ラルフローレンってどんな人?|Ralph Lauren
引用gqjapan.jp
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
アメリカントラディショナルスタイルの王様として、ブランドの始まりから50年以上、世界中から愛されている「Ralph Lauren」。
創業者であり、現役でデザイン分野を監督するのはラルフ・ローレン氏です。
今回は、
- ラルフローレンとは?
- ラルフ・ローレン氏の生い立ち
- 「Ralph Lauren(ラルフローレン)」ブランドの成長と拡大
- 様々なブランドラインナップ
という形でお話していきます。
デザイナーについて知ることで、そのブランドにより深く愛着が持てるということもあるかと思います。
Ralph Laurenについて、ブランドは知っているけどデザイナーのことはよく知らない…という方、ぜひデザイナーについてもご覧ください。
目次
ラルフローレンとは
Ralph Lauren公式サイトより 引用ralphlauren.co.jp
世界中で最も愛されているブランドの一つである、「Ralph Lauren(ラルフローレン)」。
このブランドの名前を聞いたことがない人は、いないと言っても過言ではないかもしれません。
「アメリカン・トラディショナル」の代名詞として一時代を築き、世界中にファンを増やし、確固たる地位を築いたRalph Laurenは、1968年にアメリカ人デザイナーの「ラルフ・ローレン氏(本名:ラルフ・ルーベン・リフシッツ氏)」が立ち上げたところから始まります。
ラルフ・ローレン氏 引用therakejapan.com
今回は、創設者のラルフ・ローレン氏がどのように生まれ育ち、ブランドを立ち上げたあとの自身の生活、また同ブランドが世界各国のさまざまな人々にどうやって愛されるようになったのか、どのように拡大していったのかについて、詳しくご紹介していきます。
ラルフ・ローレン氏の生い立ち
辛い経験を重ねた幼少期
ラルフ・ローレン氏が生まれたのは、1939年。
ニューヨークのブロンクスで、ユダヤ系移民で家屋塗装業を営む父親「フランク・リフシッツ (Frank Lifshitz)」と、母親「フレイドル・コトラー (Fraydl Kotlar)」のもとに、三男として生まれました。
名づけられた名前は、「ラルフ・リフシツ」。
実は、「リフシツ」という苗字には「shit(英語で”クソ”)」という意味の言葉が入っていて、二人の兄とともに学校でいじめを受けてしまいます。
名前の意味だけではなく、家での暮らしが裕福ではなかったことも手伝って、彼は幼少期には非常に辛い思いをしたんだとか。
そこで、彼が16歳のころ、一人の兄と共に「リフシツ」という苗字を「ローレン」に改名しました。
しかし、もう一人の兄はあえてそのまま家族の名前を受け継ぐことを決意。
このように、ラルフ・ローレン氏は、決して裕福ではない家庭環境の中で、愛する両親・二人の兄とともに助け合って幼少期を過ごしていたのです。
そして、その幼少期に「こんな辛い経験をするのは今だけだ。大人になったら、絶対に億万長者になる」と固く胸に刻んだ彼は、それから先、自身の力で本当に成功を収めることになっていくのです。
ブランドの立ち上げまで
彼は、ブランドの立ち上げまでに様々な経験をしています。
1957年には、在学中のデウィット・クリントン高校卒業を目前にして、”職業学校”として知られる、ニューヨーク市立大学バルーク校に通い、2年間ビジネスについて学びました。
ニューヨーク市立バルークカレッジ 引用ny-ryugaku.com
そこで彼は、アメリカの35代大統領である「John Fitzgerald Kennedy(ジョン・F・ケネディ)」や、俳優である「James Stewart(ジェームズ・スチュワート)」に強く憧れを抱き、いつか映画スターのような人間になることを夢見ていたそうです。
ですが、それからネクタイや洋服に興味を持つようになり、自身の夢を「自分でネクタイを作り、販売していきたい」と、方向性を変えていきます。
彼の素晴らしいところは、夢を持っていただけではなく、実際に行動に移していたこと。
彼は夢を叶えるために、在学中から自分でネクタイをデザインし、作り上げ、友人やクラスメイトに販売をすることで、ファッションデザイナーへの一歩を歩み始めていたのです。
学校を卒業したあと、1962年にはアメリカ陸軍に入隊。
約2年間奉仕した後、1964年には、アメリカを代表する世界最古の紳士服ブランド「Brooks Brothers(ブルックスブラザーズ)」で営業の仕事を始めます。
Brooks Brothersロゴ 引用imn.jp
