草間彌生ってどんな人?|「前衛の女王」とファッション
引用 hollistaggart.com
こんにちは。ブランド古着買取専門店のKLDです。
ルイヴィトンなどともコラボレーションし、アート業界のみならずファッション業界からも熱い視線を集めているアーティスト、草間彌生さん。
今回は、年を重ねても更にパワフルに活動する草間彌生さんについてご紹介していこうと思います。
- 現代アーティスト「草間彌生」
- 草間彌生の経歴
- 草間彌生の作品
- ファッション業界との関わり
という形でお話していきたいと思います。
目次
現代アーティスト「草間彌生」
ユニークな見た目とキャッチーなモチーフで知られている、現代アーティストの“草間彌生”。
彼女について「水玉模様の人」「かぼちゃモチーフの人」「よくブランドとコラボしている人」…そんなイメージだけを持っている人が多いのではないでしょうか。
実は彼女は「前衛の女王」という異名を持つ、日本の現代アートを牽引している存在。
2023年で94歳を迎えますが、なお精力的に芸術活動を継続しています。
彼女の作品はどれも独自性が高く、ユニークでカラフル。
その作品は、すべて彼女が日常生活の中に溢れる自然の中からインスピレーションを得ていて、反戦・自由愛などを表現し、”性・生死・無限の宇宙”などといった普遍的なテーマに基づいて制作されています。
そんな彼女の作品は、日本国内だけではなく、海外でも美術館・個展を通して展示されています。
今回は、そんな世界中から愛されている”草間彌生”について、生い立ちや経歴、代表作などを交えてご紹介していきます。
草間彌生の経歴
辛い経験を重ねた幼少期
幼少期の草間彌生 引用 tjapan.jp
草間彌生は、1928年3月22日に長野県松本市で生まれました。
生家は、江戸後期から種苗業と採種場を営んできた旧家で、広い土地と裕福な富に恵まれ、地元では資産家として有名な血筋。
そんな草間家は、地元の画家のパトロンをしていたことで、彼女も小さな頃から”美術・芸術“に触れる機会が多かったそうです。
生まれ落ちた旧家は歴史ある家柄だったものの、彼女の礎を作る幼少期の記憶は、非常に辛いものだったといいます。
理由は、その生活環境にありました。
草間一家 1929年頃 引用 bijutsutecho.com
彼女の父である「草間嘉門」は、婿養子として草間家に迎え入れられました。
父親は、草間彌生が生まれてからも、狂ったように芸者遊びをしたり、家の家政婦にも手を付けたり、勝手に芸者を身請けして上京したりと、とても自分勝手で、家庭を顧みない人物でした。
もともと良家の生まれで気位の高い母親は、そんな父に対して絶えず怒り、荒れ果て、両親は日々喧嘩ばかり。
そんな家庭環境で育った彼女は、幼いながらに「なぜ男は自由に性生活を楽しみ、女は耐え忍ぶだけなのか」「こんな不平等なことがあって良いのか」と憤りを感じていて、この経験は、後の彼女の思想形成に大きな影響を与えています。
そして12歳の時、長野県立松本第一高等女学校に入学した頃から、彼女は統合失調症にかかり、主に幻聴、幻覚といった症状を慢性的に抱えることになります。
放蕩癖のある父親と、それによるストレスでヒステリーを起こし虐待をする母親…そんな身勝手な両親に囲まれて、彼女は精神的に追い詰められていきました。
そんな彼女を支えてくれたのが、小さなころから触れ合ってきた「芸術」でした。
自分の幻聴・幻覚を、絵画に書き起こすことで、自分に襲い掛かる苦悩から逃れようとしたのです。
その中で、作品を水玉模様で埋め尽くす儀式をしていたとも言われています。
草間彌生と言えば”水玉模様”という印象が強いかもしれませんが、幼少期の辛い思い出が、彼女の原点を作り出していたのです。
「無題(母の肖像)」10歳の頃の作品 引用 tjapan.jp
彼女は、のちにインタビューでもこのように語っています。
「子どもの頃から、自殺への憧れがすごくありました。家庭環境に悩んで、幻聴や幻視にとらわれてものすごく恐ろしくて、毎日、自殺したいと願うほど追いつめられて。自殺を思いとどまらせてくれたのは、絵を描いたり、作品をつくったりすることだった。」
