ISSEY MIYAKEの歴代デザイナーについて|イッセイミヤケ
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こんにちは。ブランド古着のKLDです。
日本を代表するモードブランドの一つ、ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)。
ブランドを代表する存在である、特徴的な「プリーツ」は、ISSEY MIYAKEを代表する生地であり、ブランドの多くのアイテムに使用されています。
そんなISSEY MIYAKEですが、意外にもデザイナーがこれまでに複数交代しています。
今回は、
- ISSEY MIYAKEの歴代デザイナーについて
- 中古市場での評価
という形で、各デザイナーの経歴や、デザイナーごとに異なる展開について一挙にご紹介していきます。
また、各デザイナーごとの中古相場についても解説していきますので、売却をお考えの方もぜひご覧ください。
目次
ISSEY MIYAKEの歴代デザイナーについて
ISSEY MIYAKEは1971年に三宅一生が立ち上げた、50年以上の歴史があるブランドです。
創業者の三宅一生さんのイメージが強いブランドではありますが、実はこれまでに6人のデザイナーが交代しています。
時代によって、デザイナーごとにそれぞれ異なる独自性のある提案、展開を行いながら、現在までのブランドを創り上げてきました。
しかしどのデザイナーも、創立者である三宅一生の服づくりへの思いをしっかりと継承している点は共通しています。
ここからは各デザイナーについて時系列順にご紹介していきます。
デザイナーを知ることで、ブランドをより好きになれる事もあるかと思います。
ぜひご覧ください。
三宅一生
活動の経緯
三宅一生はISSEY MIYAKEの創立者であり、最初のデザイナーです。
ブランド創立の1970年から2007年までデザイナーとして活躍しました。
三宅一生は1938年に広島に生まれ、幼少期から美的センスを活かし美術部に所属。
やがて多摩美術大学図案科に入学し、在学中から装苑賞を2年連続で受賞しています。
大学卒業後、1963年に自身初のコレクション「布と石の詩」を発表。
そこからフランスへ渡り、パリのサンディカという洋裁学校でファッションの基礎を学びます。
その後三宅一生は、有名デザイナーであるギ・ラロッシュやジェフリー・ビーンのもとで働きながら「衣服の機能性」について探究するようになります。
1970年に日本に帰国してから「三宅デザイン事務所」を設立。
ISSEY MIYAKEの始まりです。
1971年にニューヨークコレクションに参加。
1973年に初参加したパリコレクションからは「衣服を1枚の布として考える」というスタイルが確立。
このスタイルが世界中から注目されることとなり、現在もISSEY MIYAKEの服づくりの根幹となっています。
三宅一生のものづくりの精神は世代を超えて受け継がれ、今後のISSEY MIYAKEのコレクションにも注目が集まります。
デザイナーを引退後も、ISSEY MIYAKEを陰から支えていましたが、2022年8月、惜しまれながらもこの世を去りました。
担当時の展開について
1969年 コンストラクティブル・クローズ 引用 mds.isseymiyake.com
三宅一生は創業当初から「一枚の布」という考えを貫いています。
一本の糸から素材開発を行い、身体と、布、その間に生まれる「ゆとり」を追求してきました。
それまで西洋では「衣服は細かい布のパーツを縫い合わせ立体化させる」という概念が一般的でした。
しかし1973年にパリのコレクションで「1枚の布」というコンセプトを発表すると、世界中が衝撃を受けました。
1974春夏 パリコレクションにて 引用 news.yahoo.co.jp
この「1枚の布」というコンセプトの中で生まれた「プリーツ」は、現在ではブランドアイコンといっても過言ではないほど、ISSEY MIYAKEの中で重要な要素となっています。
1988年、三宅一生はプリーツ素材の研究をスタートします。
1993年に「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」を展開してから、幅広いプリーツアイテムを展開。
プリーツプリーズ 2020SSより 引用 fashionsnap.com
どんな体形の人でも似合うデザイン、着心地の良さ、動きやすさ、軽さ。
プリーツ技術は日々進化しており、ISSEY MIYAKEは現在でもシーズンごとに新しいプリーツアイテムを提案し続けています。
三宅一生さんについてはこちらの記事もどうぞ
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滝沢直己
引用 nikkei.com
活動の経緯
滝沢直己はISSEY MIYAKEの2代目デザイナーです。
1981年、桑沢デザイン研究所のドレスデザイン科を卒業。
1982年、三宅デザイン事務所へ入社します。
1989年にISSEY MIYAKEコレクションのデザインチームに参加し、1993年にはISSEY MIYAKE MENのデザイナーに就任。
1999年、 ISSEY MIYAKEのデザイナーに就任し、メンズライン、ウィメンズラインともに担当し活躍しました。
2007年春夏コレクションを最後に退任。
