年代別 ギャルの歴史|「ギャル」とは何なのか

× 事前査定

こんにちは。ブランド古着のKLDです。

世間的に90年代や00年代の文化のリバイバルなどが流行して久しい昨今。

「ギャル」という概念も、SNSなどを中心にリバイバル的に人気になっているのをご存知でしょうか?

「ギャル」とは一体何なのか?
日々何となく「ギャル」という概念を消費している私たちは、本当に「ギャル」というものを理解しているのか?

今回は、そんな疑問を解決すべく、「ギャル」の歴史を追ってみたいと思います。

  • ギャルとは?
  • ギャルの歴史
  • まとめ
  • KLDってギャル服買取できるの?

という形で、ギャルという概念に対する理解を深めるべく、調査していきます。

著者の見解もありますが、様々なインターネット上のコンテンツを参考にさせていただき、執筆させていただきました。

まとめの項にて参考サイト、書籍等を掲載させていただきます。

ギャルって何?

まず、大前提として「ギャル」とは何なのか?ということについてお話していきたいと思います。

私たちが現在「ギャル」と呼んでいるものは、90年代初頭〜2000年代中頃まで流行していた、露出多めな派手なメイク、ファッションの女性が原型となる存在を指しているかと思います。

概ね派手な色の髪と日サロで焼いた黒い肌、“鬼”ロングなネイル、アイメイクは濃くとにかくデカ目で、服装は短いスカートに厚底靴(もしくはミニスカートで着崩した制服姿)…というようなイメージの方が多いのではないでしょうか?

また、マインド的には「世間の大人の言うことなんて気にせずに自分の好きな格好、生き方を貫く」「明るくて人見知りしない」「“ギャル語”のような独自の文化を持っている」というようなイメージでしょうか。

厳密には時代によってファッションやメイクの移り変わりがあり、肌は黒肌から色白へ、メイクも抑えめに、ジャンルも細分化されていき…という歴史を辿って進化、衰退していった文化ではあるのですが、時代が令和になり、リバイバル的に流行している“ギャル”という概念は、概ね上記のようなものを指しているのではないかと思います。

ここからは、時代を追って“ギャル”という存在がどうやって生まれたのか、どう衰退して、現代再解釈されているのか…などを掘り下げていきたいと思います。

ギャルの歴史

80年代

「ギャル」という言葉自体は、実は昭和初期から日本で流行語として使われていた言葉だそうで、英語で「girl」が転じて「gal」という俗語になり、それが日本でも使われていたそうです。


1979年 沢田研二「OH!ギャル」 ギャル前夜といった感じの79年の曲ですが、「女は誰でもスーパースター」「男のペースで生きては駄目さ」など、現代のギャルマインドに通じる表現があり、「強くて自立心があり、尚且つキュートな女」像が支持を集めていたのではないかと思います。

意味としては、やはり若い女性を示す言葉ではあるのですが、現在のギャルに通じる流れが現れたのは、ここからお話しする80年代以降ではないかと思います。

80年代前半〜「イケイケギャル」

バブル真っ只中であった80年代、景気の良い日本に現れたのが、「ボディコン」と呼ばれる、タイトなファッションに身を包み、前髪を逆立て、ディスコで踊る、何とも景気の良い派手なお姉さん達でした。

そんな彼女たちは「ピチピチギャル」「イケイケギャル」などと呼ばれ、当時の日本で「イケてる(が、軽薄な)若い女の子達」という風に表現され、メディア等でもてはやされていました。

年齢的には大学生〜OLというような20代までの女性のイメージで、本記事で掘り下げる「ギャル文化」のメインの年齢層よりは少し上のイメージですが、「若く、軽薄気味で派手な女性」を「ギャル」と呼称する文化はこのあたりの流れを受け継いでいるのではないかと思います。

ヤンキー文化の広がり

上述のイケイケギャルの流れとはまた別のところで、80年代、ヤンキーや暴走族の隆盛という出来事が起こっていました。

70年代から“スケバン”文化などは存在しており、ヤンキー文化は80年代も脈々と続いていたのですが、ヤンキーファッションが一般層にも広がったり、ヤンキーカルチャーが一層盛り上がった時代でした。

一見“ギャル”とは関係の薄そうなヤンキー文化ですが、90年代のギャル達は強めの縦社会の中で生きており、“ギャル”という記号をまとって社会に反抗し、大人が眉をひそめるような派手なファッション、メイクなどを共通のユニフォームのようにし、サークルのような形で派閥を作っていたり…など、ヤンキー文化とギャル文化には精神的な共通点があると考えられます。

