ココ・シャネル、獅子座の女|CHANEL
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
ファッション史に燦然と輝き、今もなお世界中の人々の憧れを集め続けるブランド、CHANEL(シャネル)。
その創業者であり、デザイナーのココ・シャネルという女性はどのような人物なのか?どのような世界観を目指していたのか?など、この記事ではCHANELというブランド及びココ・シャネルという人物に迫りたいと思います。
今回は、
- CHANELとは?
- ココ・シャネルの経歴
- CHANELを形作るもの
- 愛され続けるシャネル
という形で、お話していきたいと思います。
目次
CHANELとは?
CHANEL(シャネル)は、皆さんご存知の通り、世界中で愛され続けているブランドです。
服だけでなく、バッグ、ジュエリー、化粧品…など、様々なジャンルにおいて世界中の女性が憧れるブランドといっても過言ではありません。
CHANELの創業者は、Coco Chanel(ココ・シャネル/ガブリエル・ボヌール・シャネル)です。
2022年、日本において実に32年ぶりとなる、デザイナーであるココ・シャネルにフォーカスした展覧会が開催されていました。
このようにCHANELというブランドは、ブランドそのもの以外に、ココ・シャネルの哲学、生き様が注目されています。
またブランドの特徴として、CHANELには、メンズがありません。
正確に言えばメンズはあることはあります。
しかし、それはあくまでも女性から男性へのプレゼントというイメージで売られています。
このように、CHANELには徹底したレディースに対してのこだわりがあります。
これもシャネルを語る上で大事なことです。
また、CHANELはブラックという色にも、特別なこだわりを持っています。
CHANELというブランドが生まれた当初、ブラックは「喪服の色」としてタブー視されていました。
しかし、それをファッションに取り入れモードの最先端カラーに定義したのがシャネルでした。
CHANEL(シャネル)。
そこには、「モード」以上のもの、「革命」があります。
シャネルはなぜ、こんなにも世界中の女性たちから支持されているのか…その理由を、ココ・シャネルという女性を掘り下げながら、探っていきたいと思います。
ココ・シャネルの経歴
ココ・シャネルは、1883年8月19日、フランスのメーヌ=エ=ロワール県ソミュールに誕生し、1971年1月10日、87歳で亡くなりました。
ココ・シャネルは獅子座の女性。
獅子座は星占いでは「怖いものなし」と言われるほど、強い女性の象徴です。
波瀾万丈ではありますが、まさにココ・シャネルの生涯も、強い女性そのものを表しているといえます。
ココ・シャネルの幼少期から話をすると、12歳の時、母親が病気で亡くなっています。
シャネルの父はその後、シャネルを聖母マリア聖心会が運営する孤児院に預けます。
そこでの生活は、厳しく質素なものであったとされ、シャネル自らここでの生活を語る事は避けていたほどに、彼女にとっては耐え難いものだったようです。
しかしココ・シャネルは、そこで裁縫を学びました。
シャネルはこの孤児院で、デザイナーとしての一歩を踏み出したと言っていいでしょう。
彼女は18歳という年齢で孤児院を出る決断をし、その後仕立て屋での仕事をはじめました。
また、芸能の道も志していた彼女はキャバレーで副業として歌をうたっていたそうです。
ココ・シャネルの本名はガブリエル・シャネルです。
ココ・シャネルの「ココ」は、当時歌っていた曲名にちなんだものであると伝えられています。
その後、23歳になってシャネルは、キャバレーで知り合った資産家のエティエンヌ・バルサンの愛人となり、パリ郊外のバルサンの邸宅で、自堕落で暇を持て余す生活を始めます。
その生活の中で暇潰しに作ったとされる、当時としては珍しい装飾のない帽子が当時のクルティザンヌ(今で言う高級娼婦のような存在)達などから人気になり、帽子店の開業を勧められるまでになります。
開業に向けて資金援助をしてもらえるようバルサンに依頼するのですが、愛人を囲っておきたいバルサンに当初は断られてしまいます。
しかしその後、友人たちのサポートもあって、バルサンからも渋々…といった感じだったそうですが、資金援助を受ける事ができました。
