デザイナー皆川明ってどんな人?【ミナペルホネンの源】


こんにちは!ブランド古着専門店のKLDです。

今回はミナペルホネンのデザイナー 皆川明さんをご紹介していきます。

幅広い世代から愛されるブランドであるミナペルホネン。
流行を追わずに、長く使うことのできるテキスタイルを提案し続けている背景にはどのような想いがあるのでしょうか。

少年時代は陸上に明け暮れていた皆川さん。
意外な経緯でファッション業界に足を踏み入れることになります。

この記事ではデザイナーの歴史を紐解きながら、その人物像に迫っていきます。

【はじめに】皆川 明の精神「せめて100年」

皆川さんはせめて100年はつづけたいという思いからミナペルホネン(当時はミナ)をスタートしました。

老舗と呼ばれるブランドの成り立ちを振り返ってみると、初代の人が全てを築いたわけじゃありません。
何代にもわたって築き上げてきた先に、今のブランドの姿があります。

時間が足りないのであれば、自分の人生より先の人に託していけば、いつかはできるかもしれない。
「せめて100年」という志はここからきているそうです。

ブランド名を決めた時、自分の人生の時間だけでは足りないのだから、自分の名前を立てるのは違うと思い、愛着を持っている国の言葉から選ぶことにしたんです。そして、僕が好きで何度も足を運んでいるフィンランドの言葉で”私”を意味する”ミナ”に行き着きました。
これなら、作る人にとっても着る人にとっても私の服ということになるし、いろんな人が受け継ぎやすいと思いました。
HELLO!! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。p.128

デザイナー 皆川明について

皆川明
PASS THE BATON INTERVIEWより出典

人物像を紐解く前に、簡単なプロフィールをご紹介しておきます。

プロフィール

1967年 東京都大田区に生まれる
1987年 文化服装学院服飾専門課程Ⅱ部服装科に入学
1989年 文化服装学院を卒業後、大西和子のメーカー「P・J・C」などに勤務
1995年 自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。東京・八王子にアトリエを構える
1999年 アトリエを阿佐ヶ谷に移す
2000年 アトリエを東京・白金台に移し、初の直営店をオープン
2003年 ブランド名を「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に改名。フリッツ・ハンセン社とのコラボレーションで、「minä perhonen」の生地をまとった家具、エッグチェア、スワンチェア、セブンチェアを発表
2004年 パリ・コレクションに進出
2006年 デンマークのテキスタイルメーカー「KVADRAT(クヴァドラ)」より、自身がデザインする生地が発売される
2007年 京都に2店舗めとなる直営店をオープン
2012年 東京スカイツリー®のユニフォームデザインを手がける
2014年 経年変化を楽しめるようデザインされたインテリアファブリック「dop」を発表

ここからはファッション業界へと進むきっかけやデザイナーとしてのルーツ、こだわりを4つのポイントでお伝えしたいと思います。

ファッション業界へと進む道のり

皆川さんは、少年時代はごく普通のサラリーマン家庭で育ちました。

中高で陸上競技に夢中になります。
小柄で線の細い体型でしたが、指導の先生のおかげで長距離選手として活躍します。
そして寝る前には必ずレースを想定して、スタートからゴールまでをシミュレーションをするほど熱中していました。
それもあって高校卒業後にはマラソンを走れるように、その後は指導者への道を夢みていたそうです。

アスリートを目指していたのは、意外ですね。

しかし高校三年生の時に致命的な骨折をしてしまいます。これは体育大学の進学を諦めなければいけない程のものでした。
受験勉強も間に合わない時期だったので、卒業後に進む道をなくしてしまうのです。

そこで皆川さんはふと旅に出ようとヨーロッパへ向かいます。

最初に訪れた国はフランスでした。

子供の頃から絵を描くのが好きだったのと、パリの美術学校に興味があったからです。

このフランスでの些細なきっかけが、ファッションの道へと進む契機となりました。

フランスで出会った日本人女性がパリ・コレクションのバックステージでアルバイトをすると耳にします。
そこで興味を持った皆川さんは手伝いに参加させてもらうことになりました。その時は服をモデルに着せてラインを調整する雑用係です。
もちろん当時は服飾の経験はありません。

