藤原ヒロシってどんな人?

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引用 jbpress.ismedia.jp

こんにちは。ブランド古着のKLDです。

日本のファッション史、とくにストリートカルチャーの文脈において伝説的な存在である藤原ヒロシさん。

有名ゆえに、「一体どんな人なの?」「どんな活動をしてきた人なの?」とお思いの方も多いのではないでしょうか?

今回は、

  • 藤原ヒロシの経歴
  • 交友関係
  • 音楽家としての顔
  • 様々なコラボレーション
  • 藤原ヒロシが関わってきたプロダクト

という形で、藤原ヒロシさんについてお話していきたいと思います。

「藤原ヒロシさんの事、なんとなくは知ってるけど詳しくは知らないかも…」という方など、ぜひご覧ください!

藤原ヒロシの経歴

まずは、藤原ヒロシってどんな人?を知るために、生い立ちからどのような活躍をして今に至っているかをお話していきます。

幼少期〜上京

藤原ヒロシが生まれたのは、1964年。

三重県の伊勢市で伊勢神宮のすぐそばで生まれました。
父は競輪選手の藤原武で、3人兄弟の末っ子として育ちます。

彼は10代のころから、スケートボードとパンクミュージックに大きな関心を持っていました。

まだ当時世間一般にしられていないスケートボードチーム「Z-BOYS」やロンドンの パンクロックバンド「セックスピストルズ」などなど。
幼いころより感度の高さがうかがえます。


Z-BOYSドキュメンタリー映画「DOGTOWN AND Z-BOYS」より

高校時代には、地元である伊勢から東京に頻繁に遊びに行き、当時の原宿のストリートカルチャーを築いたファッションブランド「MILK」のデザイナーの大川ひとみと親交を深めます。

当時のヒロシ少年は、「情報は簡単に手に入らないから、自分が動いて、興味があるところにどんどん入っていくしかない」と考えていたそうです。

1982年、高校を卒業し、今はなき美術学校セツ・モードセミナーへ入学します。
しかし3週間程度で中退。

彼曰く、東京に来るのが目的であって、別に勉強をしたいわけではなく、勉強の口実にするのに、最適な学校だったとのこと。


セツ・モードセミナー(2017年に閉校) 引用 fashionnetwork.com

退学後ももちろん東京を拠点にしますが、その中でもディスコ「ツバキハウス」のイベント「ロンドンナイト」で多くの時間を過ごします。

「ツバキハウス」は三宅一生や高田賢三といった著名なデザイナー達も通ったディスコで、「ロンドンナイト」は定期的にそこでおこなわれていたロックイベント。

無名時代のブルーハーツや布袋寅泰も参加していたらしく、ジャンル問わずなんでもありなイベントだったそうです。


右:ツバキハウスに通い詰めていた頃の藤原さん(左は音楽評論家、DJの大貫 憲章氏) 引用 natalie.mu

そして、東京での暮らしを謳歌していた彼に、ある転機が訪れます。
それは「ロンドンナイト」でのファッションコンテストです。

以前より交流のあった大川ひとみ氏が審査委員長を務めるファッションコンテストで、藤原さんは見事優勝を果たし、優勝賞品としてロンドン行きのチケットを手に入れます。

それにより、かねてより憧れの地だったロンドンへ旅立つことになりました。

ロンドンでの出会い

ロンドンでは、知り合いに紹介された、外国人のモデルの家に居候をしながら数か月ほど滞在します。

「飛行機を降りた瞬間に目にはいってきたロンドンの景色が薄暗くてびっくりしたが、一方でナイトクラブに行くと、とにかく派手で様々な人達が縦社会ではなく、横のつながりを持っていることが楽しかった」とロンドンについて語っています。

