NIGOってどんな人?
引用hypebeast.com
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
現在KENZOのアーティスティック・ディレクターを務めるNIGO(ニゴー)氏。
ストリートから上り詰め、ファッション業界、音楽業界において、これまでに様々な功績のある人物です。
今回は、
- NIGOってどんな人?
- NIGOのもの作り
- 音楽業界での活躍
- ファッション業界の活躍
という形でお話していきます。
「NIGOの事なんとなくは知ってるけど詳しくは知らないかも…」という方など、ぜひご覧ください!
目次
NIGOってどんな人?
ここでは、「NIGOってまずどんな人なの?」ということについて、これまでの経歴と共にお話していきたいと思います。
藤原ヒロシ・高橋盾との出会い
1990年から2000年代にかけてムーブメントを引き起こしたファッション「裏原系」。
そんな「裏原系」の重要人物とNIGO氏は呼ばれています。
彼の本名は「長尾智明」。
1970年12月23日に群馬県前橋市に生まれました。
名前の由来は、同じく「裏原系」の重要人物の一人であるカリスマ「藤原ヒロシ」に似ていることから、「藤原ヒロシ2号」と呼ばれ、その中の2号をローマ字表記にしたものと言われています。
藤原ヒロシ氏 引用leon.jp
NIGO氏は1990年、文化服装学院に入学し、ファッションスタイリスト、DJ、ライターや編集者として華々しいキャリアをスタートさせます。
1992年には雑誌「宝島」で、学校の友人の高橋盾氏(後のUNDERCOVERのデザイナー)と新連載「AtoZ」がスタート。
その後、連載タイトルが「ラストオージー2」に変わり、1992年から94年の約2年間にわたり毎号掲載されました。
左から高橋盾氏、NIGO氏 引用gqjapan.jp
当時は現代のようなネット社会ではないため、ファッションやカルチャーについての情報を得る手段や情報自体も乏しかった時代でした。
そんな時代に「ラストオージー2」は高橋盾とNIGOが手に入れたアイテムや注目していることを紹介しながら雑談する連載企画であり、彼らが発信する独自の視点は、日本全国のファッションマニア達の貴重な情報源として、大きな影響を持ちました。
インフルエンサーとして、毎号にわたり読者を熱狂させたこの企画は、後の「裏原」ムーブメント」を巻き起こすきっかけの一つになったと言えるでしょう。
NOWHEREのオープン
その間の1993年4月1日には「裏原」の一角に、NIGOは高橋盾と共に後に伝説と称されるショップ、「NOWHERE」をオープンします。
この店では高橋盾が手がけるUNDERCOVERのコレクションと、NIGOの海外買い付けセレクト品、そしてショップオリジナルブランドで、彼らが手がける連載企画と同名の「ラストオージー2」がラインナップされていました。
ちなみに「NOWHERE」の語源はダブルミーニングで「NO WHERE(どこにもない)ものがNOW HERE(ここにある)」と言われています。
A BATHING APEの誕生
引用imn.jp
その後、NIGO氏は海外での買い付けに次第に限界を感じ、その事を藤原ヒロシが手がけている日本初のストリートブランド「GOODENOUGH(グッドイナフ)」でグラフィックを担当していた「SK8THING(スケートシング、通称スケシン)」に相談したところ、オリジナルブランドの立ち上げを提案されました。
それが「A BATHING APE(アベイシングエイプ、通称BAPE)」です。
ブランドの語源は、根本敬の著者「因果鉄道の旅」の挿絵「ぬるま湯につかった猿」の英訳「A BATHING APE IN LUKEWARM WATER」と言われており、誰もが一度は見たことのある猿の顔のロゴ、通称「APE HEAD(エイプヘッド)」は当時テレビで一挙放送されていた名作映画「猿の惑星」から着想を得ています。
「BAPE」はヴィンテージアメリカンを踏襲したストリートスタイルで、当時少量生産ではありましたが、雑誌「asayan」でスタートした連載企画「ラストオージー3」で自身のブランドを紹介した事や、人気ミュージシャン達にアイテムを提供したことでブームに火をつけ「BAPE」は急速に広まっていきました。
ファレル・ウィリアムスとの共同作業
左からNIGO氏、ファレル氏 引用news.livedoor.com
日本だけだはなく、世界にもBAPEを進出させ多くの信者を生み出したNIGOですが、ある転機が訪れます。