そしてシャネルが27歳の時、ブティック「シャネル・モード」のオープンという形で、本格的に帽子店の経営に乗り出します。
その後、バルサンと別れた彼女は、アーサー・カペルというイギリス人実業家の男性との交際を始めます。
カペルはシャネルに出店の費用を提供した友人の一人でしたが、その後シャネルが最も愛した男、と言われるまでの関係になる男性でした。
アーサー・〈ボーイ〉・カペル(1881~1919) 引用book.asahi.com
経営の方は調子が良く、1913年になりレジャーやスポーツに適した豪華&カジュアルなファッションを販売するブティックを開業しています。
また、1921年にはシャネルはじめての香水である、「No.5」「No.22」が誕生しました。
この香水のヒットにより、シャネルは一躍富豪の仲間入りを果たしたといえます。
「シャネル No.5」 引用vogue.co.jp
ブティックの経営は順調だったのですが、第二次世界大戦が勃発し、一部店舗を残しましたが、ほとんどのビジネスは閉鎖されることになりました。
1940年、フランスはドイツ軍に占領されます。
そのときシャネルはパリ駐在のドイツ外交官・諜報員(スパイ)と愛人の関係でした。
そして、シャネルはドイツの諜報活動に関与していたと噂されるようになります。
戦争が終了し、彼女はナチスの諜報活動に協力したことで犯罪者として告訴されるのを回避しようと、スイスに亡命をします。
そして1954年、70歳を過ぎたシャネルはスイスでの亡命生活を終え、パリに戻って、なんと新作ドレスを発表します。
シャネルがファッション界に不在の間に、ディオールが「ニュールック」としてウエストを強く絞ったシルエットを復活させた事などに、強い憤りを感じたためです。
クリスチャンディオール 1947年「ニュールック」 引用fashion-press.net
そうしてここまで波瀾万丈の人生を歩んできた彼女は、ここにきて静かな老後を過ごす事を選ばずに、ファッション界への復帰を果たしました。
しかし、「売国奴」「スパイ」のイメージも消えず、デザイン的にもヨーロッパではシャネルは「古臭い」などと散々なバッシングを受けることに。
それでもシャネルは、女性の社会進出がめざましいアメリカにおいて熱狂的に受け入れられることになりました。
1971年1月10日、ココ・シャネルは死去。それは87年の生涯でした。
CHANELを形作るもの
嫌悪の精神
ココ・シャネルは、
「失敗をしなくちゃ、成功はないわよ」
「かけがえのない人間になるのには、いつも他人と違っている必要がある」
「私は私の人生を作り上げた。なぜなら、私の人生が気に入らなかったからだ」
など、様々な名言を残しています。
シャネルには、修道院での貧しい子供時代の経験があります。
しかしそれをバネにし、「シャネル帝国」と言われるほどの大きなブランドを築き上げることになりました。
シャネルは、その人生の中で「莫大な富」、「成功」、「愛」と言った華やかなものを手に入れることになるのですが、一方でシャネルを語る上で欠かすことができないワードは、「怒り」であり、「復讐」、「嫌悪」と言ったネガティブワードです。
シャネルというブランドをとらえる上で押さえておかなければならないポイントは、シャネルが上流階級の女性たちをひどく嫌い、軽蔑したということです。
「上流階級の女性たちは夫の富の下でしか存在価値を示すことができない。パーティーでは、いつも他人のジュエリーばかり気にしていて、ジュエリーによって価値が決まるかのような錯覚をしている。」
「お金がなければファッションを楽しむことができないと考えている」
シャネルは、価値のあるジュエリーを身に着けたからと言って、それが女性を豊かにするわけではないと考えていました。
現代の価値観からすれば自然な考え方ですが、当時はなかなか理解されていなかったようです。
このようにココ・シャネルという女性の根底には、姿ばかりを着飾って、それによってのみ美しさを競っているだけの上流階級の女性たちへの嫌悪がありました。
そしてそれに反発する気持ちから、当時としては珍しい装飾のない帽子を生み出し、その後、ファッションブランドとして成功していく中でもコルセットを着けないスカート丈の短い動きやすい服など、女性を自由にするようなアイテムを生み出しました。
カメリアモチーフ
