Yohji Yamamotoデザイナー、山本耀司ってどんな人?その1|ヨウジヤマモト

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こんにちは。ブランド古着のKLDです。

今回は、Yohji YamamotoやY’sのデザイナー、山本耀司さんは一体どんな人なのか?ということで、その人となりをご紹介していきたいと思います。

初めのブランド設立は1972年、そこから常に活動は話題になり、日本でもっとも著名で注目されるデザイナーの一人といえる山本耀司さん。

今回は「その1」「その2」と、2つの記事に分けてご紹介していきます。

山本耀司さんについての記事「その2」はこちら

Yohji Yamamotoデザイナー、山本耀司ってどんな人?その2|ヨウジヤマモト

こんにちは。ブランド古着のKLDです。 こちらの記事では、「その1」に...

Yohji Yamamotoデザイナー、山本耀司ってどんな人?その2|ヨウジヤマモト

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改めて、ヨウジヤマモトとは


引用 YohjiYamamoto 公式instagram

YohjiYamamoto(ヨウジヤマモト)は、デザイナーの山本耀司が設立したファッションブランドです。

1981年、パリコレクションに初めて参加。当時タブーとされていた”黒”を前面に押し出したショーを展開し、“黒の衝撃”と称され大きな話題を呼びます。

左右非対称なカッティングや、空気をまとうようなゆったりとしたシルエットなど、時代に流されない力強いデザインで、従来の性別の固定概念を覆しました。

全てのデザインの根底にあるのは“反骨精神”や“脱構築”の意識。

現在も黒を基調としたデザインを特徴としながら、装飾的な要素を取り入れシーズンごとの世界観を表現し、熱烈なファンを獲得しています。

主となるラインは、「Y’s」「YohjiYamamoto」「YohjiYamamotoPOURHOMME」「GroundY」。
「NEWERA (ニューエラ)」や「adidas (アディダス)」などのコラボレーションも、たびたび話題を呼んでいます。


引用 YohjiYamamoto 公式instagram

デザイナー、山本耀司


引用 wwdjapan.com

デザイナーは、山本耀司(ヤマモトヨウジ)さん。
1943年に東京で生まれました。

幼いころに父親は戦死し、洋装店を営む母親のもとで育ちます。

高校卒業後は、慶応義塾大学法学部へ進学。
数多くいるデザイナーの中で、極めて高学歴なファッションデザイナーのひとりです。

その後、文化服装学院へ入学。
自身のデザインをコンテストに応募し1969年に”装苑賞”、”遠藤賞”も受賞しました。

1972年には、自身の会社「Y’s(ワイズ)」を設立。
同年にパリコレデビューも果たします。

1994年、日本人デザイナーで唯一のフランス芸術勲章“シュヴァリエ”、2005年フランス国家功労勲章”オフィシエ”を受賞。
2008年、ロンドン芸術大学より”名誉博士号”を授与されました。

さらには、フランスで芸術文化勲章の最高位である“コマンデュール賞”も2011年に受賞。
数々の名誉ある賞を受けています。

現在も、パリでコレクションを発表し続けることに信念を持ち、世界で活躍する日本が誇るファッションデザイナーです。

山本耀司を形作るもの

パリコレへのこだわり


引用 fashionsnap.com

「山本耀司=パリコレ」と言ってもよいほど、山本さんにとってパリコレは特別な場所です。

パリで開催されるプレタポルテ(高級既製服)のコレクション、パリコレ。
世界中のデザイナーが競い、バイヤーやジャーナリストは最先端の服を求めて集まります。

今でこそ“レジェンド”などと呼ばれ、誰もが知るデザイナーとなった山本さんですが、ショーに初参加した頃は、評価は賛否両論の嵐でした。

それまでの西洋の服のルールに反する表現として、メディアでは批判の声も。

そこから徐々に認められて、現在に至ります。
今では、山本さんが”パリコレは自身の存在理由”と言うほど大きなものです。

そんなパリコレの昨今について、
「パリコレ全体が目標を失ってしまい、つまらなくなってきている気がします」
と山本さん。
(書籍「服を作る-モードを超えて」中央公論新社 より引用)

