ジョン・ガリアーノってどんなデザイナー?|John Galliano
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
世界的な有名デザイナー、ジョン・ガリアーノ。
一度見たら忘れられない、華やかでエキセントリックな世界観を表現したデザインで主に知られています。
そんなジョン・ガリアーノとは一体どんな人物なのか?ということで、今回、その人となりを掘り下げていきたいと思います。
自身のブランドだけでなく、クリスチャンディオールやメゾンマルジェラなど、名だたるブランドを牽引してきたジョン・ガリアーノ。
ファッション業界においてはカリスマ的存在として世界中に影響を与えています。
今回は、
- ジョン・ガリアーノとは?
- デザイナーについて
- ジョン・ガリアーノを形作るもの
という形で、お話していきたいと思います。
デザイナーのことを知れば、よりブランド理解が深まり、お手持ちの服にも愛着が湧くということがあるかと思います。
せひご覧ください。
目次
ジョン・ガリアーノという人物
ジョン・ガリアーノは、1960年にイギリスの植民地であるジブラルタルで生まれました。
その後、6歳からロンドンへと移住。
ロンドンの芸術大学セントラルセントマーチンズのテキスタイル科に入学後、モード科に移籍したのち、1984年に主席で卒業します。
翌年1985年にはロンドンコレクションに出展し、自身の名を込めたブランド、「John Galliano」でデビュー。
ジョン・ガリアーノ 1986年 引用gqjapan.jp
1991年にはパリコレのメンバーとして加入しますが、資金面で大変苦労し、生地が買えない中でコレクションを行っていました。
1994年 引用gqjapan.jp
しかし1995年に転機が訪れ、ユベール・ド・ジバンシィがGIVENCHYを引退し、その後任としてガリアーノがデザイナーに選ばれたのです。
1997年からはDiorのデザイナーに就任し、革新的な提案により高い評価を受け、ブランドの売上に大きく貢献しました。
左:2002年 引用ilgiornale.it
右:2004年 引用afpbb.com
しかし、2011年にパリのカフェで差別発言を行い逮捕となり、DiorやJohn Gallianoを解雇されることに。
長い休止期間を経て、2014年秋にMaison Margielaのクリエイティブ・ディレクターに就任します。
そして現在、再び世界的なデザイナーとしてガリアーノは活躍しているのです。
ジョン・ガリアーノを形作るもの
デビュー初期の苦労
1984年 デビュー作「レ・インクロイアブル 」 引用overduemagazine.com
今でこそ大成功をおさめるガリアーノですが、デビュー当時はかなり苦労を重ねています。
大学卒業後、ガリアーノはすぐに自身のブランドを持ち活動することに。
デビュー当初から、ジャケットをボトムとして使用した「さかさまの服」や、ジャケットを逆さまにして裏返しに着るジャケットなど、アヴァンギャルドなデザインで注目されます。
ロンドンのデビューコレクションでは、生地を斜めに切ったバイアスカットのドレスや、オーダーメイドのスーツを展開。
はじめは高い評価を得ていたものの、デザインがあまりに革新的すぎて当時のトレンドとはマッチせず、「売れない服」という烙印を押されてしまいます。
最終的には投資者との間でトラブルが起き、ガリアーノは資金難に陥ることとなったのです。
生地が買えない制約がある中でもガリアーノは活動を続けましたが、1990年には破産となります。
しかし、デザインや創造性が高く評価され、1991年にはパリコレクションのメンバーとして加入。
その後、さまざまなブランドのデザイナーやディレクターをつとめる世界的な存在となるのです。
年代別の活躍
ここからは、ガリアーノのデザイナーとしての活躍を年代ごとにご紹介します。
1980年代
John Galliano 1985年 「ザ・ルーディック・ゲーム」 引用overduemagazine.com
1980年代は、ガリアーノが「John Galliano」としてデビューした時期でもあり、挑戦的な提案が非常に多かった時代といえるでしょう。
当時としてはとても革新的であったバイアスカットやオーダーメイドのスーツを展開。
資金難に晒されながらも試行錯誤していた時代であり、使用する素材に制限がある中で生まれたアイデアなども随所に見られます。
そんな中で、ハイウエストで胸元から裾にかけて広がるドレスや、あえて子供っぽい服装、タイユールと呼ばれるテーラードジャケットの前身など、ガリアーノらしい作品が生まれました。
1980年代後半には、モデルが水に濡れた、中世の寝巻きのような少女らしい作品や、ボレロを使用したハイウエストの作品を展開します。
John Galliano 1986SS 「Fallen Angels」 引用minniemuse.com
1990年代
John Galliano 96SSより 引用vogue.com