そして、憧れの人物とついに交流を果たします。
それが「マルコム・マクラーレン」です。

マルコムはパンクの父とも呼ばれ、「セックスピストルズ」の仕掛け人兼マネージャーや、ヴィヴィアンウエストウッドの前身的存在でもあるブランド「Seditionaries」のデザイナーなど、様々な肩書を持つ伝説的な人物。


マルコム・マクラーレン 引用 gqjapan.jp

藤原さんは彼や、妻のヴィヴィアンと交流を深め、マルコムの店である「ワールズエンド」に頻繁に通い、店番を任されるほどでした。

彼らとの経験が今の藤原ヒロシを形作っているのかもしれません。

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音楽デビュー

しかし、そんなロンドンでの夢の日々を終わりにし、藤原さんは次なる場所に旅に出ます。
それがニューヨークです。

ロンドン滞在中、突発的にニューヨークへの旅を決めた彼は、本場のヒップホップを体感しにニューヨークへ旅立ちます。

当時の日本のDJは「選曲・曲順を工夫して音楽を流す」という認識でしたが、ニューヨークではリミックスとして、色々な曲やテクニックを駆使して、曲をアレンジしていました。

「東京では手に入れられない情報ばかりで、触れるものがすべて新鮮だった」と彼は語っています。

その後は帰国し、本格的にDJ活動を始めました。

様々なブランドのパーティーに呼ばれ、活動を続けますが、1985年にヒップホップミュージシャンの高木完と共にヒップホップユニット「タイニーパンクス」を結成します。


タイニーパンクス 引用 hypebeast.com

名前の由来は藤原ヒロシのロンドンでのあだ名「タイニーパンク」を複数形にしたものだそうです。

さらに日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、本格的にラップ・ミュージックというものを表現したアーティストの一人とも呼ばれている「いとうせいこう」とタイニーパンクスの共同名義のアルバム「建設的」でデビュー。


「建設的」 引用 diskunion.net

その後は、様々なアーティストに楽曲を提供し、作曲や音楽プロデューサーとして活動し、その地位を確かにします。

LAST ORGY

音楽活動の他にも、1987年には雑誌「宝島」で「LAST ORGY」の連載を始めます。

この連載の特徴は、毎回音楽やファッションといったカルチャーを紹介していること、タイニーパンクスの2人の写真が必ずあること、そして写真の服装は二人が自分たちの中で一番カッコイイ服装をしていることでした。


「LAST ORGY」の一部 引用 collater.al

そんな中、いまや世界的ストリートブランドである「STUSSY」の創業者のショーン・ステューシーのインタビューをすることになり、初めての対面。

インタビューを経て、藤原ヒロシのことを気に入ったショーンは、アジア人として初の「INTERNATONAL STUSSY TRIBE(通称IST)」のメンバーに迎えられstussyから多くの影響を受けることになります。

その後、「LAST ORGY」は、1991年にBAPEのデザイナーのNIGOとUNDERCOVERのデザイナーの高橋盾が連載を引き継ぎ、「LAST ORGY2」となりました。

当時はインターネットが普及しておらず、今よりもはるかに雑誌が強い影響力を持っていた時代。

この連載は音楽やファッションが好きな多くの若者をひきつけ、決してメインストリームのマス層にウケたわけでは無かったにも関わらず、彼らの紹介する商品は即完売したそうです。

GOOD ENOUGHの設立

1990年には友人でグラフィックデザイナーのSKATE THING(通称スケシン)から「Tシャツを作りたい」という提案を受けます。

その一言に藤原ヒロシは即断。
ブランド名を「GOOD ENOUGH」とし、ブランドをスタートさせます。

GOOD ENOUGHについては後述する藤原ヒロシが手掛けたプロダクトにて紹介いたします。

そしてここから裏原文化は急速に発達を続け、その盛り上がりは2003年頃まで続いたと言われています。

交友関係

裏原の伝説とも言われた藤原ヒロシですが、その交友関係は非常に多岐にわたります。

ファッション関係の人たちだけではなく、音楽関係をはじめ、あらゆる有名人と知り合うだけではなく、深い関係を作っているのです。

代表的な人物たちをご紹介していきましょう。

NIGO


引用 shotclock.jp

NIGO氏は、「ABATHINGAPE」や「HUMAN MADE」のデザイナーであり、現在は「KENZO」のアーティスティックディレクターを務めるほどになった人物です。