草間彌生が語る、愛とアートに生きる理由。 引用 vogue.co.jp
非常に苦しい幼少期の思い出と、それを支えてくれた芸術が、現在の彼女の基盤になっていることがよくわかるインタビューとなっています。
日本での芸術活動と単身渡米
それから先、彼女はさらに芸術の世界にのめりこんでいくことになります。
彼女が17歳を迎える1945年には、全信州美術展覧会に初入選し、24歳になる1952年には、松本市で初めて個展を開催したりと、芸術家として順調に活動しているように見えました。
24歳、個展での姿 引用 Instagram@yayoikusamamuseum
しかし彼女は自身の複雑な家庭環境や周囲からの理解のなさに、「このまま日本にいてもだめになる」と単身渡米を決意。
その渡米を助けたのは、アメリカの女性画家、Georgia O’Keeffe(ジョージア・オキーフ)でした。
ジョージア・オキーフ 引用 heapsmag.com
27歳の頃、草間彌生はジョージア・オキーフに自身の芸術活動に関する手紙を書くと、見知らぬ日本人画家からの手紙であったのにも関わらず、ジョージア・オキーフは親切に返信し、彼女がアメリカで活動をしていくサポートを行ったのです。
そしていよいよ渡米が決定すると、彼女は、今までの自分と完全に決別すべく、既存の作品をすべて燃やして渡米したそうです。
この行動からも、彼女の強い芸術への信念を感じます。
アメリカでの活動と“前衛の女王”への道
1957年に渡米してからすべてが順調だったのかというと、そうではありませんでした。
最初は注目を浴びることもなく、全く評価されない時期が続いたのです。
その理由は大きく分けて二つありました。
一つは「アート後進国から来た外国人であったこと」。
もう一つは、「女性であったこと」。
アートの世界は、美術史を遡ると明確にわかるように、基本的には男性が中心。
当時は女性が一人で個展を開くことなど不可能に近かったのです。
しかし、その逆風の中でも諦めず、革新的な技法・素材を用いた型破りなアプローチを続けた結果、1960年代には、ついに草間彌生が評価されはじめました。
そのきっかけの一つが、彼女が街中で行ったボディ・ペインティングやファッションショーなどを指す「クサマ・ハプニング」です。
その中でも最も話題になったのは、彼女の作品の代名詞ともいえる水玉模様を、全裸の人々の体に直接描いていくパフォーマンス。
それはただインパクトがあったわけではなく、ハプニングの活動を通して、“ベトナム反戦運動”といった社会情勢などへの問題提起も取り入れていくようになりました。
NY、ブルックリン橋での反戦ハプニング 1968年 引用 tjapan.jp
もう一つのきっかけになったのは、合わせ鏡を大胆に利用して反復する模様が無限に広がるように見せる「インフィニティ・ルーム」。
これは今でも形を変えてアートシーンに君臨し続けています。
インフィニティ・ルーム 引用 victoria-miro.com
こうした芸術活動を通じて、彼女はアメリカのアートシーンで「前衛の女王」と呼ばれていくようになります。
そんな過激な表現活動の中で出会ったのが、同じく芸術家のJoseph Cornell(ジョゼフ・コーネル)。
彼と彼女は親と子ほどに年齢が離れていましたが、お互いに惹かれ合い、パートナーとして生活を共にしていくことになります。
ジョゼフ・コーネルとの一枚 引用 vogue.co.jp
しかし、1973年にはジョゼフ・コーネルが死去。
彼女は再びどん底に落とされ、心身ともに体調を崩し、日本へ帰国することになります。
家庭環境に恵まれなかった彼女が、生まれて初めて心を許せるパートナーと出会い・死別を経験したのです。
その悲しみは計り知れないものだったでしょう。
帰国後の活動の広がり
アメリカのアートシーンでの活動は、約16年間。
アメリカで脚光を浴びた日本人画家の帰国は非常に話題になりましたが、その注目の浴び方はあくまでも好奇の目にさらされるものでした。
性的コンセプトや性的表現ばかりが注目され、彼女の芸術品を通じて届けたいメッセージは、何一つ取り上げられなかったのです。