1990年代は、自身の「John Galliano」を手掛けながらもGIVENCHYへの就任、その後のChristian Diorへの移籍など、ガリアーノにとっては激動の時代ともいえます。
GIVENCHYやChristian Diorといった伝統的なブランドにありながら、ガリアーノは歴史的、民族的な衣装やストリートファッションから着想を得ながら、各要素を組み合わせ現代的な作品を生み出していきました。
例えば1997年には、Christian Diorで異様に高いシャープな襟、細いウエスト、曲線を描く腰の大胆なラインのジャケットを提案しました。
創始者クリスチャン・ディオールの「ニュールック」に見られる伝統的な意思を受け継ぎつつ、西洋の伝統的な身体の拘束性という要素をあえて誇張しているようです。
左:ガリアーノが提案した97年の作品 引用kci.or.jp
右:1947年、Christian Dior「ニュールック」 引用soen.tokyo
ガリアーノは、古典的要素を重んじるChristian Diorを新たに生まれ変わらせたといえます。
2000年代
Christian Dior2004SSより 引用vogue.com
2000年代に入ってもガリアーノは成長を続け、世界最高ランクのデザイナーとして世界中から評価されます。
引き続きChristian Diorでの活躍は目覚ましく、これまでのChristian Diorのまだクラシカルな要素を持っていた90年代の雰囲気から一転、かなりアヴァンギャルドなデザインが目立つようになります。
特に2000年代前半〜半ば頃の極限まで尖ったかのような表現は、ガリアーノの存在感が最も発揮されていた時代と言っても過言ではありません。
ロココ調の優美なドレスや日本的な表現、エジプトのイメージなど、様々な歴史や文化、自身の内的な世界を最大限にまで誇張し、極彩色で彩る表現は、この時代のガリアーノにしか出来なかったのではないでしょうか。
Christian Dior2000AWより 引用vogue.com
デザインそれ自体はもちろん、この表現をこの時代、このブランドでおこなった事が非常にインパクトを持った…ガリアーノにとって2000年代はそんな時代だったといえます。
また、Christian Diorの2000年秋冬コレクションで展開した「ニュースペーパー」柄のアイテムは日本でも大人気となり、ブームを巻き起こしました。
Christian Dior2000AWよりニュースペーパー柄のドレス 引用vogue.com
2010年代以降
Maison Margiela2015AWより 引用fashion-press.net
2011年、カフェでの差別発言で逮捕され、担当していたブランド全てを解雇されたガリアーノでしたが、2014年にはMaison Margielaのクリエイティブディレクターとして就任しています。
タビブーツなど、マルジェラがブランドとして大事にしてきた重要なアイテムを、大胆に再解釈して展開。
これには古くからのブランドのファンを中心に賛否両論ありましたが、セールス的には現在に至るまで絶好調。
日本でも多くのファッション好きがメンズ、レディース問わずタビブーツを履くという世界が実現しました。(タビブーツはガリアーノが就任するまで、レディースのみの展開でした)
Maison Margielaメンズタビブーツ 引用mensnonno.jp
また、2016春夏に展開された5ACは、ガリアーノ初のハンドバッグコレクションとなります。
5AC 引用cettire.com
伝統的なフォルムのように見えますが、独創的なアイデアや形状、精密なアーティザナルの技術が豊富に使用されたバッグです。
ロゴが刻印された鍵や底のスタッズも特徴であるこのバッグは、世界中から大人気のシリーズとなっています。
担当ブランドごとの活動内容
ここからは、担当ブランドごとに分けて、デザインの雰囲気等をお伝えしていこうと思います。
自身の名を込めたブランド、John Galliano
95SSより 引用vogue.com
1985年にガリアーノは、自身の名を冠するブランド「John Galliano」を立ち上げました。
繊細で巧妙なバイアスカット(型紙に対して生地を斜めに取る方法)の衣服や、テーラードのスーツが高い評価を受け、1987年にブリティッシュデザイナー賞を受賞。
93SSより 引用vogue.com
非常に革新的な衣服を生み出しましたが、当時はシンプルでミニマリズムなファッションが主流であったため思うように売れませんでした。
そのため経営面では大変厳しく、何度も倒産の危機に直面します。
黒のみの衣服でコレクションを行ったり、モデルを有志で募るなど工夫を重ねていましたが、1993年春夏コレクションでは資金難のためショーを見送ります。
しかし、当時からガリアーノを高く評価していた「VOGUE」のアナ・ウインターやアンドレ・レオン・タリーのサポートにより、新たなスポンサーを獲得することとなったのです。