シャネルブランドに欠かすことができない存在には「カメリア」があります。
カメリアは、日本原産の「椿」のことです。
CHANELでは度々、カメリアモチーフがジュエリーなどのデザインに用いられ、象徴的な存在感を放っています。
それではシャネルはどうして日本原産の「椿」をこんなにもモチーフとして採用したのでしょうか。
シャネルのカメリアの誕生のきっかけは、盟友でもあり最愛なる恋人でもあった、アーサー・カペルからの白い椿のプレゼントだと言われています。
それからココ・シャネルは椿の花をとても大事にし、ブローチやコサージュなど日常のファッションに取り入れていきました。
椿の花は、ココ・シャネルが生涯愛した花とも言われています。
前述の通り、フランスに根付いていたファッションの考え方に対して根本的な疑問を抱き、彼女は、女性の自立と、当時存在していた女性らしいファッションからの解放を強く願っていました。
椿の花は、1枚1枚の花びらからエレガントさと力強さを感じ取ることができます。
滑らかで厚みのある花びらの重なりは、シャネルの思う女性の強さと美しさを表現することができるため、理想とする女性像としてコレクションに採用したのです。
コスチュームジュエリー
1988年SSシーズンより 引用madamefigaro.jp
上述のようにシャネルは、「価値の存在しているジュエリーを身に着けたからと言ってそれが女性を豊かにする訳ではない」と考えていました。
シャネルのファッションスタイルの基本は、「着心地がよく実用的、無駄がないこと」です。
それは、ファッションスタイルであると共に、シャネルの生き方自体を表現しています。
シャネルは、「宝石好きの女たちは首のまわりに小切手をつけているようなものだ」という言い方もしています。
そこでシャネルは、イミテーションジュエリーを制作して、価格の高いジュエリー好きの女性たちに挑戦状を叩きつけたのです。
「コスチュームジュエリー」と言われるそれは、イミテーションの宝石をデザイン性の高いアクセサリーに昇華したもので、素材の価値にとらわれずにおしゃれを楽しむことが出来る、まさにシャネルが抱いた上流階級の女性たちへの反感から生まれたアイテムといえます。
1960年 ブレスレット 引用marieclairejapon.com
そしてそれは多くのおしゃれな女性たちに受け入れられ、大流行しました。
本物とイミテーションのパールネックレスを混ぜ重ねづけするのがシャネル流です。
長めのパールを重ね付けするシャネル 引用vogue.co.jp
「コピーされることは賞賛と愛をうけとること」
と、ココ・シャネルは語っています。
さらに、シャネルはこう言います。
「私はいつだって自分自身が着たいと思うもの以外作らないの」
反骨的な精神から生まれたアイテムであっても、シャネル自身が身につけたいと思えるおしゃれさがある…CHANELがファッションブランドとして支持され続ける理由のひとつが、ここにあるのではないでしょうか。
ココ・シャネルが作ったスタイル
前述のコスチュームジュエリーのように、ココ・シャネルがブランドを通して作ったり、広めたりしたファッションスタイルはたくさんあります。
例を挙げると、
- ジャージー素材の服
- ツイードの女性用スーツ
- 女性のパンツスタイル
- コスチュームジュエリー
- 女性用ショルダーバッグ
- 黒いドレス
- つま先の色を切り替えたバイカラーパンプス
などなど…非常に多くのスタイルが、CHANELによって生まれたり、広められたりしました。
CHANELというブランドが生まれた当時、女性たちはコルセットを着けたタイトなシルエットであったり、高いウエストライン、また足首に届くほどの長いスカート…などの、装飾が過剰な服を身につけるのが主流でした。
その生活は窮屈以外の何ものでもなく、衣装によって拘束されているかのようでした。
そこでシャネルは、男性の下着として使用されていたジャージー素材に着眼し、女性の肉体を解放することに成功しました。
ジャージー素材のドレスを着るシャネル 引用wwdjapan.com
ジャージー素材で作ったゆったりめのウエストのジャケットにふくらはぎ丈のスカートは、身体に沿いやわらかく動き、女性たちの心をぐっと惹きつけることに成功しました。
そうしてシャネルは瞬く間に人気デザイナーの仲間入りをします。
