アレッサンドロ・ミケーレってどんなデザイナー?|GUCCI|VALENTINO
みなさんこんにちは。
ブランド古着のKLDです。
GUCCIという老舗メゾンのクリエイティブディレクターに就任し、任期中、誰もが想像もつかなかったインパクトのあるデザインを生み出したデザイナー、アレッサンドロ・ミケーレ。
2022年11月にGUCCIを退任。
そして2024年3月、VALENTINO(ヴァレンティノ)のクリエイティブディレクターへの就任が発表されました。
今回は、
- アレッサンドロ・ミケーレってどんな人?
- アレッサンドロ・ミケーレの経歴
- アレッサンドロ・ミケーレのGUCCI
- ミケーレを形作るもの
という形でお話していきます。
ブランドの事が改めて気になっている方、デザイナーについて意外と知らなかった!という方などにぜひお読みいただいきたい記事になっています。
こちらの動画でも紹介していますのでぜひご覧ください!
目次
アレッサンドロ・ミケーレとは?
アレッサンドロ・ミケーレは、2015年1月から2022年11月まで、GUCCIのクリエイティブディレクターを務めた人物です。
遊び心全開のデザインで、GUCCIという老舗メゾンの持つ重厚感、歴史を遊び尽くし、誰もが想像もつかなかったGUCCIを作ってきました。
そんなミケーレは、1972年11月25日、イタリア・ローマの郊外で誕生し、アリタリア航空の整備士をしていた父と、映画プロデューサーのアシスタントをしていた母に育てられました。
彫刻芸術を趣味とする父と、映画好きで都会的なおしゃれを好む母の影響で、ミケーレは芸術や映画の世界に慣れ親しんだ幼少期を過ごします。
ファッションへの関心も強かったミケーレは、10歳で髪の毛のブリーチに挑戦。
また10代の頃は音楽にも熱中し、好きなジャンルはポストパンクなど。
この時代に熱中した文化は、後のクリエイティブにも反映されているとのことです。
その後、ファッションへの熱が冷めないミケーレ少年は、ローマのファッションアカデミーに入学し、コスチュームデザインとファッションデザインを3年間学びました。
そして、ミケーレはファッション界で働くため20歳で実家を出て、キャリアをスタートさせます。
アレッサンドロ・ミケーレの経歴
GUCCIで瞬く間にその名を轟かせたアレッサンドロ・ミケーレは、一体どのような経歴を歩んできたのでしょうか。
無名だったミケーレが注目されるまでのキャリア、そして、GUCCIで革命を起こし、快進撃を繰り広げたミケーレの経歴に迫ります。
1994年 「LesCopains(レ・コパン)」でキャリアをスタート
LesCopains 2019AWより 引用fashionsnap.com
1994年、ミケーレはイタリアのニットブランドのレ・コパンでキャリアをスタートさせます。
レ・コパンとは、1950年代にマリオ・バンディエラが創業した、表面が凸凹としたポップコーンニットが有名なブランドです。
ミケーレはファッションアカデミー卒業後、コスチュームデザインの道に進もうと考えたこともあったそうですが、プレタポルテの道に進むことを決意し、レ・コパンへ入社。
当時レディースウェアのデザイナーをしていたグレエム・ブラックが在籍していたレ・コパンで、ミケーレはファッションキャリアの第一歩を踏み出しました。
1997年 FENDIへ移籍
レ・コパンでのキャリアをスタートさせたミケーレは、3年後の1997年にFENDIへ移籍。
このFENDIへの移籍は、54年間FENDIのクリエイティブディレクターを務めていたカール・ラガーフェルドからの熱烈なラブコールがあっての決定だともいわれています。
FENDIでは、レザーグッズを中心とした、シニア・アクセサリーデザイナーとして活動。
FENDI 2001SSより、コレクションでもレザーバッグには特別な存在感がありました 引用vogue.com
同じ時期にFENDIに在籍していたフリーダ・ジャンニー二と共に協力し、ブランドのほとんどのレザーグッズを担当していました。
2002年 GUCCIへ移籍
2002AW、トム・フォード時代のGUCCI 引用vogue.com
FENDIへ移籍してから約5年後の2002年、ミケーレはGUCCIへ移籍。
この移籍は、ミケーレがまだFENDIに在籍中、当時のGUCCIのクリエイティブディレクターを務めていたトム・フォードから熱烈なスカウトを受けて決定したともいわれています。