しかし世界一のファッションの祭典に身を投じた経験は、「洋服を作る仕事への衝動」をいだかせます。

そして帰国後、その衝動を信じて文化服装学院の夜間部に入学し、お昼は縫製工場でアルバイトをする生活が始まりました。

こうして陸上少年だった皆川さんはファッション業界へと進んでいくのです。

魚市場で学んだ見極め力の大切さ

文化服装学院を卒業後、27歳で小さなアトリエを構えましたが簡単には軌道に乗らなかったので、魚市場でアルバイトを始めます。
実はここで学んだことがミナペルホネンの理念の根底に繋がるものでした。すごく学びが多かったそうです。

まず素材の見極めのレベルが、その後に続く仕事の丁寧さや技術の高さに比例していきます。
良い魚を選ぶ人は、それをさばく包丁さばきも素晴らしく、見極めが適当な人は包丁選びも適当なのです。

腕のいい料理人は良い材料を使わなければ、どんなに調理に手間をかけても美味しい料理にならないとわかっています。
自分の仕事と材料を見る目はイコールだ魚市場で実感します。

洋服に置き換えると、服の素材は布にあたります。
料理人は魚を作り出すことはできないけれど、デザイナーは布を作り出すことができます。
つまり良い素材(布)を作ることは、丁寧は服作りに繋がっているということです。

デザインのルーツは子供の時にみた大人達のファッション

ブランド名は北欧にルーツをもち、「minä」はフィンランド語で「私」、「perhonen」は「蝶」を表す言葉です。
ブランド名の由来は19歳で初めてフィンランドを訪れたこともありますが、正確にはフィンランドだけではなく、北欧やスカンジナビアという土地への興味からだそうです。

しかし皆川さん曰く、生まれるデザインにおいては、そこが源泉というわけではないそうです。

小さなころ、当時の大人達が着ていたサイケなモチーフやグラフィカルなドットなどの鮮やかな色彩の記憶がルーツにあるような気がしている。
そのころの大人達がやけに楽しそうで自由でとてもまぶしい存在だった。そんな総天然色時代へのあこがれが僕のデザインの中に含まれているのだろう。
ノスタルジックさとも違う、デザインが人を楽しくさせるという魔法を僕も使いたいという気持ちが強くある。
ミナペルホネン時のかさなり p.70

1シーズンで終わるのではなく、世代を超えても愛されるものを作るものとはなんだろう。

この考えのヒントになったのが北欧の家具や建築でした。

北欧家具がずっと世界中の人たちから愛されているという事実は、人の感性や思考は人生を通じて大きくは変わらず、好きなものは好きなままということを示している。それはファッションも同じだと思うのです。
SOW TOKYO 肖像 皆川明 Vol.4

家具自体の魅力はもちろんですが、愛する生活用品を長く使う。
それが豊かさに繋がるという北欧文化の精神性に惹かれたのではないでしょうか。

インテリア
minä perhonenより出典

2つの大きなものづくりへの思い

服を作るにあたって、大きな二つの想いを持っている皆川さん。

1つ目は布から作るということ。2つ目はファッション業界のサイクルに乗らないこと。

アトリエを立ち上げるまでの3年間はアパレル会社で働いていました。この会社は素材から服を作っていたのです。
小さなメーカーでしたが、工場に行き布を作る現場を知りました。生地の問屋さんから既製の布を買うのではなく、自分でオリジナルの生地を作る。
これこそが「服を作る」ことだと確信しました。

そして布から作るというのは、2つ目のファッション業界のサイクルへの疑問点への皆川さんの回答にもなるのです。

少し長くなりますが、ファッション業界の構造を説明させてください。

ファッション業界はおよそ半年ごとに新作を送り出し、シーズンの終わりにはセールで安く売り切っていくのが通例です。
しかしセールでも収益を確保できるように、アパレルメーカーや小売は製造現場の労働単価を低く見てコストを抑えます。

この構造を続けていくと製造業は漸進的に落ち込み、やがてメーカーも小売業も衰退していきます。

つまり現状は受注者>生産者というパワーバランスになっていることが非常に多いのです。
この状況を目の当たりにした皆川さんはそれでは日本の工場が減り、素晴らしい技術が衰退してしまうと危惧したそうです。

