の声に従って離婚を決意。

現代よりも女性が離婚するという選択への厳しさは強く、また結婚生活が不幸だったわけではなく、絵に描いたような“幸せ”な家庭生活を送っていたにもかかわらず、その道を選んだというのはかなりの大きな決断といえます。

また、ヴィヴィアンは、服のデザインに意味やメッセージ性を持たせたがる傾向がある、と言われます。

これもやはり自分の主張をメッセージとして発信せずにはいられない、デザインを通して達成したい世界を持っているヴィヴィアンのパンク精神の表れではないかと思います。

美しいものを作り出したいという繊細な芸術家の感性と、世界を変えるために戦略的にファッションを利用しようとする革命家のような策略。

ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性の中に存在するこういった要素があってこそ、Vivienne Westwoodという稀有なブランドがその格好よさを保ったまま存在してきたといえるのではないでしょうか。

「パンク」とはただ派手な格好をして騒ぐだけではなく、既存の体制に反発する怒りがあり、そんな世界を変えたいという強い気持ちと、それをどう表現して賛同者を増やし、革命を起こしていくのか頭を巡らせることだと思います。

「嫌いだから破壊するの」

ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性の根底にはいつもこういったパンク精神があり、それが彼女の人生を彼女自身が切り開いてきた重要な武器だったことは間違いないでしょう。

インディペンデントな精神


「ワールズ・エンド」外観 引用fashionsnap.com

上述のパンク精神と通じるところもあるのですが、ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性は、徹底したインディペンデント(独立、自立)精神を持っています。

まず、Vivienne Westwoodはこの規模のブランドには珍しく、どこの大手の傘下にも入らず、独立した企業として経営をおこなっています。

例えば他の著名なファッションブランドは、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)やケリング、リュシモン…など、大手のグループ会社として傘下に入っていることが多くあります。

会社を存続させていくうえで大手の傘下に入る事は会社を安定させるうえで有効な戦略ですが、経営の舵を完全に握れなくなる等、いいことばかりではありません。

Vivienne Westwoodは、ヴィヴィアンが経営者として、デザインや経営戦略などにも積極的に舵を取っていました。

例えばVivienne Westwoodほどの規模になると、デザインだけではなく、様々な部門で仕事を振り分けて会社を動かしていきますが、ヴィヴィアン自身はあまり企業として大きくなりすぎることを危惧していました。

「会社が大きくなりすぎると手薄になる、それを望まない」と本人も言い、Vivienne Westwoodというブランドでヴィヴィアンの求めるクオリティを提供し続けるために、会社の規模感や社内の色々な部門の仕事に目を光らせることをずっと続けていました。

スタッフの製品理解には特に気を遣っており、ブランドの世界観を損なわないために口を酸っぱくしてスタッフに指示を出したりもします。

社内のマーケティング部門の仕事ぶりに納得がいかない時には、理解できるまで責任者に追及したり、店舗展開の際なども、海外に展開する店舗のデザインがブランドの世界観に合わないと判断すれば取りやめにすることも。

ヴィヴィアンの芯には「ブランドを自分の手で、自分の思う形で運営したい」という強い独立心がありました。

時には会社の成長とヴィヴィアンの思う方向性に折り合いがつかず、難しいと感じる時が多々あったと思うのですが、それでもヴィヴィアンはブランドを自分の思う形で運営していく事を諦めませんでした。

ヴィヴィアンを近くで見続けてきたCEOのカルロ・ダマリオ氏曰く、「自由のためには人の3倍働く」

ヴィヴィアンは、自分の足で立ち続けるために努力を惜しまない女性だったといえます。

不屈の精神

Vivienne Westwoodは今や世界的に知られる有名ブランドですが、ブランドがここまで来るには様々な困難がありました。

本当に生活が出来ないというような所までいく事などもあり、ヴィヴィアンはそんな障壁を超えてきた不屈の精神を持っているといえるでしょう。

例えば、Vivienne Westwoodが本格的にファッションブランドとしてコレクションを作り始めた頃、カルロ・ダマリオという敏腕セールスマンの目に止まり、ビジネス的な交渉を持ちかけられます。(カルロ氏は、前述のように現在はVivienne WestwoodのCEOとして共に仕事をしています)


カルロ・ダマリオ氏 引用numerorussia.ru

しかし有名ブランドで順風満帆と見えたVivienne Westwoodの内部は、資金難などでパンク寸前。
カルロ氏はその惨状に、ビジネスの話はなかった事にして逃げ出すか…とも考えたそうですが、ヴィヴィアンに協力することを決めます。

カルロ氏の協力によりブランド立て直しの計画が始まります。
イタリアでの服作りを始め、工場での生産なども出来るようになり、ヴィヴィアン自身もイタリアに引っ越し。

そしてカルロ氏の人脈を駆使し、ファッション界の帝王、アルマーニからの出資の約束を取り付けます。
この契約が決まればブランドは大きく躍進し、資金的に余裕が出来る予定でした。