ジョゼフ・コーネルとの別れで心身ともに調子を崩していた彼女は、日本の芸術界の遅れを肌で感じたこともあり、一時は入院に追い込まれました。
しかし、ある一定の期間を過ぎた後、悲しみや絶望を、創作活動によって乗り越え始めます。
それからは小説や詩なども精力的に制作していき、1978年には処女作品「マンハッタン自殺未遂常習犯」を、1983年には「クリストファー男娼窟」を発表。
「マンハッタン自殺未遂常習犯」 引用 amazon.co.jp
これらの作品は、彼女の幼少期に体験した幻視体験をモチーフにした小説で、第10回野生時代新人賞を受賞し、彼女が日本でも正当に評価されるきっかけになりました。それからも、数々の個展を開き、数多の受賞を通じて、雑誌や新聞などでも取り上げられるようになっていきます。
日本での活動が軌道に乗った頃、アメリカでは、彼女の作品が再び脚光を浴びるようになりました。
新進気鋭の新たな芸術家たちが、彼女の残した作品を通じて、彼女の才能に再び目をつけたのです。
そして、1988年にはニューヨーク近代美術館で、2012年にはホイットニー美術館で彼女の回顧展が開かれました。
それらの展示を通して美術愛好家や専門家たちがこぞって称賛したため、彼女の人気は今のように不動のものになっていったのです。
彼女は、今現在も精力的に活動を続け、作品を生み出し続けています。
展開する作品は絵画・小説だけにとどまらず、活躍の場を彫刻やファッション界などにも大きく広げます。
「直島のかぼちゃ」「ルイ・ヴィトンやユニクロとのコラボ」などがその代表例で、その作品をきっかけに彼女を知った人も多いかもしれません。
ルイ・ヴィトンとのコラボ商品のポップアップストアにて 引用 bijutsutecho.com
このような制作活動を通じて、彼女は現代美術やカルチャーの象徴として、「草間彌生」の名を大きく残していくことになったのです。
草間彌生の作品
彼女の残した作品のいくつかは、水玉模様などの一つのモチーフを反復させることによって、彫刻や絵画の画面を覆っていることが特徴になっています。
ほかにも、かぼちゃモチーフのものや合わせ鏡を用いて反復させるように見せる技法もあります。
今回は、彼女の作品で人気のあるいくつかの作品についてご紹介していきます。
かぼちゃモチーフ
「南瓜」 2022年 引用 benesse-artsite.jp
草間彌生の代表作で、最も愛される作品の一つである、「黄かぼちゃ」。
瀬戸内海に浮かぶアートの島「直島」に表れた巨大なかぼちゃの彫刻は、今では直島のシンボルとして観光名所にもなっています。
そのほかにも、新宿の草間彌生美術館に展示された「Starry Pumpkin」、銀座のGINZA SIXを彩った「南瓜バルーン」など、彼女のかぼちゃモチーフの作品は多くあります。
では、なぜ「かぼちゃ」のモチーフがこれほどまでに増加したのでしょうか。
彼女は、かぼちゃの魅力について“人間と同じように、全く同じ形のかぼちゃは存在しないこと”や“愛嬌のあるころんとした形なのに、どっしりと安定感のあるフォルムであること”といった点に非常に親近感を感じていると言われています。
水玉シリーズ
Self-portrait≪自画像≫ 1995 引用 fashionsnap.com
草間彌生と言えば「水玉模様」と即答される方も多いのではないでしょうか。
彼女が世界で認められたきっかけのひとつが、この水玉のシリーズです。
かわいらしさとポップな印象のあるシリーズですが、この特徴的な水玉模様には、彼女独自の哲学が詰まっています。
前述したように、彼女は幼少期から統合失調症を患っていました。
彼女が幼少期に見ていた景色は、視界全体が水玉や細かい網目模様で埋め尽くされていた”幻視”や、植物や動物が人間の言葉で話しかけてくるといった”幻聴”。
今でさえ広く認知された病ですが、当時はなかなか理解されなかったと言います。
頭では「現実のものではない」と理解していても、なかなか適応できるものではありません。
小さい頃からそういった症状に悩まされていた中で、その恐怖から逃れるための作業として選んだのが、「絵を描くこと」でした。
