ステラ・マッカートニーってどんな人?|STELLA McCARTNEY
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
ブランド創設から20年以上、ファッションのデザイン性はもちろんのこと、サステナブルな取り組みも世界中で支持されているファッションブランド「STELLA McCARTNEY(ステラ マッカートニー)」。
自身の名を冠したブランドを率いるのは、2023年の9月で52歳を迎えた、イギリス・ロンドン出身の女性ファッションデザイナーです。
今、最もイノベーティブな女性デザイナーとして名を馳せる彼女は、生まれながらのセレブリティ。
世界的ミュージシャンの子供として生を受けた彼女は、その血筋から地位を約束されたものと思われがちですが、自身の軸をしっかりと持ち、地に足をつけた生活を築き上げています。
彼女の生み出すファッションもさることながら、彼女の持つ強い信念・ワーキングマザーとしての生き方も、多くの女性から幅広い支持を得ている要因の一つとなっています。
今回は、そんな彼女が生まれ育った環境やデザイナーとしての活躍、彼女の理念と取り組みなどを紹介していきます。
今回は、
- ステラのバックグラウンド
- ステラの取り組み
という形でお話していきます。
デザイナーのことを掘り下げて知ると、もっとそのブランドが好きになるということはあるかと思います。
ぜひご覧くださいませ。
目次
ステラのバックグラウンド
ここでは、彼女の生い立ちから、どのような経歴を経て現在の活動に至るのかを解説していきます。
華やかな家庭に生まれる
1975年の写真。中央でポールの膝に乗っているのがステラ。引用okjapan.jp
ステラ・マッカートニーは1971年、世界的人気を誇る「ビートルズ」のメンバー、「ポール・マッカートニー(Paul McCartney)」と、写真家兼ミュージシャンである「リンダ・マッカートニー(Linda McCartney)」の間に、三女として生まれました。
2人の間には、ステラのほかに「メアリー(Mary)」「ジェームス(James)」という兄弟がいて、母の前パートナーとの子供の「ヘザー(Heather)」も父が正式に養子に迎えており、ステラを含めて4人の子供たちと両親で、温かな幼少期を過ごします。
現在子供達は、それぞれが興味のある分野で活躍しています。
長女のヘザーは陶芸家・インテリアデザイナーに、次女のメアリーは母と同じフォトグラファーの道を、ステラはファッションデザイナーに、長男のジェームスは父と同じミュージシャンとして活躍しています。
ステラがファッションに興味を持ったきっかけは、父が世界的スターであったことが大きく関係しています。
小さいころから、両親のクローゼットに入り込んで洋服を眺めたり、父の煌びやかなステージ衣装を見る時間が大好きだったという彼女。
ファッションの道を志すことに時間はかからなかったようです。
ただ、彼女の記憶の中に残る両親や家族の姿は、「ファンの前で演奏する父、フォトグラファーとして活躍する母」ではなく、「羊や馬に囲まれて、トンボを眺めて、ちょっとしたことで大笑いできる家族」「牧場で動物の世話をしておこづかいを稼ぎ、兄弟たちとベッドをシェアしたこと」なんだとか。
1978年の写真。姉のメアリーと(奥がステラ) 引用vogue.it
それは、両親の「“スターの娘”として生きるのではなく、“のびのびと豊かな気持ちで、笑顔溢れる家庭で育てたい”」という思いが関係しています。
両親はビートルズの熱狂的なファンたちからプライベートを隠すため、サセックスとスコットランドの田舎の田園で、豊かな自然と動物たちに囲まれて子供たちを育てていたのです。
12歳でデザイナーを志す
彼女がファッションデザイナーになることを決心したのは、12歳。
ファッションに関しての知識を独学で増やしつつ、1からデザインを起こす勉強を始め、12歳という若さでシンプルなジャケットを作り上げるまでになりました。母リンダは、彼女の才能を見込んで、様々なブランドのファッションショーに連れて行ったそうです。
両親が熱心に動物愛護活動をしていたため、彼女もその影響を受け、「毛皮・革・羽根を絶対に使わないファッションデザイナーになる」と決めていました。
ラグジュアリーブランドの利益の大部分は、革で作られたバッグやシューズ。
業界ではその事実は当たり前のことでしたが、彼女はそれを知ってなお、自分の信念をしっかりと押し進めることを決意したのです。
そして、その3年後には、フランス人デザイナーの「クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)」のもとでインターンシップ実習生としてクチュールの仕事のいろはを学びます。