また、当時、パジャマは男性だけのものでした。
女性がズボンを履くことはタブー視されていたので、女性たちはネグリジェのような寝巻きを着ていました。
そのような時代にシャネルは、部屋だけではなくビーチであったり街にも着ることができるパジャマルックを提案し、注目を浴びます。
実際にこれをきっかけとして女性のパンツスタイルがようやく受け入れられるようになりました。
さらに当時は、女性用のおしゃれなドレスといえば、刺繍やレースがついた華美なデザインばかりが主流でした。
装飾を削ぎ落としてシンプルに、なおかつ喪服にしか使われないブラックカラーのドレスなど、あってはならないデザインです。
そこで、シャネルからカジュアルにもフォーマルにも装えるリトルブラックドレスが登場します。
現代の女性の場合、定番スタイルともいえるくらいシンプルなものですが、このスタイルを一般に普及させたのもシャネルでした。
1926年 CHANELのブラックドレス 引用vogue.co.jp
このドレスなら着けるジュエリーを変える事によって、同じ服で昼にも夜にも対応でき、一度家に戻って着替える時間を短縮できる。
こうしたファッションに関するTPOの感覚は、現代ではなかなか理解しにくいですが、この提案によって女性たちは自分たちの時間をより自由に使う事ができるようになったともいえます。
そして、女性の社会進出を後押ししたものが「シャネルスーツ」です。
1958年 CHANELのツイードのスーツ 引用hpplus.jp
スイスでの生活を終えてファッション界に返り咲いたシャネルが発表した、新しい価値観。
それまで男性のスーツに使用されていたツイードを使用し、ノーカラーでブレードの飾りが付けられ、美しいシルエットのために真鍮のチェーンが縫い込まれたシャネルスーツ…現在ではすっかりおなじみのシャネルのアイコン的存在です。
しかし当初、マスコミの反響はそれ程いいものではありませんでした。
憂鬱の回想
1930年代の亡霊
葬式みたい
などと、散々な酷評を受けたそうです。
フランスでもイギリスでも不評だったのですが、意外にもシャネルスーツはアメリカからラブコールが寄せられ、人気になりました。
女性解放の勢いはアメリカの方が何歩もリードしていたようです。
このようにシャネルは、時代に合わせて何度も女性を自由にする革命を起こしてきたブランドといえます。
愛され続けるシャネル
女性たちに愛し続けられる理由
1960年 ココ・シャネル 引用vogue.co.jp
ファッション史に燦然と輝く世界的に人気のブランド、CHANELですが、ココ・シャネルの才能とは、
- 生まれた時代背景
- シャネルが女性であること
によって裏付けされている部分があるかと思います。
ここまでお話したように、決して裕福でない家庭の中で生き、シャネルは嫌悪の精神を学びます。
また、男性社会でなかなか女性が活躍する舞台がなかったからこそ、それを最強の武器とすることができました。
シャネルの生きた時代、ファッションに限らずですが、活躍していたのはほとんど男性デザイナーです。
しかし、彼らがどう頑張って服を作ったとしても自分自身が着ることはできません。
よって男性デザイナーたちは、「女性たちに着せたい」と思っている服しか作ることができません。
特にシャネルの活躍する前までの時代、本当に身体に快適な服なのであるかは、ほとんど無視されていました。
シャネルが作り出したのは、そうではなく「自分自身が着るための服」であり、「着たいと思っている服」を作っているからこそ、着る人たちの気持ちを理解することができたのです。
このように、CHANELが女性たちに愛され続けた理由は、シャネルが女性であったからという部分も大きく影響しています。
同じ時代に生きた女性デザイナーはいたことはいますが、みなが裏方であってシャネルのように表舞台に立つことはありませんでした。
そのような意味でシャネルは特別な存在だったのです。
ヴィンテージシャネルの人気
ヴィンテージシャネルとは、製造年から20年以上経過したCHANELの商品のことです。
シャネルのヴィンテージ品で特に流通し、人気のあるのは、バブル時代と呼ばれた1980年〜1990年頃以前のものに該当します。
CHANELのバッグであったりアクセサリーは、バブルが崩壊した後は、人気が下火となります。