それがザ・ネプチューンズの「ファレル・ウィリアムス」との出会いでした。
2003年に来日していたファレルにNIGOが、自身のスタジオに招待したことから彼らは友人となります。
その後、共同プロデュースとして、BAPEのニューヨークの旗艦店をオープンした年に「BILLIONAIRE BOYS CLUB(通称BBC」「ICE CREAM アイスクリーム」をデビューさせました。
さらにNIGOはファレルを通じて「Ye(カニエ・ウェスト)」をはじめとする大物ラッパー達と親交を深めていき、世界進出を大成功におさめました。
新たな挑戦
BAPEやBBCといったクリエイションでストリートの頂点に君臨したNIGOですが、2010年には自身の所有しているヴィンテージアイテムを元に「HUMAN MADE(ヒューマンメイド)」という新しいブランドを立ち上げました。
これまでのストリートブランド達と打って変わったコンセプトのHUMAN MADEをクリエイションする一方で、衝撃的な二ユースも起きました。
それは、BAPEにおけるNIGOの退任です。
世界進出を果たし好調に見えたBAPEですが、その後ブームの終焉により財政状況が悪化し、2011年に香港の企業に買収されることになったのです。
裏原の顔として君臨していたNIGOですが、BAPEから去ることになり、その後はフリーランスとして様々な活動を続けていました。
そして2019年には誰もが驚くニュースが発表されました。
ファッションが好きな方であれば一度は聞いたことがある、ルイ・ヴィトンのメンズアーティスティック・ディレクターを務めるヴァージル・アブローとNIGOが、コラボコレクションを発表したことです。
その名も「ルイ・ヴィトン スクエアードコレクション」。
「ルイ・ヴィトン スクエアードコレクション」第二弾より 引用fashion-press.net
ヴァージルは以前より親交のあるNIGOについて「今、僕がルイ・ヴィトンにいるのは、NIGOが築き上げた歴史があるからなんだ」とコメント。
引用vogue.co.jp
ヴァージルにここまで称讃されるのはさすがNIGOと言えるでしょう。
コラボコレクションは大好評を博し、第二弾まで続くことになりました。
そして2021年9月、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)傘下の「KENZO(ケンゾー)」が、9月20日付でアーティスティック・ディレクターとしてNIGOを任命すると発表しました。
これについては詳しく後述します。
BAPEを退き、10年以上たった今でも全盛期以上の活躍をしているNIGO。
日本のファッション業界で最も著名な人物として、彼が今後どのような形でファッション業界を盛り上げるか、これからの活躍が楽しみです。
NIGOのもの作り
NIGOがしばしばもの作りのテーマにしている言葉があります。
それは「未来は過去にある」です。
彼は服作りにおいて必ず収集したヴィンテージアイテムを参考にしているそうで、特に1910年代から1960年代のアイテムを約35年にわたり集めているそうです。
NIGOにとってもの作りとは、過去のものに自身のエッセンスをのせて再現する、そんな感覚に近いのかもしれません。
ヴィンテージアイテム達はNIGOを形成する過去と未来を繋いでいます。
特に彼が手掛ける「HUMAN MADE」ではその傾向が顕著と言えるでしょう。
余談になりますが、NIGOが集めた秘蔵のアイテムを自身の母校「文化服装学院」で展示するイベントが2022年秋に開催されました。
展示の様子 引用bunka-fc.ac.jp
なぜこのタイミングで誰にも見せなかったコレクションを展示したのか、疑問に思う方も多いとは思います。
理由は、文化服装学院の大先輩である高田賢三氏が学生と積極的に交流していたことでした。
KENZOにアーティスティック・ディレクターとして就任したNIGOは、これからファッション業界を背負う若者の為に「自分にもなにかできることはないか」そんな思いで展示会を開催したのです。
音楽業界での活躍
ここからは、NIGO氏の音楽業界での活躍についてお話していきたいと思います。
TERIYAKIBOYZ
NIGOはファッション業界だけでなく、ミュージシャンとしても高い評価を得ています。
文化服装学院入学時からDJとして活動していましたが、2004年にヒップホップグループ「TERIYAKIBOYZ」を結成しました。