その後、ロンドンの名門紳士服店で、伝説のテイラー「エドワード・セクストン(Edward Sexton)」のもとで、テーラリングの技術を深めていったのです。
彼は父ポールの洋服は勿論、世界中のスターのステージ衣装を手掛けてきた実績があります。
彼女のブランド「ステラ・マッカートニー」では、女性の洋服に見事なテーラリングを施していますが、そのルーツはここで培われたものです。
セント・マーチンズでの学び
セントラル・セント・マーチンズ 引用wikipedia.org
1995年、ファッション・アート・デザインの第一線で活躍する著名人を多く輩出しているファッションの名門校である「セントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins)」に入学。
セントラル・セント・マーチンズは、ニューヨークの「パーソンズ美術学校(Parsons School of Design)」や、ベルギーの「アントワープ王立芸術アカデミー(Koninklijke Academie voor Schone Kunsten van Antwerpen)」と共に、「世界3大服飾/美術系学校」の一つに数えられている非常に有名な学校です。
そこでは、「セリーヌ(CELINE)」のデザイナーとして10年間活躍し、同ブランドの黄金期を支えたデザイナーの「フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)」などと机を並べ、ファッションの基礎を学びます。
ここでも彼女の動物愛護の精神がぶれることはありません。
卒業制作の課題として、8体のコーディネートが必要で、洋服だけではなくシューズも合わせることを求められました。
工場に「何足か作ってほしい」とお願いしても、最小ロットに届かず当然のように門前払いされていたため、学生たちは皆スーパーマーケットで靴を手配していたんだとか。
そんななか、彼女は動物由来ではない素材を使用し、自分の提案するコーディネートにマッチするシューズを作ってくれる工房を見つけ出したのです。
そしていよいよ卒業制作の発表当日、彼女は一躍注目を浴びます。
ですが、その内容は「シューズまで世界観を反映させたルックが素晴らしい」という内容ではなく、「ランウェイを歩くモデルが、友人のケイト・モスとナオミ・キャンベルという世界的ファッションモデルだったこと」「父親のポールが、愛する娘のために新曲”Stella May Day”を作り、最前席に座っていたこと」の2点のみ。
卒業制作で。左からケイト・モス、ナオミ・キャンベル、ナオミとハグをするステラ。引用vogue.co.jp
彼女のショーはニューヨーク・タイムズの紙面を飾りましたが、彼女のファッションに関する情熱的なコメントはすべて削除されていたそうです。
ですが、時を同じくしてセントラル・セント・マーチンズに通う同級生たちの目は違いました。
多くの学生たちが諦め、妥協した「トータルコーディネートで、自分のルックにふさわしいシューズ作り」を、彼女は自身の力で道を切り開いて解決したのです。
彼女のことを、「どうせ親の七光りだ」と思っている同級生は、この時にはもういなかったのではないでしょうか。
クロエのクリエイティブディレクターへの大抜擢
デビューコレクションである98SSコレクションより 引用firstview.com
セントラル・セント・マーチンズの卒業後、彼女が選んだブランドは、1952年にフランスのパリで創設されたラグジュアリーブランドの「クロエ(Chloé)」。
多くの卒業生がファッションデザイナーとしての下積みで経験を少しずつ積んでいく中、彼女はクロエのデザインチームで2シーズン取り組んだあと、1997年にクロエのクリエイティブ・ディレクターに就任します。
当時このデザイナー就任は、大きなサプライズとしてトップニュースになりました。
というのも、前任はクロエ・シャネル・フェンディといった名だたるラグジュアリーブランドを牽引してきた「カール・ラガーフェルド(KARL LAGERFELD)」。
その後任が、つい最近学校を卒業したばかりで、経験も浅い(と思われていた)世界的ミュージシャンの娘だったからです。
業界の誰もが、弱冠25歳の彼女の起用には批判的でした。
前任のカールも、自分の後任はもっと大物であるべきだと主張していたのです。
ですが、その批判で諦めるような彼女ではありません。
彼女は、今までのクロエのクラシカルなスタイルと高級感はそのままに、官能的でロマンティック、ポップでキュートな感性を注ぎ込み、クロエの新しい一面を引き出しました。