GUCCI移籍後、ミケーレの最初の仕事はバッグデザインを担当することでした。
トム・フォードの元でバッグデザイナーを務めるという、この発表は、これまで無名だったミケーレの名が広まるきっかけでもありました。
2006年には、レザーグッズのディレクターに就任。
ミケーレは、GUCCIのほとんどのレザーアイテムをデザインすることを任されました。
2011年の5月には、アソシエイト・クリエイティブディレクターに就任。
当時、GUCCIのクリエイティブディレクターを務めていたフリーダ・ジャンニー二の右腕として活動することに。
また、2014年にはイタリアの高級陶器メーカーのリチャード・ジノリ(Rechard Ginori)のクリエイティブディレクターにも就任。(GUCCIクリエイティブディレクターに就任後、こちらは退任済み)
リチャード・ジノリでミケーレが手がけた「オリエンテイタリアーノ」シリーズ 引用nihonnotsurugi.jp
このようにミケーレは、GUCCIに移籍してから着実にキャリアアップを成功させてきました。
2015年 GUCCIのクリエイティブディレクターに就任
初コレクションの2015AWより 引用glam.jp
2015年1月、ミケーレはGUCCIのクリエイティブディレクターに就任。
これは、ミケーレにとって確実な転機とされています。
当時、GUCCIのCEO「パトリツィオ・ディ・マルコ」と、クリエイティブディレクターの「フリーダ・ジャンニーニ」の2人がほぼ同時退任し、話題を呼びました。
新CEOにマルコ・ピッザーリが就任することは既に決定していたそうですが、新クリエイティブディレクターは決定しておらず、GUCCI内部は人事異動を急ぐことに。
ビッザーリは、GUCCIを知り尽くすうえに強い個性を持ち、その個性をGUCCIに反映できる人物を探しました。
そんな時、ミケーレの独特な感性やビジョンに注目したビッザーリ。
10年以上GUCCIに在籍しているミケーレの知識と個性に期待したピッザーリは、2015−2016年秋冬コレクションの一週間前に、すでに用意されていた前任のフリーダ・ジャンニー二のコレクションではなく、全てをやり直すようにとミケーレに課題を与えました。
ショーピースの準備やランウェイの構成、モデルのキャスティングなど、誰もが不可能だと思っていた課題を、ミケーレは見事にこなし、ショーを大成功に収めました。
2015AWコレクションより 引用fashion-press.net
この功績を認めたピッザーリは、コレクションの2日後にミケーレをクリエイティブディレクターに昇格させます。
この出来事は、ファッション界に衝撃を与えるとともに、ミケーレの名を一気に向上させ、注目させました。
そして、ここからミケーレによるGUCCIの快進撃が始まります。
2022年 GUCCIを退任、そしてVALENTINOへの抜擢
驚くほど革新的なデザインでGUCCIを盛り上げたミケーレでしたが、2022年11月にブランドを退任することが発表されました。
ミケーレにしか出来ない奇抜ともいえるデザインのGUCCIが終焉を迎えるということで、多くの人に惜しまれながらの退任でした。
その後約1年と4ヶ月ほど、ミケーレの次の動向は不明なままで、本人のインスタグラムだけがたまに更新されるという状況でしたが、ついに2024年3月、VALENTINO(ヴァレンティノ)への就任が発表されました。
VALENTINOではミケーレとしては初のオートクチュールの展開も任されるということで、世界中の期待感が高まっています。
ヴァレンティノのCEOであるヤコポ・ヴェントゥリーニ氏は、以前ミケーレとGUCCIで共に仕事をしたことがあるそうで、ミケーレの仕事ぶりを間近で見てきたからこその抜擢だったといえます。
ファーストコレクションは2024年9月に発表される、2025年春夏シーズンのパリファッションウィークからとのことです。
アレッサンドロ・ミケーレによるGUCCIの革新
1つ1つキャリアを積み上げ、チャンスを掴み取ったアレッサンドロ・ミケーレ。
怒涛のデビューコレクションを果たした新生GUCCIは、これまでのGUCCIとは一線を画するブランドへと進化します。
ここからは、ミケーレによるGUCCIがどのような革新を遂げたのかをお話します。
常識破りの独創的なデザイン