しかし、実質的に既にブランドには関わっていなかったにも関わらず、共同経営者として名義を残していたマルコム・マクラーレンの邪魔によって、この契約の話がご破算になったという事件がありました。
デザイナーとして成功していくヴィヴィアンに対する嫉妬の気持ちなどがあったと言われています。

それによってイタリアでの生産は断念せざるを得ず、ヴィヴィアンは失業手当を受けるほどの状態に陥りました。

普通ならここまでいけばブランドを畳もうと考えるのも普通だと思いますが、ヴィヴィアンはロンドンに戻り、古いミシンで洋服の製作を再開したのです。

そして店舗を再オープン、ブランドの販売をロンドンからまた始める事となったのです。

また、その後ブランドが持ち直して世間に広まり出した時、エキセントリックな面のあるヴィヴィアンの服は、イギリスではなかなか受け入れられにくかったこともありました。

88年の「タイムマシーン」コレクションを発表した当時、あるテレビ番組にヴィヴィアンがゲストで呼ばれた際には、Vivienne Westwoodというブランドをバカにするように紹介されるなどの扱いを受けていました。


88AW「タイムマシーン」コレクションより 引用wwdjapan.com

コレクションを纏ったモデルが次々とスタジオに呼ばれ、司会の女性が「笑いを取るのが狙い?」とからかったり、「これは冬のコレクション?」と露出の多いスタイルを指してバカにしたようにヴィヴィアンに問いかけると、スタジオからは大爆笑の声が響きました。

ヴィヴィアンはあくまで冷静に対応しながら、「笑うなら次のモデルは出しませんよ」と言い、観客の反応に納得できない事を説明しますが、その意見は真面目に受け取られる事はなく、番組では終始ヴィヴィアンの作った服は笑いものにされていました。

そういった世間の嘲笑への怒りをバネにした…かどうかは分かりませんが、その後、90年にデザイナーオブザイヤーを受賞。
やっとヴィヴィアンの作る服が世間に認められはじめたのです。

しかし受賞を受けても尚、「信頼できないデザイナーだ」と酷評する声もあった中、なんと翌年の91年にもデザイナーオブザイヤーを受賞し、2年連続での受賞を達成します。

さすがに異例の2年連続受賞ともなればそれまでヴィヴィアンをバカにしていた世間も黙り、ヴィヴィアンは「自分が認められた事が嬉しい」と語りました。

このように、ヴィヴィアン・ウエストウッドという女性には、どんな逆境に陥っても挫けることのない、不屈の精神が備わっていたといえます。

ファッションデザインへの愛


引用banger.jp

デザイナーとして第一線から退いたと上述しましたが、アンドレアス氏に任せたゴールドレーベルのサポートや、レッドレーベルのデザイン等には引き続き主導権を握り、ヴィヴィアンはデザインをおこなっていました。

出来上がったコレクションをモデルに着せながら、気に入らない仕様に「F××K」「ゴミみたいで大嫌いよ」など、納得のいかないデザインは徹底的に修正を要求。並々ならぬ熱量を感じます。

しかしその反面、自分で作ったコレクションを眺めながら
「どの服も残念ね」
「(もう辞めどきだ、と夫に言われて)私も辞めたいわ、来シーズンもやる気だったのに、なぜ出来が悪いかわからない」

など、自信をなくしてしょんぼりする事も。

痛々しいまでに感情を上下させてコレクションを作っていく様は、ヴィヴィアンが1人のデザイナーとして、デザインに対して真剣に取り組んでいることが感じられます。

妥協した製品を作りたくないという信念があり、デザイナーとして目が行き届かない規模感だと感じたら、製品を減らすという選択をする事も。

Vivienne Westwoodほど会社としての規模感があり、アンドレアス氏という第二のデザイナーが存在しているにもかかわらず、デザイナーとしてブランドに真剣に向き合うことを決して辞めずにいる姿は、ヴィヴィアンのファッションデザインへの愛を感じられます。

夫との共作


アンドレアス氏とヴィヴィアン 引用thetimes.co.uk

Vivienne Westwoodの創業者でありデザイナーであるヴィヴィアンは、夫であるアンドレアス・クロンターラーと共同でブランドのデザインをおこなっています。

2人は1993年に結婚。
アンドレアスはヴィヴィアンよりもなんと25歳年下のオーストリア人男性で、出会いはヴィヴィアンが教鞭をとっていた学校で、彼は生徒でした。

2人は本当に仲が良く、張り詰めた緊張感の中でコレクションについて打ち合わせているかと思えば、衣装を揃えて2人で撮影をしている際などはとてもリラックスした様子で楽しそうにしたりなど、とても良いパートナーといった雰囲気。