今でこそ伝説的な人物とよばれていますが、かつては藤原ヒロシの背中を追いかける群馬生まれの青年でした。

当時は藤原ヒロシのことを「尊敬する先輩」というよりは崇拝対象として見ていたそうです。

関係性の始まりは、藤原ヒロシが好きで上京し、後述する高橋盾の紹介で親しくなったそうです。

NIGOは藤原ヒロシに似ていたことから「藤原ヒロシ2号」と呼ばれ、のちに自分から「2号(NIGO)」と名乗るようになります。

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高橋盾


引用 gqjapan.jp

NIGO氏と同じく群馬生まれで伝説的存在と呼ばれている「UNDERCOVER」のデザイナー、高橋盾氏。

文化服装学院に入学するために上京。先述したイベント「ロンドンナイト」で出会い、交流を深めます。
昔はマンションの隣に住んでいたぐらい、仲がよかったんだとか。

そして1994年には藤原ヒロシと共に「AFFA」というブランドを立ち上げます。

ブランド名の由来は「Anarchy Forever Forever Anarchy 」の略で、コンセプトは「高橋盾と藤原ヒロシが考えるパンク」ということで不定期での発表ながら多くのファンが存在しています。

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山口一郎


引用 goetheweb.jp

音楽の分野でも深い関係を築いている藤原ヒロシですが、特に親交が深いのはサカナクションの山口一郎氏でしょう。

二人のプライベートでの交流はある番組を生まれさせたほどで、その番組は2018年7月よりBSフジで定期的に放送されています。

そのほかにもテレビ番組の特番などで共演を続け、藤原ヒロシが手掛ける楽曲のMVにも出演しています。

音楽家としての顔

先述した通り、藤原ヒロシはDJやアーティストなど様々な顔を持っていることがわかります。

そんな彼の音楽活動をより深くご紹介していきましょう。

藤原ヒロシと高木完のヒップホップユニットの結成から数年後の1988年、彼は日本初のクラブ・ミュージックレーベル「メジャー・フォース」を発足します。


引用 redbull.com

元々ソニーと組んでNYでクラブを立ち上げる予定でしたが、それがとん挫。
レーベルだけを立ち上げる話だけが残りました。

しかし、そのレーベルから、かの有名なヒップホップグループ「スチャダラパー」などがデビューしたそうです。

1998年には、藤原ヒロシの大ファンでもある世界的スターのギタリスト「エリック・クラプトン」のアメリカンツアーで使用するスタッフ用コーチジャケットのデザインすることに。

さらには2001年にワールドツアー用のフィールドジャケットをデザインしたことがきっかけで 、2006年にはHiroshi Fujiwara feat.Eric Clapton名義で4曲入りマキシ・シングル「カプチーノ」をリリースするといった偉業をなしとげています。


引用 amazon.co.jp

その後同年2006年にDJを引退。

理由としては、「若いころに思った『こんなDJになりたくない』というDJになってしまったから」とのこと。
その潔さも藤原ヒロシらしいです。

2010年にはソロ名義アルバム「in DUB with LUV hiroshi fujiwara presents studio66」をリリース。
本作は藤原ヒロシの近年のサウンドワークをコンプリートした内容になっており、ファン垂涎の作品です。

その後も音楽活動を続け、2017年に「Slumbers」2020年に「Slumbers2」をリリース。
どちらも音楽プロデューサーとしてのみならず、シンガーソングライターとしての側面を強く感じられるアルバムでした。