ネットの普及などで便利になった反面、情報は蔓延。
“物事を突き詰めていく”ということが少なくなっているのではないかと考えます。

かつて山本さんがショーで感じていた、”命を削るように競っていた気持ち”や、”服の持つ本来の力を見せつける”ということ。
これらを、伝える役割を果たしたい。
そんな想いもあるそうです。

1961年のデビュー以来、パリ一筋で40年近くショーを行なう山本さんにとって、パリコレは山本耀司というデザイナーを形作る大きな要素の1つです。

父と母、子供の頃の記憶


引用 nikkei.com

1943年、ちょうど太平洋戦争の状況が厳しくなってきた頃、山本さんは父の文雄さん、母の冨美さんの長男として生まれました。

父親の趣味は写真。ドイツ製の二眼レフを愛用していたのだとか。
まさに大正ロマンといったダンディーなかっこいい方だったそうです。

しかし戦争に行くこととなり、戦死。
その後、母親に女手ひとつで育てられます。

母親は、山本さんを養うために洋裁の技術を身につけ、歌舞伎町の新宿コマ劇場の近くに「フミ洋装店」を開きました。
立派に子供を育てなければ。という思いで、休む間もなく懸命に働いたそうです。

そして、その必死で働く母親の姿。
また、歌舞伎町という場所での女性を取り巻く環境に、山本さんは幼いながらに「自分は強くありたい!」という思いがありました。

そんな気持ちもあり、小学生の頃には剣道や柔道の練習を始め、熱心に習い武道を身につけたそう。

山本さんは、子供時代の当時の記憶を、
「幼いころから女の人をとおして世の中を見続けてきました。そして、女性が無理をしなければならないような不条理な社会を作った男性は、みんな敵になった。」
と言っています。
(書籍「服を作る-モードを超えて」中央公論新社 より引用)

男らしさの象徴のような雰囲気の山本さん。
ご両親の存在と、幼いころ感じていた女性に対しての思いが原点にあるように感じます。

学生時代とパリとの出会い


慶應義塾大学 三田キャンパス 引用 keio.ac.jp

山本さんは絵を描くのが好きで、中学高校の頃には、漫画をたくさん描いていました。
高校の頃には絵画教室に通い、そこでデッサンを学ぶこととなります。

その教室は長沢節さんが開く教室で、生徒はデザイナーを目指す年上の人が多く、その中には、花井幸子さん(ユキコハナイ)、金子功さん(ピンクハウス)の姿も。
後に山本さんより少し早く活躍することとなる、名だたるデザイナーの面々です。

※長沢節(ナガサワセツ)…デッサンの名手と言われたファッションイラストレーター、享年82歳。1954年にはセツモードセミナーを開校し、コムデギャルソンの川久保玲なども輩出。

大学受験のころには、すでに2次試験を通過していた東京藝術と、慶應義塾との選択。
母親の苦労を見てきた山本さんは、親孝行になればと”慶應”を選び、無事合格しました。

しかし“母親の為”と優等生でいたのも、そこまで。
“慶應ボーイ”となってからは、とても遊びほうけていたのだそう。

就職を考える時期になっても企業に入る気など全く起きず、友人とヨーロッパに旅行へ出かけます。

その旅行中に出会った運命の場所、それがパリでした。
山本さんとパリの最初の出会いです。

ドイツから列車で向かいパリ駅で降りた瞬間、何か運命のように感じたのだとか。

デッサンの学びや、学生時代の旅行先でのパリとの出会い。

山本さんのデザイナー人生がすでに始まっているような出来事の数々です。

装苑賞と挑んだパリでの屈辱


第25回装苑賞を受賞した山本さんの作品 引用 fashionsnap.com

“装苑賞”とは、文化出版局が発刊するファッション雑誌「装苑」の歴史あるファッションコンテスト。
過去には高田賢三さん(ケンゾー)などが受賞し、多くの著名デザイナーを輩出しています。