「彼女の全てが好きだ、ヴィヴィアンの匂いも髪のスタイルも、小柄な体の隅から隅まで」

と、アンドレアスが語るほどの仲睦まじさ。

ヴィヴィアンも、

「彼に賛辞を送るわ、1人の時間と同じくらい彼との生活が好き」

と語るように、お互いの人生にとってなくてはならない関係性のようです。

公私共にパートナーである2人は、仕事も半々くらいで分担しておこなっているそう。

アンドレアスはただヴィヴィアンのサポート的な立ち位置というわけではなく、デザイナーとしての力量も確かで、「Vivienne Westwood MAN」というメンズラインを任されてデザインを担当。

その後の2010年代以降も、パリコレ参加のゴールドレーベルを、「アンドレアス・クロンターラーfor ヴィヴィアンウエストウッド」という形で担っています。

なんでもヴィヴィアンが教鞭をとっていた頃、アンドレアス氏を含む数名の教え子をブランドのショーに招待した時、コレクションを見たアンドレアス氏は大胆にも「改善点がある」とヴィヴィアンに言ったそう。
(ヴィヴィアンには資金面での不安から、教職とブランド運営の二足の草鞋を履いていた時代があったそうです。)

その後、アンドレアス氏はそのまま次のコレクションを手伝うことになり、スタジオに寝泊まりしながらブランドについて理解を深め、本格的にVivienne Westwoodを手伝うことに。

デザインについての具体的な指示を出すアンドレアス氏に古くからのスタッフは当初、難色を示したようですが、そのデザインのセンスの良さに徐々に受け入れられていったようです。

時を経て、コロナ禍でも2人の仲の良さは健在で、イギリス全土のロックダウン中に発表されたヴィヴィアンの写真は、スタイリング、ディレクション、撮影…等全ての工程を2人で担当しておこなったそう。

ロックダウン中に撮影されたヴィヴィアンの写真 引用fashionsnap.com

程よくリラックスした雰囲気が伝わるヴィヴィアンの表情は、撮影の際の空気感が感じられるようで微笑ましいと同時に、ロックダウン中の限られた条件の中でも素晴らしいものを作る事ができるという2人のクリエイティビティの高さも感じる事ができます。

ヴィヴィアンとアンドレアス氏は、夫婦として、2人のクリエイターとして、お互いに支え合ってVivienne Westwoodというブランドを作り上げてきた事は間違いありません。

環境活動家として


環境保護団体と共に北極を視察するヴィヴィアン 引用banger.jp

ヴィヴィアンのもう一つの顔として、熱心な活動家としての側面はよく知られています。
積極的にデモなどに参加し環境保護を訴えており、持ち前のパンク精神を発揮しています。

ヴィヴィアンのこうした運動は2010年以降に顕著で、活動に目覚めたきっかけとして、環境破壊によって地球の人口が10億人まで減る懸念がある、という記事を読んで衝撃を受けたことを挙げています。

そこから環境問題に大きな関心を寄せるようになり、人類、地球のために何が出来るか考えるようになったそうです。

派手なデモ活動も多数おこなっており、時には戦車に乗って当時のイギリス首相ジェームズ・キャメロン宅前で抗議デモをしたり、巨大な鳥篭に入って抗議をおこなったりしています。


戦車でのジェームズ・キャメロン宅デモの際の写真 引用vogue.co.jp


巨大な鳥籠に入りながらの抗議活動 引用vogue.co.jp

“CLIMATE REVOLUTION”(気候革命)というスローガンをアイテムにプリントしたり、ブランドとしても環境保護について発信。

このように近年のヴィヴィアンはもっぱら環境保護活動に注力しており、ファッションブランドとしてVivienne Westwoodが毎シーズン新しい服を作り続けるという事と、それ自体が環境保全の立場からすれば矛盾している…という相反する価値観に時には悩みながらも、ヴィヴィアンなりに可能な方法で環境保護を訴えていました。

「もし買うお金があるのなら、私から何か買ってください。ただ、あまり買いすぎないようにね。」

ヴィヴィアンは自身のブランドについてこのように発言し、必要なものだけを購入して使う事を推奨していました。

ここまで読んでくださった方へ

ここまで呼んで下さり、ありがとうございます。

ヴィヴィアンウエストウッドとはどのような人物だったのか?についてお話させていただきました。

2022年、惜しまれつつもこの世を去ったヴィヴィアン。
その生涯は様々な戦いの連続で、持ち前のパンク精神で彼女はそれに果敢に挑戦し続けていました。

尚、今回の記事はドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」を大きく参考にさせていただいております。
とてもいい映画なので機会があればぜひご覧ください。

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