このようにヤンキー達の精神は、その後の90年代〜00年代、最盛期のギャル達のマインドに受け継がれていくといえます。

80年代終盤〜「パラギャル」

マインドがヤンキーの流れを汲んでいるとすれば、ファッション的に90年代以降のギャルの原型になったのではないかという存在が、この「パラギャル」と呼ばれるもの。

おそらく80年代の終わり〜90年代前後に流行したと思われるファッションで、「パラダイスギャル」を略したその名前のとおり、LAのビーチ/サーフ風のファッションを取り入れ、「毎日がパラダイス」という揶揄が名前の由来の、主に大学生くらいの年代の女性たちです。

ヘルシーな色気が持ち味で、リゾート風のミニワンピースに「L.A Gear」の白いスニーカーなどのスポーティーな要素を入れているのが特徴。

メイクは後の「ギャル」よりも薄めで健康的な雰囲気。

文化圏としては、80年代後半〜90年代、「チーマー」と呼ばれる、渋谷を中心に存在していたストリートの不良文化に寄り添うような形で、チーマーの界隈が主催するクラブでのイベントに出入りする女性達にパラギャルファッションが流行していたようです。

尚、チーマーとヤンキー/暴走族は、似て非なるもので、ヤンキーはどちらかというと地方で隆盛しており、チーマーは渋谷を中心にした「毛並みのいい不良」と言える、比較的裕福な家庭で学歴も高い学生が不良化したグループで、当時、渋谷の外から来たヤンキーとチーマーの抗争があったりなど、対立する立場だったようです。

この「パラギャル」のファッションや文化は、現在の「ギャル」の原型になったのではないかと思います。

90年代

90年代、上記の流れから現在のイメージに近い「ギャル」が生まれ、最盛期を迎えます。

90年代前半〜「コギャル」の誕生

のちにギャル文化の根幹を成すことになる女子高生たちは、90年代初頭、「コギャル」という呼称で呼ばれていました。

元々、前述の「パラギャル」がクラブイベントに出入りしていた頃、未成年である高校生たちも年齢を偽ったりなどしてクラブに出入りしていました。
そんな未成年を指して、クラブの警備員達はスラングとして彼女たちを「コギャル」と呼んでいたようです。

コギャルというジャンルが世間に浸透したのは90年代中盤ごろからでしょうか、パラギャルの流れを汲んで肌は健康的な小麦色、「チビT」などと呼ばれていたタイトなTシャツにミニスカートなどのLA風ファッションを源流としつつも日本で独自の進化を遂げたヘルシーな肌見せファッション、髪の毛を染めて茶髪にするのも90年代からポピュラーなものとなっていきます。

当時、ギャルのルックスのお手本となったといえるのが飯島愛さんでしょうか。
茶髪のロングヘアに小麦色の健康的な肌色、明るい笑顔で写真に写り、メディアに出演する姿はまさにギャル。

90年代半ばまでのギャルのメイクは現在のギャルのイメージからすればまだまだ薄めでしたが、細眉にワンレンの茶髪スタイルは、「ギャル」という独自の文化圏の土台となりました。

高校生や大学生を中心として広まっていったという事もあり、大人の世界とはある種断絶された独自のコミュニティの中で独特な文化が形成され、それが後々までギャル文化の核をなすものになります。

90年代中盤「アムラー」

厳密にいえば「ギャル」というカテゴリーとは似て非なるものといえるのですが、90年代半ば、メインストリームの一角を担っていた存在が「アムラー」と呼ばれる存在。

歌手の安室奈美恵さんの爆発的なブームにより、彼女のファッション、メイクを真似た女性が街に増え、「アムラー」と呼ばれる一大勢力となっていました。

当時のアムラーのファッションといえば、バーバリーのミニスカートに黒いタートルネックニット、そこに厚底の黒いロングブーツを合わせたコーディネートが定番。

これは安室奈美恵さんが97年、当時の恋人のSAMさんと結婚会見をした時の服装でした。

他にもクールな印象のパンツスーツや、白いミニスカート、トップスのセットアップでオールホワイトのコーディネートなどを細眉に茶髪のヘアスタイルに合わせ、安室奈美恵さんをイメージした全体的に「格好いい」印象のスタイルが主流。