同年には株式会社「NAOKI TAKIZAWA DESIGN」を設立し、ニューヨークで自身のブランドのコレクションを発表しています。
2010年にはヘルムートラングのメンズ部門のディレクターに就任し、2012年まで活動。
2011年よりユニクロのデザインディレクターに就任。
2014年以降はスペシャルプロジェクトのデザインディレクターとして活動しています。
担当時の展開について
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ISSEY MIYAKE MEN 1998春夏より 引用 nikkei.com
滝沢直己は初期からISSEY MIYAKEの発展に大きく貢献したデザイナーです。
ISSEY MIYAKEの独創的かつ機能性の高いデザインと、滝沢のトレンド感覚が絶妙に融合したことで多くの名作が誕生しています。
現在では一つのブランドとして確立し、世界中から人気を集めている「BAO BAO(バオバオ)」はその代表例であり、滝沢直己期である2000年に誕生しました。
BAOBAO 引用 soen.tokyo
1990年代後期から2000年前期において、ISSEY MIYAKEの衣服には銀色に黒刺繍のタグが施されており、滝沢直己期であると判別できます。
藤原大
引用 asahi.com
活動の経緯
藤原大は、2006年から2011年にかけてISSEY MIYAKEのクリエイティブディレクターを務めました。
多摩美術大学デザイン学科を卒業した後、株式会社三宅デザイン事務所に入社。
1998年から三宅一生とともに「A-POC」プロジェクトを開始。
これまでになかった画期的な服づくりを行うことになります。
2011年までには、ISSEY MIYAKEのパリコレクション・クリエイティブディレクターや、株式会社三宅デザイン事務所の副社長などを担当しています。
その後も良品計画のディレクターや、資生堂展覧会のディレクターなどを担当し、今では日本を代表するクリエイティブディレクターとなっています。
担当時の展開について
A-POCを代表する、チューブ状のニット生地から切り出してつくる衣服。ほつれにくいのでハサミでカットして自身でアレンジができる 引用 isseymiyake.com
藤原大がデザイナー担当時の展開として最も有名といえるのが、1998年に発表された「A-POC(エイポック )」でしょう。
三宅一生とともに立ち上げられたこの「A-POC」は工業用編み機に、当時最先端のコンピューター技術を組み合わせ生み出されました。
「A-POC」により、一本の糸からつなぎ目のない一着の服を生み出すという、他にはないプロセスを確立。
2006年には「A-POC」によって生まれたコレクションが、ニューヨーク近代美術館にて永久所蔵品として選ばれ保管されています。
宮前義之
引用 wwdjapan.com
活動の経緯
宮前義之は2012年、ISSEY MIYAKEのデザイナーに就任します。
2001年に三宅デザイン事務所に入社後、三宅一生と藤原大を中心とした「A-POC」プロジェクトの企画メンバーとして活動を開始。
藤原大の右腕としてキャリアを積みながら、その後デザイナーとなりました。
藤原大がデザイナーから退任すると、三宅一生より直々の指名を受け、ISSEY MIYAKEの4代目デザイナーとして就任。
ISSEY MIYAKEの伝統を重んじながら、従来にはなかった新しい素材開発に貢献しました。
2020秋冬シーズンを最後に退任した後は、美術家である横尾忠則との新プロジェクト「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE」に関わっていきます。
担当時の展開について
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宮前義之デビューコレクションの2012SSより 引用 fashion-press.net
宮前義之の展開の代表例が「3Dスチームストレッチ」です。
ジャガード織り素材にストレッチ糸を織り込み蒸気で縮めて衣服を作成。
2012AWより、壇上でのスチームストレッチの実演 引用 fashion-press.net
一見すると1枚の布のような服にスチームを当てることで、独特の質感とシルエットを実現しています。
また、自在に形を変える柔軟な「Dough Dough」は規則性のあるプリーツとは相反するもので、ねじる、丸める、揉む、折る、伸ばすといった動きを実現。
手で造形してセット出来るのが魅力の「Dough Dough」 引用 fashion-press.net
宮前義之は、ブランドアイコンであるプリーツ以外にも、革新的な素材を探求したデザイナーです。
高橋悠介
引用 wwdjapan.com
活動の経緯
高橋悠介は2013年に、ISSEY MIYAKE MENのデザイナーとして就任。
2009年、文化ファッション大学院大学の在学中に、長く取り組んでいたコンピューターニットによる作品で第83回装苑賞を受賞します。
翌年の2010年には三宅デザイン事務所に入社。
プロジェクトに関わりながら、三宅一生が考える服づくりとは何かを学ぶ「リアリティ・ラボ」を経験し、わずか3年でデザイナーに就任します。
リサーチ、イノベーションの探求を得意とし、ISSEY MIYAKEのものづくりの精神を重視しながらも変革を表現できるデザイナーとして活躍しました。
その後2020年にデザイナーを退任し、同年2月より新会社「CFCL」を立ち上げ活動しています。
