元セリーヌ、フィービーファイロってどんなデザイナー?|Phoebe Philo
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
大手メゾン「Chloé(クロエ)」や「CÉLINE(セリーヌ)」のクリエイティブディレクターとして、数々の功績を残してきた「フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)」。
高いセンスはもちろんのこと、女性としての生き方についても評価は高く、セリーヌ退任後も、動向が注目されているデザイナーです。
今回は、
- フィービー・ファイロってどんな人?
- フィービーの経歴
- フィービーを形作るもの
- セリーヌ時代に生み出した名作アイテム
という形で、いまだ人々を魅了し続けるフィービー・ファイロについて、どのような人物なのか?を紐解き、名作アイテムについてもご紹介していきたいと思います。
デザイナーを知ると、よりそのアイテムに愛着が湧くということもありますよね。
クロエやセリーヌのアイテムがお好きな方は、ぜひとも本記事をご覧ください。
目次
フィービー・ファイロについて
フィービー・ファイロ 引用wwdjapan.com
「フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)」は、1973年にフランス・パリで生まれ、誕生後ほどなくして、英国人である両親の母国イギリスに戻りました。
幼少期はロンドンで過ごし、名門ロンドン芸術大学“セントラル・セント・マーチンズ (Central Saint Martins)” に入学。
後に彼女の運命を変える“ステラ・マッカートニー”との出会いもこの時で、一つ上の学年にステラは通っていました。
セント・マーチンズでの出会いをきっかけに、親しくなったフィービーとステラ。
二人は、デザイナー人生に大きく関わるほどの親しい存在となります。(のちほど詳しくご紹介します。)
デザイナー「ステラ・マッカートニー」 引用vogue.co.jp
そして1996年、フィービーはセント・マーチンズを卒業しました。
卒業後は持ち前のセンスや洞察力を発揮し、クロエやセリーヌといった大手メゾンのクリエイティブディレクターとして活躍。
またカルト的な人気も獲得しており、フィービーの熱狂的な支持者を指す“Philophiles(ファイロフィル)”という言葉や、フィービーの作品がファッション業界に及ぼした変革効果を表す“Céline- ification(セリーヌ化)”という言葉も生まれるほどでした。
そんなカリスマ的存在であるフィービーですが、滅多にメディアに出ない無口な女性としても有名で、頑なにプライバシーを明かすことはありませんでした。
寡黙に作品と向き合うストイックさがあると同時に、子どもとの日々の暮らしを大切する家族思いの一面も持ち合わせているようです。
現在は、夫のマックス・ウィグラムと3人の子どもとともに、ロンドンを拠点に活動。
フィービーは、数えきれないほどのトレンドを生み出し、様々な革命を起こしています。
ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ 引用fashionsnap.com
フィービー・ファイロの経歴
ここからは、無名時代や数々の功績と革新を遂げたキャリア絶頂期など、フィービー・ファイロが歩んできた経歴を紹介します。
1996年 無名時代のキャリア
セントラル・セント・マーチンズ 引用ryugakupress.com
1996年にセント・マーチンズ卒業した後、フィービーはロンドンのデザイナーであるパメラ・ブランデルの元で経験を積んでいます。
その後、フィービーはステラ・マッカートニーの立ち上げたばかりのブランドを手伝うようになりました。
しかしほどなくしてステラは、クロエの親会社リシュモンからスカウトを受けることとなります。
自身のブランド事業を進めていたステラでしたが、クロエに入社することに。
このステラに訪れた転機は、後にフィービーにとっても大きな転機となります。
無名であったフィービーのファッションキャリアに大きな変化が訪れる、きっかけとなる出来事です。
1997年 クロエに入社
クロエ 引用chloe.com
1997年、フィービーはロンドンからパリに拠点を移し、クロエに入社。
この入社こそが、ステラの転機と同時に訪れたフィービーの転機です。
ステラは、クロエの親会社からスカウトを受けた際に「フィービーも一緒に入社させてもらえないか」と頼んだそう。
それがきっかけになり、ステラはクロエのクリエイティブディレクターに、フィービーはクロエのアシスタントデザイナーに就任しました。
フィービーは、ステラを支える右腕として活動し始めます。