藤原ヒロシが関わってきたプロダクト

日本のファッション業界の中でも、数少ない世界的に影響力を持つ人物の一人である藤原ヒロシですが、彼が率いるデザインプロジェクト「フラグメント」はジャンル問わずあらゆるブランド・企業とコラボレーションを行っており、どれも大きな話題を呼んでいます。

代表的なプロダクトをいくつかご紹介します。

Louis Vuitton


引用 imn.jp

2016年にルイヴィトン・メンズコレクション・アーティスティックディレクターの「キムジョーンズ」の熱烈なオファーにより始まったこの限定コレクションは、伊勢丹新宿店メンズ館の一階の期間限定のポップアップショップで販売され、数千人にも及ぶ大行列を作り、瞬く間に完売しました。

キムジョーンズと藤原ヒロシの二人は実は、20年近くにもなる旧知の仲で、キムが学生のころから親交があり、1990年代のストリートファッションが好きな彼にとって、藤原ヒロシの存在は憧れの存在だったそうです。

コラボレーションの内容としては、黒とグレーを基調にしたシンプルなもので、「フラグメント」のアイコンであるサンダーロゴのスタンプをあしらった「モノグラム・エクリプス」や両ブランド双方のロゴが並ぶTシャツやポロシャツ、ネックレス等といった幅広いアイテムをラインナップ。

ジャンルの垣根を超えたコラボレーションとして、世間から多くの注目を集めました。

GOOD ENOUGH


15AWルックブックより 引用 spreadinc.net

スケシンと立ち上げたブランド「GOOD ENOUGH」ですが、裏原系という言葉が浸透したのはこのブランドがきっかけでした。

「十分に良い(GOOD ENOUGH)」メンバーで立ち上げたブランドですが、当初は自身の名前を伏せていました。
理由は、服本来のデザインをきちんと見てほしいという思いがあったそうです。

さらにGOOD ENOUGHは、アパレルブランドで初めての試みをしたブランドとも言われています。
それは、アパレルブランド同士でのコラボです。

今でこそブランド同士でのコラボは一般的ですが、当時はそのような文化なかったそうです。

ちなみに、当時コラボした相手はかの有名なPORTERです。

藤原ヒロシはPORTERの名作バッグ「タンカー」を愛用しており、これを使ってレコードバッグの制作を依頼し、数量限定で販売。
瞬く間に完売したそうです。

その後も人気を博していましたが、2017年に惜しまれながら、ブランドは終了。
しかし終了した後も、多くの人を虜にした「g」のロゴは現在も色あせず、多くのファンが存在しています。

THE CONVENI(ザ・コンビニ)


引用 fashionpost.jp

ザ・コンビニは藤原ヒロシがディレクションするコンセプトショップで、銀座ソニーパークの目玉としてオープンしました。

名前の通り、見た目は私たちがいつも使うコンビニとあまり変わりはありませんが、内装は藤原ヒロシ流の様々なギミックが。

展開しているアイテムも、ペットボトルに入ったTシャツやサンドイッチのようにラッピングされたバンダナなどで、一見食べ物と間違えてしまいますね。

実は実際のコンビニのように、本当のお菓子も陳列されているのですがよく見るとパッケージも「ザ・コンビニ」仕様に。

このように藤原ヒロシファンにとってたまらない仕様のコンセプトショップは約2年間の限定オープンでしたが、多くの話題を呼びました。

THUNDERBOLT PROJECT(サンダーボルトプロジェクト)


引用 uptodate.tokyo

藤原ヒロシ率いる「フラグメント」とポケモンによる合同プロジェクトのことで、2018年秋よりスタート。

人気ポケモンとフラグメントを象徴する「サンダーロゴ」を組み合わせたデザインのアパレルや雑貨を展開していました。

特に通常とは違い、真っ黒にされたポケモンのぬいぐるみは大人気に。


引用 wwdjapan.com

さらにはサンダーボルトプロジェクトと渋谷のホテル「シークエンス」がタッグを組み、「INN THUNDERBOLT PROJECT BY FRGMT & POKEMON」と題して、お土産付きの宿泊プランも展開。