安室奈美恵さん本人は、決して「ギャル」の文脈から生まれたアーティストではありませんが、当時の若い女の子たちにとってはカリスマ的な存在として、“ギャル”の中にもアムラー的な服装は浸透し、その後のギャル文化を作っていったひとつの潮流になったといえます。

90年代後半〜00年代前半 ギャル文化の最盛期

90年代前半から生まれたコギャル文化はさらに勢いを増して、90年代後半〜2000年初頭あたりに全盛期を迎えたといえます。

コギャルとして生まれたギャル文化は「ギャル」という一つのジャンルになり、若い女性のメインストリームの一つとなっていきました。

ファッション、メイクは90年代よりもさらに派手になり、目を大きく見せるためにつけまつ毛を重ね付けする、アイラインをかなり濃く、太く引くなどのデカ目メイクや、長く派手な装飾がついたネイルアートなども流行しました。

肌を日焼けサロンなどで焼く「ガングロ」「ゴングロ」などの文化もこの時流行しました。

ギャルの一部では、よりその派手さを追求した「ヤマンバギャル」も登場。

かなり黒めのゴングロの肌が基本で、ハイブリーチの髪にカラフルなメッシュを入れて、メイクはハイライトを極端に白い色で鼻筋、目の下などに引き(発色の良さを求めて「ポスカ」を使うギャルも多くいました)、つけまつ毛は目の周りを囲むようにかなりオーバーライン気味に貼り付けて目を大きく見せることに特化、目の周りなどをラインストーンのシールで飾ったり…など、かなりデフォルメされた派手なメイクを施すのがヤマンバギャルの特徴でした。

ギャル文化を中心に発信する雑誌、「egg」の創刊も1995年のことでした。
この頃は雑誌というメディアが現代よりも力を持っていた時代で、こういった雑誌を中心としたコミュニティによってギャルカルチャーが広まった部分もあるかと思います。

プリント倶楽部、通称「プリクラ」のブームが爆発したのも90年代中盤。
元々はサラリーマンの名刺に顔写真を手軽に貼る用途を目的とした機械だったという説もあるプリクラは、結果的に高校生を中心とした若年層に爆発的な支持を得て、その後若者向けのツールとして進化していくこととなります。

SHIBUYA109を中心とした渋谷の盛り上がりもこの時代が最高潮。

ギャル以外にも若者の文化が渋谷で盛り上がっていた時代でしたが、特にギャル文化の中では「聖地」のような存在であり、SHIBUYA109のショップで働くスタッフの中には「カリスマ店員」として雑誌などに特集を組まれるギャルたちもいました。

彼女たちが店頭で着ているコーディネートを一式全て購入するのが憧れ!というような文化が出来上がっており、高校生を中心とした若年層のムーブメントにも関わらず、大きな経済効果を生んでいたそうです。

2000年代初頭には、ギャルたちの教祖とも言える存在である浜崎あゆみの人気も最高潮になりました。

幅広いジャンルの音楽性を取り入れた楽曲はもちろんのこと、愛、失恋、生きる上での葛藤などを描いた、決して明るいばかりではない歌詞は若年層の女性から熱狂的な支持を受け、当時刹那的なマインドを抱えたギャルたちからも強い支持を得ていました。

また、売春や暴力などといった重いテーマを扱ったケータイ小説が大流行するなど、この時代のギャルは底抜けに明るいキャラクターに見えて、心の闇のようなものを抱えている傾向が強かったように思います。

社会的にも援助交際などの問題などとセットで語られることが多く、ギャル文化の内と外に明確な隔たりがあった事も手伝って、「ギャルは怖い」というイメージを持つ人は多かったと思います。

「パギャル」(ギャルになりきれていない中途半端なギャル)という言葉もあり、この頃のギャル文化は排他的で、「ギャル」という集団を重んじ、上下関係も強く存在する、ある種ヤンキー的な構造を持っていたといえます。

この頃、ギャル人口が増えた背景には、「ギャルサー」と呼ばれるギャルのサークル活動が活発だったこともあるのではないでしょうか。
その名の通りギャルが集まって様々なサークル活動をおこなっており、当時、東京を中心とした都市部に複数のギャルサーが存在していました。

ギャルサーにも活動内容によって種類があり、集まって会話や情報交換を楽しむサークル、当時流行していたパラパラを練習するサークル、クラブイベントを主催するサークルなどがあったそうです。