2人はクロエのイメージを変えるべく、可愛らしいキャミソールやプリントTシャツなどを生み出しました。
公私ともに理解し合える二人の力で、ブランドの印象を若々しいものに一新させることに成功。
当時のフィービーは、まだステラの影に潜んでいる存在ではありましたが、鋭い感性と美的センスを充分に発揮しました。
その後ステラは、自身のブランド「ステラ・マッカートニー」を立ち上げ、クリエイティブディレクターを退任。
ステラとフィービーのなんとも豪華なチームは、2001年に終わりを告げることとなりました。
2001年 クロエのクリエイティブディレクターに就任
クロエ 2004SSコレクション「バナナプリント」 引用elle.com
2001年、フィービーは前任のステラ・マッカートニーから引き継ぐ形で、クロエ(Chloé)のクリエイティブディレクターに就任しました。
そして、2002年春夏コレクションでデビュー。
フィービーは、ステラの世界観を残しながらも、都会的でフェミニンなデザインを提案。
フィービーはベジタリアンであったようですが、素材に関してはレザーなど使用し、妥協ぜずより良いものを追求したのだそうです。
またフィービーのクリエイティブディレクター就任をきっかけに、クロエのディフュージョンラインとして「See by Chloe (シーバイクロエ)」が2001年秋冬に誕生しています。
クロエのクラシカルでフェミニンな魅力を、シーバイクロエでは、キュートでカジュアルな雰囲気に変換したデザインを展開。
クロエより低価格なシーバイクロエは、20代を中心とした若い世代から人気を獲得しました。
フィービーの名を広めた「パディントン」
クロエ「パディントン」 引用elle.com
さらにフィービーは、レザーアイテムを強化し、2005年に「パディントン(Paddington)」を発表。
パドロックキーと呼ばれる大きな鍵のモチーフをセッティングしたパディントンは、クロエの中で最もヒットしたと言っても過言ではないほど、大流行したシリーズです。
フィービーの名は、クロエの新ラインや伝説的なパディントンを誕生させたことをきっかけに、一気に広まるようになりました。
クロエ:パディントン
またフィービーといえば、大手ファッションメゾンで初めての出産休暇を取得したことも話題になりました。
仕事が好調期であった2004年の妊娠を機に、産休に入っています。
同年12月の出産後に、2シーズンの復帰。
しかし“生まれたばかりの娘とゆっくり過ごす時間がほしい”と家族のことを優先し、2006年にクロエのクリエイティブディレクターを退任しました。
退任後は他メゾンに移籍せず、家族との時間を優先するため、しばらくロンドンで過ごしたようです。
2008年 セリーヌにて復帰
セリーヌ 2011SSコレクション「スカーフプリント」 引用elle.com
2008年10月、フィービーは復帰。そのブランドこそが、セリーヌです。
2009年にクリエイティブディレクターに就任し、2010年春夏にはコレクションデビューしています。
クリエイティブディレクターを務めていたフィービーは、並行してセリーヌの取締役も務めていたそうです。
そんなフィービーは、セリーヌの創業者セリーヌ・ヴィピアナが掲げた、
―女性らしくありつつも自立しているアクティブな女性―
というコンセプトを大切にしながら、多様なデザインを展開しました。
「トレンドを多く生み出すよりも、ワードローブのアイディアに取り組むほうがいいと感じました」elle.com
と、セリーヌデビュー当時に語っていたフィービー。
フィービーが手がけていたセリーヌは、ラグジュアリーでありながらユーモアラス、そして何より現代女性に向けたリアルクローズが魅力でした。
ファッション性だけでなく着心地や機能性を追求したフィービーのデザインは、現代社会を生きる女性を魅了したのです。
2010年プレフォールコレクションより引用wwdjapan.com
フィービーの美学と残した功績
「少ないことは豊かなこと(Less is More)」
引用vogue.co.jp
という美学を大切にするフィービーは、過度なデザインで表現するのではなく、服そのものにメッセージを語らせることを重要視しています。
そのためフィービーは、素材やカッティング、ディティールなど、全てに妥協を許さず完璧を求め、常に最上のものをコレクションで発表しました。
さらにフィービーが率いていたセリーヌのスタッフは、一流ブランドで経験を積んだフランス人が多いのも特徴です。
最上級の職人技とフィービーの感性を融合させたセリーヌは、当時のファッション界の中で抜きん出た存在となっていました。
そんなフィービーのストイックさが功を奏し、セリーヌ在任中には多くの輝かしい功績を残しています。
セリーヌ時代の代表的な功績