目玉となるのは、フロア全体と客室がサンダーボルトプロジェクトの世界観でアレンジされた特別仕様。


引用 fashion-press.net

気になるお土産はポケモンにインスパイアして作られたフレグランスブランド「リトゥ」のアメニティセットや、ポケモンモチーフのぬいぐるみ・スリッパなど。

宿泊プランは2022年の2月から3月下旬までと短い時間でしたが、多くのファンが訪れました。

NIKEとのコラボ

HTM

裏原界隈のみならず世界中のファッションフリーク達までもを大いに盛り上げた藤原ヒロシですが、2001年にはとうとう大手スポーツブランドであるナイキとアーティスティック・コンサルタント契約を締結します。

そして2002年には藤原ヒロシ・ナイキ副社長の「ティンカー・ハットフィールド」・ナイキインク社長兼CEOのマーク・パーカーによるコラボレーションプロジェクト「HTM」が誕生。

HTMの由来は三人のイニシャルからとっているそうです。


左から藤原ヒロシ、ティンカー・ハットフィールド、マーク・パーカー 引用 houyhnhnm.jp

誕生してからというもの、ナイキデザインの新しいコンセプトを最新テクノロジーをもって体現したプロダクト展開で、常に最前線を駆け抜けていました。

フラグメント×ナイキ

藤原ヒロシはフラグメント名義で、ナイキと様々なコラボモデルを長年にわたり展開してきました。
その中でも特に人気があったモデルを紹介していきましょう。

「Fragment×Nike Dunk High City Pack」(2010)


※復刻された際の写真 引用 hypebeast.com

3色のカラーバリエーションで展開されたこれらのモデルは、北京、ニューヨーク、ロンドンをイメージしたカラーリングでリリース。
特徴的なのは左右非対称カラーとヒールに刻まれた「サンダーロゴ」でしょうか。

これらは大人気を博し、約10年の時を経て、復刻。
今でもスニーカーフリークに愛されている逸品となります。

「Fragment×Nike Air jordan1 Retoro」(2014)


引用 hypebeast.com

2014年にかなり限定展開された幻のモデルで、エアジョーダン1の人気カラーリングであるブラックトゥ(通称つま黒)を青バージョンにしたもの。

またカラーリングもさすがのこだわりですが、スニーカーの形や革の感じも限りなくオリジナルモデルに近づけたとのことで、ビンテージスニーカーフリークである藤原ヒロシのこだわりがつめられた逸品となっています。

またこのモデルをオマージュして、ラッパーのトラヴィススコットとのトリプルコラボも展開されました。

こちらも特徴的な逆スウッシュやヴィンテージ仕様のカラーリング、トラヴィスと藤原ヒロシが共演したプロモーションビデオと、多くの人間を虜にしました。

「Fragment×sacai×Nike LD Waffle」(2021)


引用 uptodate.tokyo

日本のファッションブランド「Sacai」とのトリプルコラボで、70年代のランニングシューズをミックスしたフォルムが特徴的です。

「sacai」デザイナーの阿部千登勢と藤原ヒロシはかねてより親交があり、たびたびコラボコレクションを展開するほどで、阿部千登勢曰く「好きなことを仕事にしている醍醐味のようなもので、仕事の延長線上で気が合う仲間とお互いのクリエーションを共有するような感覚」とのこと。(fashionsnap.comより引用)

コラボモデルのカラーリングは、藤原ヒロシが好んで使うネイビーとグレーの落ち着いた雰囲気で、どんな服装にも合わせることができるアイテムとなっています。

ここまで読んでくださった方へ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

裏原宿のレジェンド的な人物として知られる藤原ヒロシさん。

経歴や交友関係、これまでの実績などを見て、改めて日本のファッション史における重要人物であることがわかりました。

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