メンバーはMCのILMARI(RIP SLYME)、RYO‐Z(RIP SLYME)、VERBAL、WISE、そしてDJのNIGOの4MC+1DJで構成されています。
代表曲はセカンドアルバム「SERIOUS JAPANESE」に収録され、映画「ワイルドスピード×3 TOKYO DRIFT」の主題歌にもなった「TOKYO DRIFT(FAST&FURIOUS)」といえるでしょう。
この曲は当時より人気を博していましたが、2020年新型コロナウイルスの影響による外出自粛を受け、「TOKYO DRIFT」をビートジャックする企画・「TOKYO DRIFT FREESTYLE」に、様々なアーティストが参加、人気が再燃しました。
いまやYouTube再生数4.2億回というすさまじい数字を叩き出しています。
そのほかにも「TERIYAKIBOYZ」はファーストシングルでカニエ・ウェストをゲストに迎えた「I still love her featuring KANYE WEST」をリリースし、テレビ番組「ミュージックステーション」にてカニエと共に出演するなど、現代では考えることができないような偉業を成し遂げました。
その後国内外のフェスに出演し、着実に人気を伸ばしていましたが、ついに2009年には全米メジャーデビューすることが決定し、後に盟友となるファレル・ウィリアムスが運営するSTAR TRAKレーベルから前述したセカンドアルバム「SERIOUS JAPANESE」をリリースしました。
その後はしばらく活動していませんでしたが、後述する2022年のNIGOのニューアルバム「IKnow NIGO」に参加し、多くのファンを驚かせました。
HONEST BOYZ
「HONEST BOYZ」は、こちらもヒップホップグループ。
ファッション関係の仕事で親交があった、LDH所属の三代目J SOUL BROTHERS「NAOTO」とNIGOが、「いつか音楽制作を一緒にしたい」と話していたところ、NAOTOがあるドラマの主演を務めることになり、主題歌の企画を担当しグループ結成に至りました。
メンバーは「NAOTO」、「VERBAL(TERIYAKIBOYZ)」、「MANDY(EXILE)」「SWAY」、「NIGO」であり、こちらのグループも「TERIYAKIBOYZ」を踏襲した
4MC+1DJとなっています。
「TERIYAKIBOYZ」の名曲「HeartBreakerZ」をセルフオマージュした曲や、ファレルウィリアムスとコラボした 「TOKYO DIP feat. ファレルウィリアムス」などで人気を博しました。
I Know NIGO
ファッション業界のみならず音楽業界までその名を響かせ、勢力的に活動していたNIGOですが、突如2021年2月に「Universal Music Group(ユニバーサル・ミュージック・グループ」との契約を締結したことを発表しました。
それと同時に、自身のニューアルバム「I Know NIGO」がニューヨークの音楽レーベル「Victor Victor(ビクタービクター)」からリリースすることを発表し大きな話題を呼びました。
出演アーティストは盟友ファレル・ウィリアムスを筆頭に、エイサップ・ロッキー、リル・ウージ・ヴァ―トといった世界を代表するラッパーたちが参加を発表しましたが、さらに過去に自身がプロデュースしたTERIYAKIBOYZも参加すると発表したことで大注目をあびました。
ファッション業界の活躍
NIGOがファッション業界に与えた影響は計り知れません。
彼がなぜここまで上り詰めたか、それは自身が手がけるブランドがことごとく大成功をおさめた事が理由の一つと言えるでしょう。
冒頭でも触れましたが、より詳しく彼が手掛けたブランドを抜粋してご紹介いたします。
A BATHING APE
2009SSコレクションより 引用hypebeast.com
彼が手掛けたブランドで一番の大ヒットと言えばBAPEでしょう。
特徴的なアイコンである「エイプヘッド」は映画「猿の惑星」が元ネタ。
他にも様々なアメカジブランドをBAPEがサンプリングし、話題を呼びました。
「APE HEAD CUSHION」 引用bape.com
有名なアイテムといえば、「Champion」のカレッジロゴスウェットをBAPE風にアレンジしたものでしょうか。
こちらのアイテムは今でも定番アイテムとして語り継がれています。
また、BAPEの人気をより確かなものにしたのは後に「エイプヘッド」と並んでBAPEの象徴的なアイコンになった通称「ベイプカモ」でしょうか。