絵を描いている間だけは、幻視・幻聴に悩まされずに済む…そんな苦肉の策から、彼女の芸術は始まっていたのです。
インフィニティ・ミラーズ
《無限の鏡の部屋―ファルスの原野》 1965年 引用 tjapan.jp
鏡を対面に合わせる”合わせ鏡”によって反復する模様が無限に広がっていく、没入型のインスタレーションが「インフィニティ・ミラーズ」。
1989年にニューヨークの国際美術センターで個展が開催された際にも展示された手法で、アート関係者をはじめ、多くの人が彼女の作品にくぎ付けになりました。
既にこの頃には彼女の個展には注目が集まっていて、チケットの入手は非常に困難だったそうです。
発売開始と同時に事前販売のチケットは完売、残るは当日券のみという状態で、それも朝方から行列ができるほどの人気でした。
この手法での見せ方には多くのバリエーションがありましたが、鏡に囲まれた小部屋に一定のモチーフ(水玉模様が中心)が全面に配されていて、見ている自分自身がアートの一部になったように感じられる点が非常に高く評価されていました。
このように、彼女は様々な手法を通して、自身のメッセージを世界へ送り続けました。
そして、世界中の多くの人々が彼女の作品に魅了され、日本が世界に誇るアーティストを誕生させたのです。
その勢いはとどまるところを知らず、2016年には「世界でもっとも影響力のある100人」に選出され、文化勲章受章も受賞しました。
彼女は今もなお、精力的に作品を世に生み出し続けています。
ファッション業界との関わり
「草間彌生」という言葉を聞いて、”現代アート”をイメージする人が多い一方で、”ファッションブランドとのコラボ”を思い浮かべる人も多いのではないしょうか。
彼女は、現代アート領域で名を轟かせただけでなく、ファッション業界でも非常に重要視されています。
ファッションブランドが彼女と協業して世の中に商品を送り出す度、様々なメディアに取り上げられ、非常に入手難度が上がってしまうこともしばしば。
今回は、そんなコラボレーションについていくつかご紹介していきます。
LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)
2023年のコラボより 引用 fashion-press.net
世界的に有名な「ルイ・ヴィトン」。彼女はこのハイブランドとも2度にわたって協業しています。
初回は、2012年。当時デザイナーを務めていたMarc Jacobs(マーク・ジェイコブス)から彼女に声がかかり、「ルイ・ヴィトン ヤヨイ・クサマ コレクション」が発売されました。
ここでは、レザーグッズやシューズなどを中心に発売され、そのどれもが草間彌生の代表作である”水玉模様”で埋め尽くされました。
アートの世界と強い絆を持ち、メゾンに新たなビジョンをもたらしてくれる一流のアーティストたちとコラボを重ねてきたルイ・ヴィトンと草間彌生の協業は、世界中から注目されることになりました。
2度目のコラボは、2023年。
一大センセーションを起こした前回のコラボレーションから10年、第一弾よりもアイテムバリエーションを拡大して発売されました。
もちろん、草間彌生の展開するアートも前回の踏襲ではありません。
アイコニックな水玉模様を複雑なセリグラフィー技法とエンボス加工でレザーやコーテッドキャンバスにプリントした「Painted Dots(ペインティッド ドット)」、シルバーの球体が無数に並ぶ空間『ナルシスの庭』にインスパイアされた「Metal Dots(メタル ドット)」、シグニチャーパレットのイエロー&ブラックやレッド&ホワイトなどのドットが描かれた「Infinity Dots(インフィニティ ドット)」などの水玉模様のほか、1993年の作品『花』に着想を得た「Psychedelic Flower(サイケデリック フラワー)」なども初登場。
ルイ・ヴィトンも草間彌生も、10年で培った演出の幅を広げて、コラボレーションを華やかに昇華させたのです。
また、特徴的なのはその商品だけではなく、その「見せ方」にもありました。
2012年のコラボレーションでは、ニューヨークにあるルイ・ヴィトンのフラッグシップショップ全体が水玉模様になったり、草間彌生をモデルにしたマネキンも登場したりと、ユニークなウィンドウ・ディスプレイなどが披露されました。