デザイナーとして初抜擢された、GIVENCHY
96SSより 引用vogue.com
1995年にGIVENCHYのデザイナーであるユベール・ド・ジバンシィが引退後、ガリアーノが後任として抜擢されます。
ガリアーノにとっては、デザイナーとして初抜擢された大きな機会でした。
ガリアーノは当時、50年代風のスタイルとテーラードの技術に非常にこだわりを持っており、この手法や想像力を高く評価されたのです。
GIVENCHYにおいても、ガリアーノはブランドの発展に大きく貢献し、斬新なアイデアで作品を生み出し続けました。
例えば1996年の秋冬コレクションでは、古典的で妖精的な美しさがありつつも、ダークで大人びた作品を展開。
96AWより 引用vogue.com
惜しくもデザイナー就任から2年で退任となりましたが、ガリアーノの功績は相当なものといえるでしょう。
革新的なブランド刷新を行った、Christian Dior
07SSより 引用vogue.com
1996年にガリアーノは、Christian Diorのデザイナーとして就任します。
Christian Diorにおけるガリアーノは、ファッション史上もっとも革新的なブランド刷新を行ったデザイナーといっても過言ではないでしょう。
従来、古典的エレガンスと女性らしさをテーマとしていたDiorは、ガリアーノによってアヴァンギャルドでエネルギッシュなブランドへと変貌を遂げます。
03AWより 引用vogue.com
ガリアーノは、歴史を重んじる一方で、ポップカルチャーやストリートウェアといったモダンな要素も大切にしていますが、Diorではこれらの要素を融合させ、1つの芸術として落とし込んでいるのです。
Christian Dior時代にはそのモダンな傾向が、一番華やかに発揮されていたといえるでしょう。
また、ガリアーノ時代のDiorでは、衣服だけでなく豪華なショーにも注目すべきです。
02SS、和太鼓を用いたショー 引用livingly.com
舞台セットやメイク、音楽などが一体となったショーはまさにファンタジーといっても過言ではありません。
ガリアーノにとって服はあくまで、ショーにおける一つの要素に過ぎないのかもしれません。
ディレクターとして返り咲いた、Maison Margiela
2020SSより 引用fashion-press.net
長い活動休止期間を経て、2014年にガリアーノはMaison Margielaのクリエイティブディレクターとして抜擢されました。
ガリアーノは、旧ディレクターであったマルタン・マルジェラのクリエーションを大切にしながらも、独自の創造性で新たな作品を続々と誕生させます。
ガリアーノが創るMaison Margielaの大きな特徴は、性別を超えて着られるアイテムがある点です。
例えば2019年秋冬のコレクションでは、腰で穿くとトラウザーズで、ベアトップで着るとワンピースになる衣服を発表します。
2019AWより 引用fashion-press.net
マルタン・マルジェラ時代のMargielaは、女性的でも男性的でもない無性であるのに対し、ガリアーノは装いによって性差を自由に選べるようになっているという印象です。
デザインにこめられたキッチュ(低俗性)
Christian Dior 03SSより 引用vogue.com
John Galliano 2000AWより 引用vogue.com
ガリアーノが提案するコレクションの特徴として代表的なものが、キッチュ(低俗性)です。
キッチュとは本来、「低俗なもの」や「悪趣味なもの、陳腐なもの」などを意味します。
しかしファッションの世界ではネガティブなイメージではなく、悪趣味だが遊び心があり魅力的なイメージを持つ言葉です。
ガリアーノは特に、Diorでのコレクションでキッチュなデザインを多く展開しました。
例えば「エジプト」がテーマのコレクションでは、“墓から出たミイラが包帯を巻きパリに出かける”など、尽きないアイデアで驚くべき作品を展開。
Christian Dior 04SSより 引用vogue.com
また、ガリアーノはマサイ族やアメリカ先住民、ホームレスなどを着想源としてさまざまなコレクションを提案します。
「キッチュ」な発想を取り入れたデザインにより、Diorやガリアーノは一層注目される存在となったのです。
差別発言での逮捕について
裁判所でのガリアーノ 引用theguardian.com
2010年から2011年にかけて、ガリアーノがパリのカフェで同席の女性に差別発言を行うという衝撃的な事件が発生。
事件の概要としては、酒に酔ったガリアーノがカフェにいた女性に反ユダヤ的な差別発言を行ったというものです。
ガリアーノは当時、酒と精神安定剤を大量に摂取する日々を過ごしており、事件の際も記憶がないと述べています。
様子を目撃した人も、ガリアーノの様子が明らかに異常であったと証言。
この事件により、ガリアーノは2011年に逮捕されたうえ、Christian DiorやJohn Gallianoから解雇されることになりました。