当時一般にも普及し始めていたインターネット上で活動を発信することもあり、魔法のiらんど(小説投稿を主とし、簡易的なホームページなどを作れるサービス)などでサークルのHPを作成しているギャルサーも多くいました。

このように90年代後半〜2000年代初頭はギャル文化の最盛期ともいえる時代で、ギャルが中心となって流行した文化は挙げていけばキリがないほどです。

またこの頃、ギャル文化の外でもギャルをモチーフとした漫画などが複数展開され、「ギャル」という存在がデフォルメされ、キャラクター化される風潮が出来始めました。

00年代

00年代半ば〜後半 ギャル文化の細分化と下り坂

2000年代前半あたりまで隆盛を極めたギャル文化でしたが、2000年代も中盤に差し掛かる頃、勢いを失っていきます。

インターネットが一般に普及し始めたこの時代、それと同時に若者のファッションの多様化が進み、ギャルのような大きなムーブメントが生まれにくくなっていきます。

女子高生の制服の着こなしなども変わっていき、この頃は全盛期のようにルーズソックスを履いている高校生はほぼいなくなったのではないでしょうか。
靴下の話でいえば紺のハイソックスが主流になり、少しづつ綺麗めな着こなしに流れていった時代といえます。

ファッションだけに限った話ではありませんが、「1つの流行を大多数が追いかける」という文化が徐々に衰退し、ギャル文化もまた、「ギャル」の文脈の中で多様化していきました。

ギャル全盛期の小麦色の肌のギャル〜ガングロギャルに対して、白肌を標榜する「白ギャル」が登場、ギャルの中のもう一つの主流となります。

また、さらにギャルのファッションジャンルは細分化されていき、その名の通り「お姫様」のようなロマンチックでゴージャスな要素を取り入れた「姫ギャル」なども登場します。

こういった、既存のギャルのヘアメイクを踏襲しながらフェミニンなファッション要素を取り入れる流れが生まれ、「姫ギャル」などはまだ異端な存在ではありましたが、その後ギャルファッションの一翼を担う存在となっていきます。

また、姫ギャル的なファッションはその後キャバ嬢などのナイトワーク的な文化と合流し、「小悪魔ageha」創刊後に流行した「アゲハ系」「age嬢」などを生むこととなります。

また、この頃、テレビなどのメディアに「ギャルタレント」が出演することが増え、「明るくポップで少しおバカ」なイメージの彼女たちを通して、「ギャル」の世間的なイメージも徐々に変わっていったといえます。

90年代には「ギャルは怖い」というイメージがありましたが、徐々に街から90年代的な不良文化と紐づいた「リアルなギャル」が減っていき、それに反比例してメディアなどで明るくポップなギャルを目にする事が多くなり、世間的に「明るく、誰にでも分け隔てなく接するギャル」のような概念が出来上がっていったのではないでしょうか。

この時期、「ギャル」はムーブメントとして衰退はしていきましたが、まだファッションジャンルの一つとして「ギャル」というジャンルはあり、商業施設の中にギャル服のフロアはあった…という印象です。

2010年代

2010年代前半 リアルギャルの衰退

2010年代に入ると、いよいよ街からギャルの姿は消えていきます。

95年に創刊された雑誌「egg」も、2014年に一旦休刊、「age嬢」文化を作った雑誌である「小悪魔ageha」も休刊する事となり、いよいよギャル文化の一旦の終焉を感じるのがこの2010年代でした。

また、2010年代初頭、日本の若者文化を中心に、大きなムーブメントが起こります。
それが、現在まで未だ流行し続けている、韓国ブームです。

韓国のファッション、メイク、音楽、食べ物などの文化が日本の若年層の中でトレンドとなり、爆発的に流行。
若年層のトレンドが一気に韓国一色に塗り替えられたといっても過言ではないくらいの白熱ぶりを見せました。

若年層を中心に韓国風の「オルチャンメイク」が取り入れられたり、2010年代半ば以降は「AliExpress」や「SHEIN」などの海外系の安い通販サイトでのショッピングも流行。

メイクやファッションも韓国をはじめとしたアジアのトレンド色が強くなっていきます。

こういった影響もあり、当時の巷の女子高生の制服の着こなしも、髪色はダークに、肌は白肌が至高で太眉メイク、全体的に綺麗めに着こなす風潮が強くなっていきます。

このように、ファッションジャンルとしても徐々に都心の主流からは外れてしまったギャル文化でしたが、地方にはまだまだギャルがいたり、ギャル的なファッションを受け継いでいる層は存在していました。