- 2011年
世界一のデザイナーに贈られる「インターナショナル・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 - 2014年
重要な業績を上げた人に贈られる「大英帝国勲章第4位のオフィサー章」を受勲。 - 2014年
「世界で最も影響力のある100人」のうちの一人として選出される。
このような功績は、業績が落ち込んでいたセリーヌを回復させたフィービーの実力が導いた結果であり、ブランドをさらに前進させたきっかけともなりました。
そして2018年、プレフォールコレクションを最後に、セリーヌを退社。
ファンの間では“フィービー・ロス”が起こるほど、大きな出来事となりました。
―飾らず、そのままで―
というメッセージを添えたセリーヌでの最終コレクションは「彼女の最高傑作」と称され、エディ・スリマンにバトンタッチした後も、フィービーの世界観は存在し続けています。
セリーヌのクリエイティブディレクター退任後の活動
フィービー最後の「セリーヌ 2018年プレフォールコレクション」ルックより引用vogue.co.jp
フィービーは退任理由を明らかにしないままセリーヌを去った後、何度か公の場に姿を表しています。
2019年1月には、スイスで開催されたイベント「エンガディン アート トークス(ENGADIN ART TALKS)」に参加。
2021年には「ANDAMファッションアワード(ANDAM Fashion Award)」のゲスト審査員を務めました。
どの場所でもフィービーは多くを語ることはなかったそうで、セリーヌ退任後もフィービーの活動に注目しており、ファッション界もファンたちも目が離せない存在です。
フィービー・ファイロを形作るもの
セリーヌを去った今もなお支持され続けるフィービー・ファイロとは一体どのような存在なのでしょうか。
ここからは、フィービー・ファイロを形作るものについてご紹介します。
クリエイティブの軸となる自身のスタイル
引用elle.com
フィービーのクリエイティブには「自分が着るためにデザインする」という軸があります。
セリーヌのクリエイティブディレクター時代も、フィービー自身のスタイルをブランドに反映させてきました。
フィービーがセリーヌでデビューした最初から最後までの全てのコレクションは、フィービー自身を表現し続けていたそうです。
「都会で働く女性」「妊娠中の女性」「子育てをする女性」…
フィービーは自分自身を等身大の一人の女性として捉え、作品を作ってきました。
フィービーのデザインは、一見、自分自身のための個人主義のようです。
しかし“自分という個人”に向けたクリエイションこそが、パーソナルな部分に寄り添ったアイテムを生み出せるのだと考えられます。
かつてのインタビューでフィービーは
「私が実際に自分で服を着てみて作るからかもしれません。それが私のやり方です。」引用tjapan.jp
とコメントしています。
独自的でありながら、パーソナルな考え方でもあるフィービーの服作り。
“自分が求める服は現代社会を生きる女性も求めている”ということをフィービーは理解しているようです。
一人の女性としての生き方
パリにあるセリーヌの アトリエの様子 引用tjapan.jp
フィービーは大手メゾンで働きながらも「家族を優先し、母親である自分を大切にする」という、一人の女性としての喜びや考え方を尊重しています。
クロエ在籍中には、出産休暇を取得。
そして“長女出産後の時間を大切にしたい”という理由でクリエイティブディレクターを退任し、約2年間ほど、家族との時間を過ごすことに専念しています。
そしてセリーヌに移籍した際も、アトリエのあるパリを拠点にする他、家族と暮らすロンドンにデザインスタジオを配置し、両拠点を行き来していたというフィービー。
大手メゾンの重要ポジションとして忙しい日々を過ごしながらも、充実したプライベートを叶えるフィービーの生き方は「女性の理想の働き方」として、多くの働く女性たちのロールモデルともなりました。
自分らしい選択や行動をするフィービーの姿は、多くの女性に勇気を与えたのです。
またフィービー自身の都会で働く姿や、子育てをする母親としての姿は、フィービーのインスピレーション源にもなっているとのこと。
セリーヌで表現できたリアルな女性へ向けたデザインは、フィービーの生き方と紐づいてるのでしょう。
ソーシャルメディアと距離を置く静寂な世界
無口で有名なフィービーは、ソーシャルメディアと距離を置き、インタビューをほとんど受けない人物としても有名です。
「最もシックなのは、Google上に存在しないことです」引用elle.com
と過去のインタビューでコメントしています。
ソーシャルメディアに必要以上に露出しないことで、静寂な世界観を作り上げ、ブランドの価値を高めることが、フィービーの考えだったそうです。