2023年のコラボでは、世界各国のルイ・ヴィトンのフラッグシップショップでもインスタレーションが見られるだけでなく、その規模が大きく拡大したことが特徴。
フランス・パリのルイ・ヴィトン旗艦店では、通行人の目を引く巨大なインスタレーションが行われていたり、芝公園では草間彌生を象徴するパンプキン・バルーンが公開されたりと、既存の枠にとらわれないアプローチの手法が、世界中に大きく話題になりました。
パリのルイ・ヴィトンでのインスタレーション 引用 artnewsjapan.com
UNIQLO(ユニクロ)
引用 uniqlo.com
日本で始まり、ほかのファッションブランドとは異なるスピードで流通を世界に広げていった「ユニクロ」。
ユニクロは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)と協業して、世界の著名アーティストの作品を自ブランドのアイテムに落とし込んだ商品を展開する企画「UNIQLO at MoMA」を期間限定で行っています。
UNIQLO at MoMAはこれまでに複数回発表されていて、「Andy Warhol(アンディ・ウォーホル)」、「Keith Haring(キース・ へリング)」、「Stephen Shore(スティーブン・ショア)」など、ニューヨークのポップアートを代表するアーティスト達が参加する大きな企画となっています。
その期間限定商品の一環として発売されたのが、草間彌生がアートデザインを手掛けた「SPRZ NY(エスピーアールゼット・ニューヨーク)」。
この「SPRZ NY」は、「SURPRISE NY(サプライズ・ニューヨーク)」の造語から来たユニクロのプロジェクト名。
ニューヨークを先駆けとして、世界に新鮮な驚きをもたらすことを目標にした企画です。
この「SPRZ NY」のシリーズでは、オリジナルアートワークをモチーフにデザインを起こしたTシャツやタンクトップ、バッグなどが販売されていて、アイテムのバリエーションは多岐に渡ります。
このユニクロとのコラボ商品の大きな特徴は、なんといってもその価格帯。
Tシャツもトートバッグも2,000円以内と、ルイ・ヴィトンのコラボに比べると非常に挑戦しやすい金額で、彼女のアートを気軽にファッションに落とし込むことができることで、世界中で話題になりました。
自身のファッションブランド
NYのビルの屋上で行われた「ファッションショー」 引用 tjapan.jp
実は、草間彌生さんは自らの芸術活動の一環で、「クサマ・ファッション・カンパニー」という自身のファッションブランドを持っていたこともありました。
設立は1968年。
当時、アメリカで活動していたという事で、アメリカのデパート「ブルーミングデールズ」に用意された“クサマ・コーナー”で販売をおこなっていたそうです。
デザインの特徴としては草間さんらしいアヴァンギャルドなものが多く、水玉模様があしらわれたものが多かったようです。
このブランドがいつまで展開されていたのかは明確ではないのですが、当時のアイテムは非常に貴重で価値のあるものである事は間違いありません。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
前衛の女王と呼ばれるアーティスト・草間彌生さん。
その輝かしい活躍に至るまでには、幼少期の辛い思い出や、自身の芸術が理解されない苦しさ、愛する人との別れなど様々な苦難を乗り越え、血肉にして作品を作ってきたことが分かりました。
KLDでも草間彌生さん関連のアイテムのお買取を強化しています。
今回触れたルイ・ヴィトンのアイテムはもちろん、過去にコラボレーションしていたフェラガモなど他ブランドのコラボレーションアイテムに関してもぜひご相談ください。
インポートブランド、ラグジュアリーブランドの査定を得意とするスタッフの在籍により、高い精度での強気のお値付けが可能です。
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