そして結果的に、彼女が就任してからクロエの売上は約4倍になり、ブランドを大きく復活させたのです。
クロエで実力を見せつけた彼女でしたが、1998年に母のリンダが乳がんを患い、56歳という若さで他界し、大きなショックを受けます。
そこからは、今までも信念として持っていた動物愛護活動にさらに積極的に取り組むようになり、毛皮や革製品を使わないコレクションを作ろうと努力しましたが、クロエでの取り組みに限界を感じました。
そこで2001年、クロエとの協業に終止符を打ち、自身のブランド「ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)」を立ち上げることになったのです。
自身のブランド立ち上げ・デザイナー業の拡大
デビューコレクションである2002SSコレクションより 引用firstview.com
2001年に自身のブランドを立ち上げた彼女。
このブランドの展開は、グッチグループ(現在のケリング(Kering S.A.))の財政的支援によるものでした。
クロエを展開するリシュモングループ(Compagnie Financière Richemont SA)の競合グループからのデビューだったこともあり、業界にはサプライズとして映りましたが、この理由は「グッチグループが、サステナブルに力を注いでいたから」というもの。
彼女の信念を曲げずにブランドを展開していくために必要だったからで、リシュモングループからは円満退社であったそうです。
いよいよ自身のブランドを立ち上げた彼女は、そこでももちろんファッション性と自分の信念の融合に奮闘していました。
ファッションのデザインを進めていく一方で、第一優先であったことが”動物愛護”。
今でこそサステナブルの意識が当たり前のようになっていますが、ラグジュアリーブランドにおけるパイオニアは彼女であると言っても過言ではないかもしれません。
当時、友人デザイナーの「トム・フォード(Tom Ford)」が自分のスタジオに彼女を招き、ありとあらゆる革製品を勧めて彼女の気持ちを変えようとしたものの、全く気持ちが動かなかったというエピソードもあります。
ブランドデビューの翌年には早くもパリコレに参加が決まり、2004年には「adidas(アディダス)」との長期パートナーシップを締結。
今もなお人気を誇る、ファッション×スポーツの「アディダスバイステラマッカートニー(adidas by Stella McCartney)」をスタートさせました。
adidas by Stella McCartney2022SSコレクションより 引用stellamccartney.com
アディダスとの協業で、彼女は「スポーツ×ファッション」の分野にも活躍の幅を広げます。
もともと幼少期から乗馬をしたり、自転車に乗ったり、ダンスをしたりすることでリフレッシュしていた彼女は、いわゆる”スポーツウェア”のデザインに満足していなかったんだとか。
ビビッドカラーでロゴが大きく、見るからに機能性に優れている…そんなスポーツウェアとは一線を画すのが、アディダスバイステラマッカートニーのデザインです。
落ち着いたトーンのシックなカラー使い、女性らしい柔らかなフェミニンなサイズ感、高機能素材を掛け合わせたモダンなデザイン。
これらは、日々を忙しく生きる現代の女性にマッチして、彼女はスポーツの分野でもイギリスを代表するデザイナーに成長していきました。
アディダスとの協業の成功がきっかけでオファーが実現したのが、2012年のロンドンオリンピック、イギリス代表選手団「チームGB」の公式ウエアのデザイン。
世界で活躍するトップデザイナーが、自国のオリンピック全競技のウエアデザインを任されたのは世界的にも初めての試みで、大きなニュースになりました。
そして2018年には、イギリス王室のメーガン妃の結婚披露宴で使用するウェディングドレスのオファーを受け、彼女に合わせたホルターネックドレスを作成しました。
デザインを担当したメーガン妃のドレス 引用harpersbazaar.com
このように、彼女は自身のブランドを軌道に乗せながら仕事の幅を大きく広げていき、世界的に活躍する女性デザイナーの仲間入りを果たしていったのです。
幸せな結婚と子育て
彼女が順風満帆だったのは、仕事だけではありません。
2003年には、レインブーツで有名なブランド「HUNTER(ハンター)」のクリエイティブディレクターを務める「アラスデア・ウィリス(Alasdhair Willis)」と籍を入れ、生涯のパートナーを得ました。
夫であるアラスデアと。 引用vogue.co.jp