そこで、まず製造業がきちんと元気なら自然にメーカーは作る製品の可能性を広げられ、商品価値が高くなって小売業も売れる。

なので受注者と生産者がイーブンになるように、工場の方々と気の遠くなるような対話を重ねているのです。

さらに半年ごとのコレクションのルーティーンだと工場の年間の稼働にばらつきが出ます。
コレクション時期とそれ以外での差異が極めて大きいのです。

したがって布をデザインし、それを家具や小物などのシーズンレスなアイテムに使用することで、工場の安定した年間の稼働を促すこともできるのです。

新しい洋服をデザインした際、素晴らしい布をふんだんに使い、こだわって使ったとしても型紙を布に置いた時に余る部分が多いともったいないので、その服の制作はやめてしまうこともあるそうです。

皆川さんはどれくらいの布が必要かという視点ではなく、一反から何着取れるかという視点を持っているのです。こういった部分からも生産者の想いを汲み取る意志を感じますね。

洋服は本来、丁寧に使っていれば10年、20年と持つものがほとんどです。
その中にあって1シーズンで価値が下がってしまうという物差しはファッション業界が演出してきた尺度です。

ミナペルホネンはそういった既存のファッション業界の尺度からは離れ、あくまで大切に服を着続ける人の尺度に寄り添っています。

2014年にしたためた「つくりかた」という文章にその想いがありありと浮かんでいます。

技術を革新して  手を鍛える
生活を直視して  空想にふける
綿密に企て    偶然を呼び込む
限りを尽くし   社会に委ねる
信念を曲げず   自在に動く

そうやって
進歩を怠らず
経験を心に蓄え
作っていけば
良いのだと思う。

生地の柄
“hoshi*hana” 1995→s/s (ホシ・ハナ) ミナペルホネンの初めての刺繍柄
minä perhonenより出典

次の世代にバトンを渡す

皆川さんの根底にあるのは、少年時代に打ち込んだ陸上競技があります。それはバトンを渡すということです。

駅伝やリレーでは自分の走る区間が決まっており、ランナー全員でバトンを繋ぎ完走を目指します。そこでは渡す際にもお互いの呼吸が合っていないといけません。
お互いのスピードを合わせないと、躓いたり、下手をするとバトンを落としてしまいます。

大切なのはお互いがトップスピードになったタイミングでバトンを渡すこと。
ブランド立ち上げ時の「せめて100年」という想いはまさにバトンを意識した言葉だと感じます。

100年という遠くを見つめれば、近くの小さな波に心をとられることも、すぐそこの終点=完成だけを目ざしてプロセスがおざなりになることもない。

人生という枠の中で、自分がデザイナーとして達成感を得ようとすると、今とは違う方法論になるのかもしれませんが、100年にわたるブランドの姿を思い描くと、自分がかかわる30~40年というくくりの中で、一部の役割を果たす覚悟ができる。

ゴールが遠くにあることをわかってはいるのですが、そこまで走り切らなくてもいい。バトンタッチまでのことをきちんとやろう。そうとらえれば、ゆとりある気持ちで仕事に向かえますよね。
HELLO!! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。p.028 ~ p.029

そして完走しなくて良い、次に渡せば良いという考えによって長く走り続けることができると皆川さんは言います。
すでに社員の方には、バトンを渡すゾーンに来ているよと仰っているそう。

アフリカの有名な言葉で「早く行きたければ一人で行け、遠くまで行きたければみんなで行け」という諺があります。

ミナペルホネンを見ていると、この言葉が頭によぎります。

ものづくり産業全体を見つめ、ものの価値に見合ったサイクルを提案する。

そのために自分ができるクリエイションに全力を注ぐ。ミナペルホネンの柔らかく優しいデザインの奥には、そのような強くしなやかな芯があったのです。

KLDでの取扱もございます。ぜひ何か1つお手にとって刺繍をじっくりと眺めてみてはどうでしょうか。

参考文献

  • ミナペルホネンの時のかさなり
  • Hello! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。

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