世界中に衝撃を与えた“生首”を用いたコレクション。2018AWより 引用wwdjapan.com
ミケーレによるGUCCIとして大きな印象をもたらしたのは、常識破りで独創的なデザインです。
型にはまらないエネルギッシュで生き生きとしたデザインは、エレガント、モダン、クラシカル、といったこれまでのGUCCIのイメージを覆し、世のファッショニスタたちに衝撃を与えました。
ミスマッチな大胆さや強烈なカラーリング、インパクトのあるモチーフなど、統一性のないものたちをミックスするデザインは、独特な雰囲気を放ち、GUCCIファンを増やしました。
特にミケーレ流に動植物をモチーフにしたデザインは、100年以上続くGUCCIの中で革命的だといわれています。
シルヴィ アニマルスタッズ ハンドバッグ 引用wear.jp
2016年、オンライン限定で展開した「グッチ ガーデン」コレクション 引用fashionsnap.com
そんなデザインを生み出すミケーレは、「どんな服を着たいか」「今までにないファッションとは何か」など、好奇心から着想を得てクリエイティブをスタートさせるとのこと。
TPOで考えることをせず、自由な発想を大切にし、可能性を広げてデザインしているそうです。
また、近年「ジェンダーレス」というキーワードを世に注目させたのもミケーレ。
メンズのデザインにフリルやレース、オーガンジーなど、これまでのメンズコレクションにはない素材やディテールが用いられたことでも衝撃を与え、話題を呼びました。
2020AW メンズコレクションより 引用fashion-press.net
先述のミケーレのデビュー戦である2015−2016年秋冬コレクションでは、メンズコレクションとウィメンズコレクションに男女のモデルを登場させ、性別の壁を超えたショーを発表。
街には男性も女性も普通に混合している、その普通の日常を、服自体の性別の壁をなくす意味が込められたショーで表現しています。
さらに、自分の個性や感性ばかりを反映させるのではなく、メゾンの敬意も示しているのがミケーレの魅力の一つ。
グッチおなじみのGG柄にインパクトのあるグラフィックを乗せるのはミケーレの得意とするところ 引用gucci.com
GGマークやバンブー、ウェブラインなど、GUCCIの歴史あるデザインを尊重し、見事にミケーレカラーのGUCCIに織り交ぜています。
「真の美は不完全の中に」
過去のインタビューでこう答えるミケーレは、美しさだけを基準とするのではなく、本質を捉えることを大切にしています。
デジタル戦略
ミケーレの手がけるGUCCIが成功した要因の一つには、間違いなくデジタル戦略があります。
特にSNSを意識したマーケティングは、他のブランドと比較すると圧倒的にリードしているのが印象的です。
見た瞬間にGUCCIだと認識できるミケーレのデザインは、SNS映えし、宣伝効果を生み出します。
またミケーレ自身、インスタグラムで自分の世界観を発信し、ファンたちと交流する姿も。
ビジュアル的な部分も活用することで、GUCCIやミケーレのメッセージをより身近に伝えようとしているのです。
また、ムービー配信にも精力的に取り組んでいるミケーレ。
2020年7月には、12時間にも及ぶライブストリーミングを配信。
デザインチームのスタッフをモデルにしたコレクションや、広告制作の裏側などを流し、1週間で3520万回も再生されたとのこと。
2021年春夏のコレクションには、「終わることのない序曲」と題した1日約10分のショートムービーを7日間連続で配信。
この7つのショートムービーは映画形式になっており、登場人物が着ているアイテムは、全て2021SSのGUCCI。
コレクションを余すことなく伝えたいという、ミケーレの意志が込められているムービーです。
様々な角度から作品や世界観を伝えるデジタル戦略は、ミケーレの着想があってこそだといえます。
予想外のコラボレーション
ミケーレによるGUCCIの革新は、斬新なデザインやデジタル戦略にとどまらず、予想外なコラボレーションでも世界中に衝撃を与えました。
2016秋冬、元プロスノーボーダーのトレバー・アンドリューとのコラボコレクションを発表したことは大きな話題に。
ミケーレとトラブル・アンドリュー 引用wwdjapan.com
プロスノーボーダー時代からアーティストの才能を開花させていたアンドリューは、GUCCIのGGモノグラムのパロディーグラフィックをストリートに描いていた人物です。