その結婚式には、クイーン・オブ・ポップと称される「マドンナ(Madonna)」、多くの広告モデルを務める「ケイト・モス(Kate Moss)」、歌手兼ライフスタイルブランドのCEOの「グウィネス・ケイト・パルトロー(Gwyneth Kate Paltrow)」といった、世界中のセレブが集結しました。
また、結婚式で彼女が着用したウェディングドレスは、母親のドレスをベースに彼女自身でリメイクした、世界に一つだけのドレス。
世界トップレベルのファッションデザイナーである彼女の着用するドレスに注目が集まり、彼女の家族愛も大きくニュースになりました。
それから男の子2人、女の子2人、合計4人の子供たちに恵まれたステラ。
もちろんデザイナー業にも手を抜いていない彼女は、誰よりも早く起きて仕事のミーティングをし、夜までブランドのチームメンバーと行動を共にして、遅くなっても必ずロンドンの家族のもとへ帰るといいます。
日々、ベビーシッターとハウスキーパーなどのフォローがあっても、ワークライフバランスの難しさを実感しているそう。
休日には子供たちと一緒に出掛けて、郊外で育てている野菜を収穫して食事を作ったり、乗馬をしたりして過ごしていることが、一番の癒しだとインタビューでも語っています。
一見華やかな家庭で生まれ育った彼女ですが、自分が育てられたように、穏やかで優しい家庭を築くことを意識していることも、世界中の女性から支持されている一因でしょう。
ステラの取り組み
「ステラ・マッカートニー」は、ファッションの楽しさとサステナビリティの両立に正面から向き合い、大成功を収めたブランドのパイオニア。
ブランドでは、洋服のほかにも、靴・バッグ・ランジェリー・キッズ・化粧品・香水など、様々な分野で事業を展開していて、世界で最もサステナブルな取り組みに力を入れているラグジュアリーブランドの一つです。
そしてそれには、ブランドを率いるステラ自身の理念が大きく関係しています。
ステラが動物愛護活動を熱心に支持したり、厳格な菜食主義者であったり、環境に深く配慮したビジネスを行ったりしているのは、主に幼少期に両親から影響を受けたことが関係しているのです。
若くしてデザイナーを志した時から、「ファッションを楽しみながら、命と共存するブランドを立ち上げたい」と意識してきたステラの、サステナブルな取り組みを抜粋して紹介していきます。
動物愛護
過去のコレクションから再利用した「ファーフリーファー」を使用したコート。 引用stellamccartney.com
フェザーやダウン、レザーなどの動物性由来の素材を使用した洋服は、言うまでもなく動物の犠牲の上に成り立っているものです。
素材として利用される動物たちは劣悪な飼育環境や採取方法を取られることも多く、世界中で問題視され始めています。
ステラは、動物性由来の素材を使用したファッションを減らすことで、犠牲となる動物を保護していくことを信念として掲げているのです。
「革を使わないバッグなんて到底できるわけがない」と業界から馬鹿にされたバッグも、大ベストセラーとなったヴィーガン仕様のバッグ「ファラベラ」のように、動物由来の素材を使用しないだけでなく、持ち手部分にチェーンを使用することでファッション性のアクセントもプラス。
ブランド不動の人気を誇る「ファラベラ」 引用stellamccartney.com
できないことを数えるのではなく、クリエイティブな手法を使って納得のいく商品を作り上げていく彼女のスタイルは、世界中で称賛されました。
バッグだけではなく、コレクションのラインナップには毛皮も一切使用せず、リサイクル生地やオーガニックな素材を進んで取り入れています。
特に2023年FWコレクションでは、レザーの代替素材「MIRUM®(ミラム)」を使用してバッグを作ったり、定番バッグの素材を、クロコダイルの型押し風の加工を施した廃棄リンゴから作られた「アップルスキン(AppleSkin™)」に変えたりと、常に新たな挑戦を続けています。
アップルスキンを使用したバッグ 引用saksfifthavenue.com
このコレクションは、アイテムの約80%以上を環境に配慮した素材を使用して作り上げたこともあり、ブランド史上最もサステナブルなコレクションだと話題になりました。
また、彼女の動物愛護の取り組みは、使用する素材だけに留まるものではありません。
店舗のストアウィンドーを猫のグラフィックで埋め尽くし、そのプロモーションを通じて、動物愛護団体・動物保護施設のサポートをするために寄付金を募ったこともあります。
そのチャリティーで集まった寄付金は猫の避妊手術や去勢手術のキャンペーン活動などに充てられていて、世界的動物の殺処分を減少したいという彼女の思いが反映された取り組みの一つです。
このように彼女は、動物がいきいきと生活できる魅力的な世界の創造に向けて、ブランドを通じてメッセージを送り続けているのです。