SNSを主流としたビジネス戦略や流行に乗っかった宣伝などを行わず「服そのものの価値で勝負する」その姿勢だけで、セリーヌはファンを獲得していきました。
そのため、セリーヌのインスタグラムのアカウントが作成されたのは、既にインスタグラムが流行していた2015年2月。
それも意識的にアカウントが作成されたのではなく、小説家ジョーン・ディディオンを起用したキャンペーン広告のためだったそうです。
私生活を明かさずプライバシーを守り抜くフィービーは、メディアに踊らされることなく、常に本質を捉えたものだけをブランドに反映してきました。
「服の方が雄弁に語ってくれる」tjapan.jp
このフィービーの名言も、静寂な世界の中で、服の質と品で勝負し続けてきたフィービーだからこそ放たれた言葉なのでしょう。
セリーヌ時代に生み出した名作7選
フィービーは、セリーヌに在籍していた約10年間の中で数々のヒットアイテムを生み出し、今でもSNSで「#oldceline」と投稿する人が絶えないほど、多くの女性から支持され続けています。
ここからは「フィービーがセリーヌ時代に生み出した名作7選」を紹介します。
ラゲージ(Luggage)
セリーヌを代表する名作「ラゲージ(Luggage)」。
2009年の登場から現在に至るまで、人気の衰えないイットバッグです。
ラグジュアリーでありながら印象強いデザインが特徴。
“女性が一度は憧れるバッグ”と支持されていますが、実は発売当初はそれほど人気のないアイテムだったようです。
しかし2010年に、ファッション誌の編集者や著名人が愛用したことをきっかけに、人気が急上昇。
徐々に人気を高めていったラゲージは、エルメスのバーキンのようにこれからも伸び続けるバッグといわれ、第二のバーキンとも呼ばれています。
クラシックボックス(Classic Box)
「クラシックボックス(Classic Box)」は、いつの時代も愛されるようなシンプルかつクラシックなバッグです。
2011年の登場後、ファッションエディターの間で話題になり人気に火が付きました。
素材はボックスカーフをメインに使用しており、気品ある艶やかな質感が魅力です。
ゴールドやシルバーの留め具のさり気ないアクセントも、長く愛される要素の一つではないでしょうか。
アンジェリーナ・ジョリーやジュリアン・ムーアなど、セレブからも愛されるバッグとしても有名。
またファッション映画「マイ・インターン」で、アン・ハサウェイのスタイリングにも取り入れられたことでも話題になったアイテムです。
トラペーズ(Trapeze)
「トラペーズ(Trapeze)」は、ラゲージの人気に匹敵するバッグです。
フランス語で“台形”を意味するトラペーズは、サイドの大きなマチが特徴。
立体的でありながらシンプルなフロントデザインは、クラシカルなムードを放ちます。
サイドのマチは折りたたむことができるため、フォルムの変化を楽しめるのが魅力。
フォーマルなシーンやカジュアルな装いにマッチする万能なバッグです。
またトラペーズは、容量が大きいうえにショルダーも付属しており、デザイン性だけでなく実用性と機能性が抜群なのも、支持を得ている理由の一つでしょう。
クロンビーコート(Crombie Coat)
2011-12AWプレタポルテコレクションより引用vogue.co.jp
チェスターコートの理想形といわれる「クロンビーコート(Crombie Coat)」。
2010年のクルーズコレクションに登場して以降、今も変わらず名作かつ定番として位置づけられているアイテムです。
「妊娠中にお腹が大きい女性でも着やすいように」と、フィービーが自分という女性のためにデザインしたのがクロンビーコート。
前ボタンがセットされていない、究極にシンプルなデザインが特徴です。
程よく絞られた肩幅と身幅や、タイトなVラインから裾に向かって描くなだらかなシルエットなど、着るだけで女性らしい美しさを際立たせてくれるのが魅力の一つ。
フィービー自身も愛用しており、憧れのコートとして支持されているアイテムです。
ワイドパンツ
2010年プレフォールコレクションより引用wwdjapan.com
セリーヌの不朽の名作「ワイドパンツ」。
2010年春夏に登場したワイドパンツは、瞬く間にセリーヌの定番アイテムへと上り詰めました。
フィービーは、当時スキニーパンツが流行していた中、ワイドパンツを打ち出しトレンドの波を一気に切り替えました。
クロエ時代でも馴染み深かったワイドパンツを、セリーヌ時代では得意のキャメルカラーをメインにしたハイウエストスタイルで提案しています。
自立した女性を彷彿とさせるフィービーのデザインは、現代女性の心を掴みました。
著名人も愛用するほどの人気ぶりで、リピート買いするファンも多いアイテムです。