無許可で描いていたGUCCIのグラフィックは、ミケーレのチームメンバーの目にとまり、2016年にGUCCIとの正式コラボが実現。
次に周囲を驚かせたのは、ラグジュアリーブランドのロゴを自己流にアレンジ・デザインした服を販売していた、伝説的テーラーのダッパー・ダンとのコラボレーションです。
ダッパー・ダンとのコラボコレクション 引用wwdjapan.com
ダンは、GUCCIをはじめとするラグジュアリーブランドのロゴを無許可で用いてオリジナルの服やグッズを作って売っていたため、1980年代〜90年代に全盛期だったブティックを閉店することに。
しかし2017年、ミケーレの手がけるGUCCIに、ダンのデザインに似ているウェアが発表されたのです。
ダンのデザインだと気付いた世間は、ミケーレを非難しました。
後日ミケーレはオマージュだったことを説明し、ダンへの敬意を示してコラボに踏み切りました。
この2つのコラボレーションは、メゾンブランドの中で前代未聞の出来事とされています。
しかし、ストリートカルチャーを取り入れるミケーレの柔軟な考え方もアピールできるコラボとして、ミケーレでなければ出来ない試みだったといえます。
他にもドラえもんやヒグチユウコ、ばなにゃなど、日本のキャラクターやイラストレーターとのコラボもおこなっているGUCCI。
ミケーレの作風と漫画的なキャラクターとの相性が良かったこともあり、これらのインパクトのあるコラボレーションが多く見られました。
イラストレーター、ヒグチユウコとのコラボレーション 引用fashion-press.net
アレッサンドロ・ミケーレを形作るもの
着実に積み上げてきたキャリアと、数々の革新を遂げてきたミケーレ。
そんなアレッサンドロ・ミケーレという人物は、一体どのようにして作り上げられているのか。
ここからは、アレッサンドロ・ミケーレを形作るものは何なのか?をお話していきます。
自由な思想
アレッサンドロ・ミケーレInstagramより 引用instagram.com
ミケーレは、「自由な考え方の持ち主で、かつ夢想家」と自称しています。
「私たちの仕事で最も興味深いのは、人々が少し自由になれるようなプラットフォーム、すなわちワードローブを生み出すということです」と、過去のインタビューで述べているミケーレ。
自由に広がる可能性を、ファッションというプラットフォームで伝えるため、ミケーレは固定概念にとらわれない自由な想像力を膨らませるのでしょう。
また、「ファッションから離れていたいんだよ。ファッションにはインスパイアされないし、僕はもっと別の視点でもの作りをしているから」とも語っています。
ファッションにとらわれない考え方は、GUCCIの世界観を作り上げるミケーレの思想を構成しているのです。
そして、「着飾ったり、服を身にまとうことで、こうあるべきというルールを変えられる」、「違いや個性を大切にしたい」というミケーレの思いは、様々な主張がぶつかり合うコレクションへ反映されています。
開放的で自由な思想こそが、クリエイティブの軸となっているのでしょう。
好奇心から得るインスピレーション
ミケーレの鋭い個性や感性の根源にあるインスピレーションは、好奇心から得ているといえます。
アート、歴史、哲学、本、インテリア、芸術、映画、音楽など、興味深いものや面白いものは何でも好きだというミケーレ。
そのため、GUCCI本社のミケーレの部屋には、あらゆるグッズがあふれているのだとか。
GUCCI デザインオフィスの一角 引用gucci.com
また、多くの有名デザイナーは一流スタイリストを起用している反面、GUCCIのコレクションではミケーレ自らスタイリングを組んでいるとのこと。
ミケーレの好奇心は、「何でも自分でやってみる」という人間性を作り上げているのです。
さらに、人見知りをしないミケーレは、人との関わりからインスパイアされることも。
アクティブに交流する姿はインスタグラムにも度々アップされ、ミケーレの人柄が垣間見えます。
ファッションというジャンルにとらわれない考え方があるからこそ、好奇心を加速させ、多くのインスピレーションを得ることができるのでしょう。
コレクターとしての一面
ミケーレは、熱心なコレクターとしても知られています。
ミケーレのコレクター人生は、8歳の頃から始まりました。
幼少期のミケーレは、色ガラスの破片や貝殻、コルクなどを集め、小さなトランクに保管していたそうです。