また、リアルなギャル文化を継承していくため、この時期に発足したギャルサーなどもありました。

しかしこの頃のリアルなギャルはなかなか厳しい状況にあったようで、渋谷を歩いていると「時代遅れ」などと嘲笑されることもあったそうです。

しかし、2000年代に見られた「ギャルの概念化」は続いており、SNSなどを中心に「あげぽよ」などのギャル語は変わらず流行していましたが、「ギャル」を外側からメタ的に見たような、キャラクターとして捉えて消費するような雰囲気が漂っていました。

ギャルという存在が消えたというわけでありませんが、リアルなストリート文化の「ギャル」から、ネット上、メディア上の概念のような存在としての「ギャル」への転換がより進んだ時期なのではないかと思います。

また、この頃「ネオギャル」と呼ばれる新しいジャンルも誕生しており、ギャルを彷彿とさせる強めのヘアメイク、ストリート感のある海外セレブのようなコーディネートを合わせた新しい「ギャル」たちがSNSを賑わせていました。

この「ネオギャル」と呼ばれるジャンルは、元々は本流のギャルファッションを楽しんでいた一部のギャルが、SNSなどから海外セレブのファッションやストリートスナップ、インポートブランドのコレクション等を見て取り入れたものではないかと思います。

「FIG&VIPER」のクリエイティブディレクターである植野有砂さんのファッションなどが代表的な例で、こういったファッションを楽しむ層はこれ以前から存在していましたが、2014年頃に「ネオギャル」としてメディアなどで取り上げられるようになりました。

こういった形で、ギャル文化の本流は衰退していきましたが、枝葉を伸ばしながらギャルという概念は継承されていきました。

2010年代半ば〜後半 「ガールクラッシュ」とリバイバルの兆し

この頃、雑誌というメディアとしてギャル文化を中心に発信していた「Ranzuki(「ランキング大好き」として創刊)」も、この頃になると徐々にギャル要素が抜けていき、その後2018年に廃刊となります。

高校生を中心として人気の雑誌「Popteen」も、ギャルが高校生のトレンドでなくなると共に、ギャル要素が抜けていきます。

雑誌という媒体自体が衰退したこともありますが、このようにギャル文化を発信していた雑誌が廃刊となったり、ティーン向けの雑誌に取り上げられなくなり、いよいよギャルという文化は一部のコアな層に支えられるジャンルになっていったという印象があります。

そんな中、2018年にギャルにとっての大きな節目が訪れます。
ギャル文化を代表する雑誌である「egg」がデジタル版として復活したのです。

それだけにとどまらず、eggはTwitter(現X)にて「このツイートが1万RT達成すれば、5月にeggが雑誌で復活します!」キャンペーンを開始。
その後、クラウドファンディングでの資金集めも成功し、紙媒体の雑誌として復刊を遂げました。

2010年代の前半には完全に衰退したと思われたギャル文化でしたが、ここにきてリバイバル的なムードで世間に歓迎され始めたといえます。

復刊されたeggはギャル文化全盛期の雰囲気を残しつつ、韓国風のメイク、ファッションを取り入れたギャルや、全盛期のメイク、ファッションを踏襲したギャルなどもおり、時代にフィットした多様性のあるギャル文化を打ち出していました。

また、もう一つギャル文化のリバイバルをブーストしたのではないかという出来事が2010年代後半にありました。
それが2017年前後から日本でも流行していた、K-POPにおける「ガールクラッシュ」です。

ガールクラッシュとは、伝統的な「女らしさ」を超えた、「独立し、他人の意見に左右されない強い芯を持った女性像」を全面に打ち出したK-POPのコンセプトの一つです。
「BLACKPINK」や「MAMAMOO」などのグループなどが、ガールクラッシュの流行の火付け役となり日本でも流行。

「女の子らしく、可愛く守られる存在」ではなく、「強く独立し、クール」な女性像は多くの共感を呼び、K-POPにおけるガールクラッシュ的な女性像は若年層に広く受け入れられました。

メイクやファッションも「可愛い」よりも「格好いい」雰囲気で、ヘルシーな肌見せなどが特徴。
マインド面でも、強く、世間の声に左右されない独立した自我を持っている…と言う点で、ギャルとの共通点があったといえます。