バンバン(Bambam)
シルバーのメタリックヒールが印象的な「バンバン(Bambam)」。
セリーヌの数あるシューズコレクションの中でも、名作ブーツと呼ばれているアイテムです。
脚の締め付けが少ない上質で柔らかいソフトレザーを使用しており、履き心地の良さを兼ね備えた一足。
気品漂うレザーとハードなメタリックヒールの組み合わせは、ハンサムかつエレガントな印象を与えます。
ヒールは、安定感のあるチャンキーヒールを採用しているため歩きやすさを実現。
働く女性であり母親であるフィービーだからこそ、生み出せたデザインだといえます。
バレリーナ(Ballerina)
2015SSコレクションより引用assets.vogue.com
大量のコピー商品まで出回った名作「バレリーナ(Ballerina)」。
バレリーナは2015年春夏に登場後、フロントロウの常連たちが次々と愛用していき大ヒット商品となったアイテムです。
柔らかい1枚革で作られたバレリーナは、滑らかなフィット感と履きやすさが最大の魅力。
履き口の程よいシワは、フィット感を生むだけでなく絶妙なユニークさもプラスし、ファッショニスタ達の心を掴みました。
当時、街にはバレリーナを履いている女性が溢れ、ストリートスナップで見ないことがない状態になっていたほど高い人気であった、フィービーの名作アイテムです。
フィービー・ファイロの新ブランド「PHOEBE PHILO」について
ここまでフィービー・ファイロの経歴や人物像、名作アイテムについて紹介しましたが、ここからはフィービーの気になる新ブランドについてお話していきます。
2021年7月12日、フィービー・ファイロが自身の名前を冠したブランドを立ち上げるというニュースが舞い込みました。
新ブランドの詳細発表について2022年1月頃を予定しているとのことでしたが、2022年を過ぎても続報が入らず、ファンたちは期待を込めて待ち続けていました。
そして2023年1月、突如としてインスタグラムに「phoebephilo」というアカウントが登場し、1つの投稿がされました。
インスタグラムからのスクリーンショット 引用Instagram@phoebephilo
その投稿によると、2023年9月にウェブサイトで最初のコレクションが発表、かつ販売されるとのことでした。(現在、この投稿は削除済み)
しかしその後、さらに情報の公開が延期され、2023年10月の末に、謎めいていたフィービーの新ブランドがベールを脱いだのでした。
ブランド名はその名も「PHOEBE PHILO」。
「卓上した品質とデザインをベースにしたウェアとアクセサリーを展開するブランド」という事前情報の通り、フィービーらしい洗練されたデザインが持ち味のウェアと、ジュエリーなどの小物を揃えたラインナップとなっています。
一般的な「コレクション」の形ではなく、「エディット」と呼ばれるものを12月までに3回に分けてリリースするとのこと。
エディットは「A1」「A2」という呼び方で、今回のA1は12月までにリリース、A2は来春に発表…という形で、既存のシーズン等にも縛られない発表をしていくようです。
また、販売は現時点では公式のオンラインストアのみで、まずイギリス、ヨーロッパ、アメリカへの発送をおこなう予定。
日本への発送は残念ながら今のところ無いそうです。
日本のフィービーファンにとっては苦しい状況となってはいますが、エディットを重ねていき生産量が増えていくことになれば、日本からも買えるようになるのではないかと思います。
「制作に戻ることはエキサイティングであり、信じられないくらい充実しています」
harpersbazaar.com
と、過去にフィービーは新ブランドについて意欲的なコメントをしていたこともあり、今後のPHOEBE PHILOの展開に世界中が期待の目を向けています。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで「フィービー・ファイロ」というデザイナーにフォーカスし、お話してきました。
洗練された世界観が世界中のファンから愛される、稀有なデザイナーであるフィービーの魅力が少しでも伝われば幸いです。
KLDでも、クロエやセリーヌのお買取を強化しています。
ラグジュアリーなハイブランドの査定を得意とするスタッフの在籍により、高い精度での強気のお値付けが可能です。
宅配買取というと、
「時間かかるんじゃないの?」「面倒臭そう…」「配送料の分、買取金額を安くされそう…」
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実はそんなことも無いんです。
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