環境保全
「SDGs(持続化な開発目標)」という言葉が流通していなかったブランド立ち上げ当初から、持続可能な取り組みとファッション性の両立をブランドの原点に抱えてきたステラ。
彼女は、「地球に与える影響を最小限に抑えること」にも特に力を入れています。
例えば、衣類を作るうえで欠かせない「コットン(綿)」。
通常、コットンを生産する時は、害虫を駆除する目的で大量の農薬を使用しますが、それによって土壌汚染が発生し、生産者の健康も脅かされています。
そこで登場したのが、「オーガニックコットン」。
ファッションに興味がある人は、一度は耳にしたことがあるかもしれません。
通常コットンを生産していく過程で必要な農薬・化学肥料の使用をできる限り抑えた植物の繊維や、そこから作られた素材を使用していくことで、地球環境と労働環境を守っていく…という狙いがあります。
例に挙げたオーガニックコットンは、比較的多くのブランドが使用しているものですが、彼女の取り組みはそれだけではありません。
ステラが生み出したイノベーションの一つとして有名なのは、極限までリサイクルが可能な「ループスニーカー」。
ループスニーカー 引用cettire.com
通常、スニーカーのソール部分はリサイクルができない“非生分解性ポリマー”で作られていて、それがアッパー部分に糊で密着しているため、廃棄されてもリサイクルすること自体出来ません。
ですが、彼女の生み出したループスニーカーは、アッパーとソールを糸で取り付けているため、リサイクルできないソール部分を簡単に取り外して、シューズをリサイクルできるものです。
このように、地球にやさしい素材を使用したり、リサイクルできる商品を多く展開したりしているのがブランドの大きな特徴ですが、彼女の取り組みはさらに多方面に渡っています。2021年には、アマゾンの森林破壊ゼロを目指すNGO団体をサポートするために「ステラ×グリーンピース」というカプセルコレクションを展開したり、海洋を汚染するごみを実際に拾う「ビーチ・クリーニング」を社内イベントで催したりと、様々な活動を通して「地球を大事にする」メッセージを送り続けています。
また、そんな彼女の思いを体現している旗艦店が、ロンドンのオールド・ボンド・ストリートにあるショップ。
ショップの外観、内部の階段 引用stellamccartney.com
使用されているマネキンはサトウキビ由来で生分解可能、店内の電気は風力発電。
壁紙はステラ本社でシュレッダーにかけられた紙ごみで作られていて、置かれたソファーはヴィンテージ。
まさに彼女の思いを具現化している旗艦店ということで、ブランドファンが世界観を好んで来店することも多いそうです。
ほかの取り組み
「Meat Free Monday」ロゴ 引用meatfreemondays.com
菜食主義の彼女の父と共に立ち上げた「Meat Free Monday」は、週に1日“肉を食べない日を設ける”という環境保護のキャンペーン。
これは地球の環境に配慮して作られたもので、畜産産業による温室効果ガスや、食料廃棄の問題に直面して作られたもの。
“絶対に肉を食べない”と決めて徹底する…というよりも、地域に根付いたベジタリアンメニューを探しながら、楽しんで取り組める内容になっています。
また、ステラは2014年から、乳がん意識を向上させるためにデザインを起こしたり、有名モデルを起用したランジェリーのコレクションを発表したりと、「乳がんの啓発活動」も継続して行っています。
この活動のきっかけは、彼女が母を乳がんで亡くしていること。
ブランドの売上の一部を乳がん研究施設に寄付するほか、女性が受ける暴力反対を訴える活動を行うために、”ホワイトリボン・バッジ”のデザインにも携わっています。
このように、彼女は“女性であること”をまっすぐ見つめ、意識改革を図る活動も行っているのです。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
生まれながらのセレブリティだったがゆえの苦労を、デザイナーとしての優れた仕事ぶりで乗り越えてきたステラ・マッカートニー。
両親との暖かな家庭のエピソードなどもとても興味深いものでした。
KLDでもSTELLA McCARTNEYのお買取を強化しています。
インポートブランド、ラグジュアリーブランドの査定を得意とするスタッフの在籍により、高い精度での強気のお値付けが可能です。
STELLA McCARTNEYのこれまでのお買取り履歴はこちら
宅配買取というと、
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