そのためか、次第にSNSなどで、ガールクラッシュ的なファッション、マインドなどの人物に対して「ギャル」と形容するシーンが散見されるようになり、厳密にいえば両者は全く違う背景を持つ文化なのですが、徐々に近づき、一部が溶け合ったといえるのではないかと思います。

ファッションとしては前述の「ネオギャル」の流れも汲んでいるといえますが、ガールクラッシュの流行により、より「強い女」的なギャル像が浮き彫りになったといえます。

2020年代

2020年代前半 「令和ギャル」という概念

そして2020年。
2010年代後半の流れを汲んで、ギャル文化は更にリバイバル的なブームの勢いを増しています。

メイク、ファッションについては1つのジャンルとして定着し、往年のギャル的なルックスの流れを汲みつつもアップデートされた「ギャル」をSNSなどで目にすることが多くなりました。

このリバイバル的な流れにおけるギャルは「令和ギャル」と呼ばれ、90年代ギャルの流れを汲みつつも「今っぽい」価値観で展開されています。

これは90年代のリアルなギャル世代の子供が成長し、ティーンエイジャーに差し掛かっていることも要因の一つではないかと言われています。

令和ギャルの新しい流れの一つとして、「ギャルマインド」と言う概念があります。
これは、「心の中にギャルを飼って最強になる」「マインドがギャルなら見た目がどうであれそれってギャルだよね」というような新しい価値観。

ここでいうギャルマインドは、90年代の全盛期にいたストリートのギャルというよりは、2000年代に認識されはじめた「明るくポップな」ギャルを指しており、辛いことがあっても「どうにかなるっしょ」的に、ポジティブに生きていく人物像のマインドを指しています。

この発想はSNSで広く人気となり、ギャルマインドという概念に勇気をもらったという人が多く見られるようになりました。

しかし、「マインドがギャルなら見た目がどうであれそれってギャルだよね」という価値観に、誰もが共感しているわけではないといえます。
やはり「ギャル」はそのファッション、メイクも特徴の一つであり、そのルックスを作るために、リアルなギャルたちは弛まぬ努力をしてきたと言う背景があります。

彼女たちが努力して作り上げたその美しさを差し置いて、様々な見た目の人がマインドだけで「ギャル」を自称する文化には、疑問を持つ層も一定数いるようで、「ギャルです」的な自己申告と共にSNSに投稿された写真に「ギャルどこだよ(どこに写ってるの?の意)」という辛辣なコメントがついている様が散見されるなど、「それはギャルじゃない」問題も生まれているようです。

しかし、前述の韓国ブームなどもあり、ギャルのルックス自体が多様性を持っている今、「ギャル」の見た目の定義は昔よりも難しいものになっているのかもしれません。

このように、現在リバイバル的なブームを巻き起こしている「令和ギャル」は、多様性を飲み込みつつ全盛期のギャル像を尊重し、進化している存在といえます。

まとめ

ここまで、ギャルという文化の歴史を、年代順にお話させていただきました。

「ギャル」という文化が90年代前後に登場し、現在まで受け継がれてリバイバルブームさえ起こしているというのは本当にすごいことだと思います。

メイク、ファッションをはじめとした一つのカルチャーがここまで長く愛されて続いているというのは、なかなか他に類を見ないことではないでしょうか。

時代と共に少しずつ形を変えている「ギャル」ですが、これからもギャル文化が続いていけばいいと僭越ながら強く感じています。

ありがとうございました。

参考
The COMM:ギャルの歴史
BuzzFeed News:「渋谷区で保護して」トキより少ないガングロギャルが政治家と未来を語り合ってみたら…
書籍:鬼強ギャルマインド 心にギャルを飼う方法

KLDでギャル服って買取できるの?

ここまでギャルの歴史についてお話してきましたが、KLDはブランド古着の買取、販売専門店です。

「ギャルの記事書いてるってことはギャル服の買取できるの?」とお思いの方も多いかと思いますが…大変申し訳ございません、現在KLDでは「ギャル服」と呼ばれる主に109系のブランドの服や、ファストファッション系のブランドの服のお買取をおこなっておりません。

買取できないのになぜこのような記事を出したかといえば、ブランド古着店として、日本のファッション文化を振り返った時、ギャル文化は決して無視できないものと判断してのことでした。

全盛期ギャルの憧れブランドであったLouis Vuittonや、ギャルを卒業した方がお持ちのお洋服などは積極的にお買取をおこなっております。
取扱ブランドに関しては以下のページをご覧ください。

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