担当時の展開について
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ISSEY MIYAKE MEN 2014SSより 引用 fashion-press.net
高橋悠介のデビュー作品となるISSEY MIYAKE MENの2014春夏コレクションでは、「窓を開けて、世界を見よう」というメッセージを掲げます。
世界旅行で受けたインスピレーションをクリエーションへ昇華させること。
そしてフォルムや色、体の動き、伝統的な染めの技術の探求がコレクションのポイントとなっています。
このコレクションを筆頭に、自身の強みである探究心により掘り起こされた伝統的な染色技術は、その後の展開にも活かされています。
近藤悟史
活動の経緯
近藤悟史は2020年秋冬コレクションよりデザイナーに就任。
1984年生まれ。
2007年に上田安子服飾専門学校を卒業後、株式会社イッセイミヤケに入社。
創業者の三宅氏からの直々の指導を受けたのち、PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEデザイナーに就任。
2016年には、HOMME PLISSE ISSEY MIYAKEのデザイナーを兼任します。
2019 年、ISSEY MIYAKEのデザイナーに就任。
同年の9月にはパリで自身初の2020年春夏コレクションを発表し、大反響を呼ぶことに。
「服を着る喜び」を尊重するような服づくりを掲げており、これからのISSEY MIYAKEを担っていく人物です。
担当時の展開について
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2020SSコレクションより 天井から降下したランプシェードのような服を纏う演出は非常に注目されました 引用 fashionsnap.com
近藤悟史は初のコレクションから斬新かつ鮮烈なデビューを果たしています。
「A Sense of Joy」をテーマとし、演出にダンスを交え鮮やかで軽やかな服を発表。
ランプシェードのような形をした物体が頭上から降下してきたかと思うと、モデルたちの体を通ってドレスへと変身。
初のランウェイショーから観客を引き込みました。
近藤悟史は、鮮やかな色や柄により「着ることの歓び」を表現しています。
「1枚の布」による普遍的な服づくりを大切にしながら、これまでのISSEY MIYAKEとは異なる軽やかな素材、色使いを提案しています。
中古市場での評価
ここまでご紹介したとおり、さまざまなデザイナーが交代しながら作り上げてきたISSEY MIYAKEというブランドですが、「デザイナーごとの中古相場への影響ってあるの?」というお話をしていきたいと思います。
結論からいえば、ISSEY MIYAKEというブランドは、デザイナーごとの中古相場の評価の違いというものがあまりありません。
その理由としては各時代のデザイナーが、創始者の三宅一生さんの「一枚の布」というコンセプトを崩さず守り通してきたということが大きく影響しており、各時代のコンセプトにズレが無いのでISSEY MIYAKEというブランドの中古市場の評価は安定しているといえます。
また、デザインが古びないというのも、ISSEY MIYAKEの中古市場での評価として大きく影響している部分かと思います。
しかし、別格で高い評価を得ているアイテムとして、三宅一生さんがデザインしていた頃の名作といわれるものは中古市場で高額で取引されていることもあります。
一例としては、通称「イカコート」とも呼ばれるコクーンコートや、ミリタリー要素を取り込んだ「パラシュート」シリーズのジャケット、パンツなどはレアな名作として、非常に高額で取引されることが多くあります。
こういったものをもしフリマアプリなどで出品する際には、「本人期(三宅一生本人がデザインしていた時期という意味)」と記載したり、発売の年式が大まかにでもわかるよう「80s」などと記載すると高い金額での売却につながるかと思います。
また、多くのファッションブランドと同じように、新しいシーズンのものは当然高く取引される傾向がありますので、もし購入したけど着る機会がない…とお悩みのアイテムなどがありましたら早めの売却を検討してみるのもひとつの手といえるでしょう。
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まとめ
「一枚の布」という揺るぎないコンセプトを守り続け、デザイナーが変わってもブランドの色を失わない稀有なブランド、ISSEY MIYAKE。
しかし根幹は揺るがないままで、誕生から50年以上経つ今も進化を続けています。
そんなISSEY MIYAKEの歴代のデザイナーについて知ることで、よりブランドの魅力を感じていただければ幸いです。
2022年、惜しくも創始者でありブランドを支え続けてきた三宅一生氏が亡くなられて、今後の展開に注目が集まるところでもあり、ますます目が離せないブランドとなっていきそうです。
KLDでもISSEY MIYAKEのお買取を強化しています。
発売からの年数などに関係なく、強気のお見積りが可能なブランドですので、メンズ、レディース共に気になるお品物がございましたらお気軽にご相談ください。
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