大人になったミケーレは、ルイス・キャロルによる「不思議の国のアリス」を計35冊も集めたり、360足以上のシューズを保有したり、好きなものにとことんハマるとコレクションしていくように。
マイセン磁器製のミニチュアパグも集めているそうで、コレクションジャンルは様々です。
また、ミケーレといえばジュエリー。
両手のほとんどの指には、キツネや瞳、彫刻モチーフなどのリングを、首と手首には重ね着けしたネックレスとブレスレットを、ミケーレの体には重量感のあるジュエリーコレクションが着けられています。
アレッサンドロ・ミケーレInstagramより 引用instagram.com
そんなミケーレのローマの自宅には、コレクションしたグッズやオブジェがいくつも転がっているそうです。
愛してやまないロンドン
ミケーレは、“ロンドンオタク”を自称するほどロンドンを愛しています。
ミケーレが初めてロンドンに訪れたのは、10代の時。
当時のミケーレは、スーパースキニージーンズに尖った靴、ブロンドのモヒカンという、パンクスのような攻めたスタイルをしていたそうです。
ロンドンを訪れた際は、リバティ百貨店に行き刺繍キットを購入するのが、ミケーレのお決まりとなっているとのこと。
リバティ百貨店 引用sekaitrip.com
他には、ロンドンの数々のアンティークショップを巡り、好きな色であるピンクを探す旅を楽しむというミケーレ。
そこからインスピレーションを得て、クリエイティブに活かすこともあるそうです。
また、英国のエリザベス女王を敬愛していることも有名な話。
ミケーレは、「女王は世界でも随一の個性を放っています」と、エリザベス女王をリスペクトしています。
さらに、2017年リゾートコレクションでは、ロンドンのウエストミンスター寺院で初となるファッションショーを実現しました。
ウエストミンスター寺院でのショーの様子 引用fashionnetwork.com
恋人と愛犬の存在
アレッサンドロ・ミケーレを形作るものとして必要不可欠なのは、恋人と愛犬の存在です。
ミケーレには、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で都市計画の教授をしているジョヴァンニ・アッティーリという長年の恋人がいます。
2人の出会いは、「マイスペース」という、当時主に音楽ユーザーに愛されていたSNSでした。
当時のミケーレは、今では考えられないほどソーシャルメディアに疎かったそうで、友人に使い方を教わり始めたそうです。
2人はマイスペースで連絡を取り合ったことをきっかけに、付き合うようになりました。
ミケーレの左腕の内側には愛の証である、アッティーリの愛称である「ヴァンニ」というタトゥーが刻まれています。
また2人は、ローマから約2時間離れたチヴィタ・ディ・バーニョレージョという断崖絶壁の上に位置する村に別荘を所有しているそうです。
休暇の際は別荘を訪れ、2人の時間を過ごしているとのこと。
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ 引用tori-dori.com
そして、大の動物好きで知られているミケーレは、ボスコとオルソという名前のボストンテリアを飼っています。
癒しの存在であるボスコとオルソは、ミケーレのインスタグラムにも度々登場。
アレッサンドロ・ミケーレInstagramより 引用instagram.com
さらにミケーレは、ボスコとオルソのドッグモチーフを用いた2018年の戌年を祝う、スペシャル・コレクションを発表しています。
そんな恋人と愛犬は、ミケーレの日常に欠かせない存在であり、クリエイティブを支えるパワーの源なのでしょう。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで呼んで下さり、ありがとうございます。
アレッサンドロ・ミケーレってどんな人?という事でお話してきました。
GUCCIからの退任が発表されましたが、今後どのような活躍をしていくのかとても楽しみですよね。
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GUCCIのこれまでのお買取り履歴はこちら(ミケーレ以外の時代のものも含みます)
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