しかしガリアーノにとってこの事件は、アルコールや薬物と向き合う大切なきっかけとなったのです。
さらにこれまで失っていた、何かを創造したい少年の心を取り戻すことができ、ガリアーノは生まれ変わることができました。
支えてくれた友人の存在
差別発言による逮捕により、公の場から姿を消した3年半後、ガリアーノはロンドンにて復活。
この復活には、ガリアーノの友人の存在が大きく関わっていました。
VOGUEなどのメディアを展開するコンデナスト・インターナショナルのCEOであった、ジョナサン・ニューハウスはその一人です。
ジョナサン・ニューハウス氏 引用businessoffashion.com
当時のガリアーノは32ものコレクションを抱え、プレッシャーと孤独に苦しんでいました。
死の可能性がありながら、アルコールと精神安定剤を飲んで生活する毎日。
そんな中で起きた逮捕に対してジョナサンは、ガリアーノに対する倫理的な判断ではなく、あくまで自身の気持ちに向き合いました。
孤独で病と戦いながら事件を起こしたガリアーノに対し、決して背を向けないと回答したことが有名です。
また、VOGUE編集長であるアナ・ウィンターも、ガリアーノを支えた友人の一人。
アナ・ウィンター氏 引用25ans.jp
アナはガリアーノ逮捕後、毎日のように電話でガリアーノを励まし続けたかけがえのない存在です。
復活の際、ガリアーノはスピーチにて、健康と幸せを取り戻せたのはアナのおかげとコメントしています。
支えてくれる友人の存在があったからこそ、ガリアーノは大いに活躍できるのです。
デザイナー人生に欠かせない理想の暮らし
ジェルブロワの別荘 引用vogue.co.jp
ジョン・ガリアーノは、フランス北部のジェルブロワという美しい村に別荘を購入し、暮らしています。
この別荘は、ガリアーノにとって理想の暮らしを実現したものです。
骨董品が大好きなガリアーノは、骨董商の友人からシェルブロワの屋敷を紹介されました。
ジェルブロワは、石畳の道に木造建築や美しい花々が並ぶ村です。
ガリアーノとパートナーのロシュは、まるで村に魂が宿っていると感じ、屋敷の購入を決意しました。
当初家屋は老朽化により人が住める状態ではなかったため、ガリアーノは屋根瓦から大掛かりな修復を実施。
現在美しくリノベーションされた別荘には、数々の骨董品や芸術品、写真などが飾られています。
部屋の一角 引用vogue.co.jp
それらは、ガリアーノにストーリーやエネルギーを強く感じさせ、彼の創作活動に大きな影響を与えている要素です。
例えば、ファッションアイテムにおけるリサイクルの技術は、骨董品から着想を得ています。
またガリアーノは、光が落ちる場所や、光を受け反射する場所に強い関心を持つ人です。
どのように光が差し込むかを綿密に考えつくられた部屋で、ガリアーノは大いにリラックスできるといいます。
自慢の庭で、愛犬とガリアーノ 引用vogue.co.jp
光もまた、ガリアーノにインスピレーションを与える要素です。
例えば、木が揺れる際に光が屈折し、騙し絵のように見えることがあります。
これは、マルジェラなどで用いられる「インサイド・アウト」や「トロンプルイユ」のデザインにも通じるものでしょう。
ガリアーノにとってジェルブロワの別荘は、自身の理想の暮らしを体現する一方、ものづくりの着想源にもなっています。
これからの活動への想い
2021年、コロナ禍の中、フィルムによってMaison Margielaの作品を発表。 引用elle.com
ジョン・ガリアーノは、コロナによるパンデミックの現代に対し、それさえも創造のエネルギーに変えています。
例えばMaison Margielaの22SSコレクションでは、パンデミック後の若者をターゲットとし表現。
環境問題や社会問題への意識を高める若者が、あくまで希望を持ち困難に立ち向かっていると捉えています。
一般的にはネガティブに捉えられがちな事実も、ガリアーノにとっては創造のプロセスに繋がる要素となっているようです。
また、マルジェラの人気もあってか、Z世代を中心にガリアーノのこれまでのデザインが再注目されているという事もあり、デザイナーとしてこれからますます邁進していく可能性のあるガリアーノ。
今後も多様に変化していく社会において、ガリアーノがどのように社会と対峙し、どう表現していくのか…決して目が離せないデザイナーの一人といえるでしょう。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで「ジョン・ガリアーノ」というデザイナーにフォーカスし、お話してきました。
デザイナーを通して、これまで彼が手がけてきたブランドへの理解が少しでも深まれば幸いです。
KLDでもMaison Margielaをはじめとしたガリアーノ関連のお買取を強化しています。
Maison Margielaのこれまでのお買取り履歴はこちら
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