大学卒業後、山本さんは企業就職を避け、母親の洋裁店を手伝う理由付けで文化装飾学院へ入学。
そこで自身の作る服を、装苑のコンテストへ応募します。

すると山本さんの作品は、コンクールの頂点”装苑賞”を獲得することに。
「久々の大型新人」として高く評価されることとなります。

その後1969年には、優秀な学院生に贈られる”遠藤賞”も獲得します。
そして再びパリへ。
今度はデザイナーとしての実力を試しに、かつて運命を感じた場所へ飛び立ちます。

しかしその頃、パリのファッション界はオートクチュール(高級注文服)からプレタポルテ(既製服)へと移行し始めた時期でした。

山本さんが今まで学んできたファッションとは違っていたのです。

いくら売り込みいっても、門前払いばかり。
山本さんの自信は打ち砕かれ、帰国することを選びます。パリでの滞在は1年ほどでした。

結果的に屈辱を感じることなってしまったパリ。

山本さんのデザイナー人生において、初めてのショックな経験だったのではないでしょうか。


「装苑」に初めて掲載された山本さんの作品(文化出版局 1968年3月号165P)

ワイズ設立とそれからの10年


引用 YohjiYamamoto 公式instagram

パリから戻ってからは、山本さんは母親のお店で客のオーダーメイドの服作りを手伝いました。
そこで感じていたのは、“女性が望む服は、どれも窮屈そう”だということ。

1972年、山本さんは“生地を生かす服作りを実現しよう”と、東京青山のマンションの一部屋で既製服メーカーを立ち上げます。

社名はデザイナー名を前面に出さないシンプルなものが格好いいと考え、山本の「Y」に「’s」を付けただけ。『Y’s(ワイズ)』の誕生です。

それからの10年間、山本さんは仕事に専念し、死に物狂いで働いたのだとか。

山本さんが最初に作ったワイズの女性服は、くすんだ色の綿やウールの生地の男性物のようなオーバーサイズのコート。
これまでの女性服とは異なり、華やかさに欠けるそのデザインは珍しいものでした。

そして予想を上回る反響となった、撥水生地で作ったレインコート。
それをきっかけに少しずつ関心を集め、「女らしさを排除した新感覚の婦人服」としてモード誌で特集を組まれるまでになります。

山本さんの思いをもとに立ち上げた「ワイズ」。
懸命に服を作った結果、話題のブランドとなりました。

パリデビュー“黒の衝撃”


引用 mensfashion-brand.com

1981年4月、山本さんはついにパリに店を開きます。
初めてのパリでのファッションショーを行なったのもこの年です。

またその頃、同じタイミングでコムデギャルソンの川久保玲さんもパリデビュー。
山本さんと川久保さんの同時デビューは、モード界で注目を集めます。

そしてさらに話題となったのは「黒の衝撃」と呼ばれた、山本さんの発表したデザインでした。

当時は、肩パットの入った広い肩ラインやウエストを細く絞る、いわゆる“ボディコンスタイル”が主流だったパリコレ。

それに対し、黒をメインとしたオーバーサイズの服の重ね着や、アシンメトリックなデザインを山本さんは発表します。

するとメディアでは、山本さんのデザインに対し賛否両論の嵐。
絶賛するメディアもありましたが、”西洋の伝統への冒涜だ”と、否定的なものも多くありました。

そして話題は加熱。“DCブランドブーム”といわれる社会的現象を呼ぶほどになります。

大きな爪痕を残した山本さんのパリデビュー。

現在でもどのメディアでも取り上げられている、モードの歴史に名を刻む、伝説といっても過言ではない出来事です。

その2に続く

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ここまで読んでくださった方へ

ここまで読んでくださりありがとうございました。

山本耀司さんの生い立ちからファッション界へのデビューなどを中心に、山本耀司さんというデザイナーを形作る要素をご紹介しました。

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