そして当時女性らに重宝がられたアイテムのほとんどはタンスの奥にしまわれてしまったのです。
一時、全身をCHANELのアイテムでコーディネートする、通称「シャネラー」が日本で流行。
一世を風靡しました。
95年のバキバキシャネラー時代🐥 pic.twitter.com/RcDPmXzjwb
— Tajimax🌺平成ガールズカルチャー論。 (@rainbow_wool) September 29, 2021
90年代、若い女性から大人の女性までシャネルブームが起こりました。
そのように過剰にもてはやされた時代のあとでは、CHANEL程の不動のファッションブランドでも、飽きられることがあるのかもしれません。
しかし現在…、バッグの持ち主であった女性たちの子供たち世代が、タンスに眠っていたシャネルをコーディネートに取り入れるようになり、蘇ったのです。
また、写真がSNSに投稿され、ヴィンテージシャネルが人気となっています。
デザイン性、クオリティー、ネームバリュー…などのある世界的なハイブランドは、欲しいと思っても通常、非常に高額です。
しかし、ヴィンテージであればかなりリーズナブルに買うことができます。
そしてヴィンテージシャネルの人気の理由は、クオリティーの高さにあります。
20年以上の時を経ても綺麗で新品のように使うことが出来るヴィンテージシャネルは、「シャネルが丈夫で長持ちする」という事を再度世間にアピールすることにもなりました。
ヴィンテージシャネルというジャンルの中ではバッグ、ツイードのスーツ、ジュエリー…など様々なアイテムが人気ですが、特にバッグに関しては、シャネルというブランド自身が特別な情熱を注いでおり、それがヴィンテージの人気にも繋がっています。
例えば現在、みなさんは女性用のショルダーバッグは当たり前にあると考えていらっしゃると思いますが、それを作り出した人物はココ・シャネルです。
シャネルがショルダーバッグを発表した当時、女性の持つバッグはハンドバッグが主流でした。
そんな中、「両手を自由に使えるように」と、シャネルが初めて女性用のショルダーバッグを発表しました。
世界初のショルダーバッグ(2.55)は社会で活躍するようになった女性たちの必須アイテムとなり、全女性が美しく、かつ躍動的であるための永遠の代表作ともいえる存在です。
1955-1971年頃、シャネル「2.55」 引用marieclairejapon.com
ココ・シャネルはバッグの外側はもちろんのこと、内側にも同じ程度の美しい仕上げを施すことを信条とし、メゾンは現在でも忠実に従っています。
あたかもバッグの中にもう1つのバッグを作るかのように妥協をせず、見えないところまで丁寧に作られ、30年経ても美しい状態を維持するバッグが多くあることは、クオリティーが高いことの何よりの証です。
ブランドの長い歴史の中で、シャネルに対してネガティブなイメージが持たれてしまった時代が無い訳ではありませんが、「良いものは必ず残る」ということをヴィンテージシャネルは証明しています。
ここまで読んで下さった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ここまでお話したとおり、CHANELというブランドは、ココ・シャネルの生き様がそのまま反映されたブランドです。
ココ・シャネルは自分が着たいと思っている服を作り、実際に着る女性たちの気持ちを理解しながらブランドを作ってきました。
時代の空気ではなく女性たちに寄り添うことで、結果的にCHANELには、「古い価値観にとらわれず、自由で自立した女性像をポリシーとした存在感」が生まれ、それが現在まで愛されています。
ココ・シャネルは、フランスに宿っているファッションの考え方に根本的な疑問を抱き、女性の自立と当時存在していた女性らしいファッションからの解放を強く願い、永遠のスタイルを生み出しました。
ココ・シャネルは獅子座の女性。強い女性の代名詞として使われることもあります。
強い女性であるからこそ、嫌悪やそれに対する反発心をバネとして、このように何倍にも高く飛び上がることができたのです。
CHANELというブランドが好きという方々は、そのようなココ・シャネルの人間像をも愛していることが多いのではないでしょうか。
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