ベイプカモをあしらったプーマとのコラボ 引用fashion-press.net
「ベイプカモ」とは、「エイプヘッド」に迷彩を組み合わせた柄で迷彩柄の中にエイプヘッドが隠れているといったものでした。
特にベイプカモの人気は凄まじく、BAPEを日本中の人達が知ることになったのです。
このようにアイテムもさることながら、それだけではなく実はマーケテイング方法も天才的でした。
今では当たり前かもしれませんが、NIGOは音楽を通じてアーティストたちにBAPEを着用してもらい宣伝してもらうという方法を採用した先駆者でした。
それによりじわじわ人気を高めましたが、それでもまだ一部の感度の高い人しか認知されていないブランドでした。
しかし、当時国民的スターであった木村拓哉がCMでBAPEの名作「ベイプカモスノーボードジャケット」を着用したことによりその人気は爆発し、日本中の人々がBAPEを知ることになったのです。
HUMAN MADE
2010年にスタートしたブランドで、「過去と未来」の融合をテーマにしています。
ブランドの特徴としては、自身がコレクションしている膨大なヴィンテージウェアを現代風に解釈し表現したアイテムが特徴的なアメカジブランド。
BAPEとは対照的にNIGOが今作りたいものとしてスタートした「HUMAN MADE」は、当初はBEAMS限定でしたが、人気が広がり全国展開もされています。
作りに関しては、ヴィンテージを追求し妥協のないもの作りを徹底する「WAREHOUSE」が技術提供しており、申し分ないクオリティになっています。
特におすすめのアイテムはデニム類で、NIGOがコレクションしているヴィンテージデニムにインスパイアされたこだわりのつまったアイテムで色落ち加工やダメージ加工が絶妙です。
「KENZO」のアーティスティック・ディレクターに就任
NIGOデビューコレクションの2022AWより 引用fashion-press.net/
前述しましたが、LVMH傘下の「KENZO(ケンゾー)」がフェリペ・オリヴェイラ・バティスタの後任として2021年9月20日付でアーティスティック・ディレクターにNIGOを任命したことを発表しました。
KENZOは1999年に高田賢三がデザイナーを退任した後、様々なデザイナーがクリエイションを引き継いできましたが、今回NIGOがそれを継ぐことになり高田賢三以来初の日本人となります。
高田と同じ文化服装学院出身という共通点を持つNIGOがどのようなコレクションを発表するか期待された方も多いのではないでしょうか?
ファーストコレクションが発表された2022年1月、NIGOは我々の期待を大きく超えるモノを発表しました。
ストリートやラグジュアリーを強調したコレクションを作るのではなく、ケンゾーのアーカイブの代名詞と言える花柄のアイテムを主軸としたコレクションで、そこにヴィンテージウェアの要素を彼ならではの感覚でミックスしました。
なぜ今回ファーストコレクションでケンゾーのアーカイブやヴィンテージウェアに手を伸ばすことが必要だったのか。
NIGOはインタビューでこう答えています。
「まず、KENZOを知るためです。私の使命は、KENZOの服を作ることであって、自分の作品を作ることではありません。そうやって高田賢三は生きていくんですよ。」
引用hypebeast.com
また、彼はKENZOのマーケティングに対しても強い想いがあります。
「KENZOにおける私の目標は、クリエイティブなエネルギーを注ぎ込んでいるこのメインコレクションが商業的な観点でビジネスの中核となり、人々に興味を持ってもらうことです。
今は、メインコレクションがサブ的な背景で、コラボだけが関心を呼び、売れるという時代になりつつあります。『コラボすれば売れる』というのは、非常に間違ったアプローチです」
引用vogue.co.jp
このように、高田賢三を初めとしたデザイナー達の想いを反映しリスペクトするNIGOのその姿勢は、KENZOの成長に大きく貢献することでしょう。
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ここまで読んで下さりありがとうございました。
これまで様々なブランドや音楽活動で存在感を示してきたNIGO。
近年のKENZOでの活躍で、改めて注目している方も多かったのではないでしょうか。
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