そして約3年間営業の仕事に携わった後、彼に転機が訪れます。
1967年、ネクタイメーカーである「Beau Brummell社(ボー・ブランメル)」に、デザイナーとして入社することになるのです。
ここで彼は、画期的なデザインの幅広ネクタイをデザインし、若者を中心に絶大な人気を集めました。
彼は、その成功を糧に「Norman Hilton(ノーマン・ヒルトン財団)」支援のもと、そのネクタイのブランドを「ポロ」と名付けてブランドを設立します。
さらに翌年にはノーマン・ヒルトン財団からブランドを購入し、独立。
自身で大手百貨店「Bloomingdale’s(ブルーミングデールズ)」などを中心に売り込みを開始していきました。
これが、世界中で愛される「ラルフ・ローレン」の始まりだったのです。
リッキー・ロービアとの幸せな結婚
彼が順調だったのは、ビジネスのみに限ったことではありませんでした。
1968年、アメリカ人の作家・アーティストである「リッキー・ロービア」と入籍したのです。
リッキー・ロービアとラルフ氏 引用classiq.me
ラルフ氏と彼女の出会いは、ニューヨークの眼科医院。
そこでパートタイムの秘書をしていたリッキー・ロービアに出会い、“移民してきたオーストラリアのファミリー”という似た家庭環境にも共感し、急速に距離を縮めていきました。
ラルフ・ローレン氏は女性について、「ハイヒールを軽快に鳴らして歩く女性よりも、ジーンズにシャツ、ボーイフレンドのジャケットを羽織っているような女性に惹かれる」と語っていて、リッキーは彼にとっての理想そのものだったといいます。
リッキー・ロービア 引用classiq.me
そして、彼はリッキーの独特なセンスにも非常に魅力を感じていて、リッキーと共にショッピングすることが日課だったんだとか。
彼女とショッピングを楽しんでいたある日、リッキーは乗馬ショップでボーイズサイズのジャケットを購入します。
その絶妙なフィット感と着こなしは彼に大きな衝撃を与え、後にラルフローレンでウィメンズコレクションを始めるきっかけになったと言われています。
このように、彼は彼女と出会うことによって、彼の生活を豊かにしただけでなく、「ポロ」ブランドにおけるミューズを手に入れたのです。
個性あふれる子供達との生活
ラルフ氏が撮影した3人の子供達と妻のリッキー 引用ralphlauren.asia
そして現在、彼には「アンドリュー」「David(デイビッド)」「Dylan(ディラン)」という3人の子供がいます。
長男であるアンドリューはファッションの道には進まず、映画の道へ。
プロデューサーとして活躍を続け、2006年のオスカー賞にもノミネートされた映画「イカとクジラ」「The Spectacular Now」などを手掛けています。
「イカとクジラ」 引用amazon.co.jp
次男のデイビッドは、父であるラルフ・ローレンの立ち上げたポロでのキャリアを選び、現在は代表である父を補佐する立場として尽力しています。
また、2011年には元大統領を叔父に持つカリスマモデル「Lauren Bush(ローレン・ブッシュ)」と結婚。
彼女は、パリス・ヒルトンやオルセン姉妹と並ぶ人気セレブリティとして知られています。
長女のディランは、ニューヨークで人気のスイーツショップ「Dylan’s Candy Bar(ディランズ・キャンディー・バー)」のオーナー。
普通のスイーツを並べて販売しているだけではなく、世界中のお菓子を集めて、ファッションやアートと一緒におしゃれに楽しむための”スイーツ・ブティック”として非常に人気があります。
「Dylan’s Candy Bar」 引用tripadvisor.jp
このように、3人がそれぞれ個性に溢れ、多忙な日々を過ごしています。
ただ、子供たちは幼少期、自分の父親が“著名なファッションブランドの創設者”であることに気づいていなかったといいます。
長女のディランも「友人から洋服をディスカウントで買えるか聞かれて、初めて気が付いた」と語っているほど。
このエピソードだけでも、彼が仕事を家に持ち込まず、家庭では温かな家族の時間を第一に考えていたことがわかります。
「Ralph Lauren(ラルフローレン)」ブランドの成長と拡大
ブランドの立ち上げとコティ賞の受賞
上記でも触れたように、アメリカン・トラディショナルの代名詞ともいえるブランド「ラルフローレン」は、同じく世界中にファンを持つブルックス・ブラザーズのネクタイ売場から生まれています。
当時のネクタイのトレンドは、細くてスタイリッシュな印象のものが一般的でしたが、彼はそこでブルックス・ブラザーズの営業マンとして思いもよらない行動を起こします。
トレンドと逆行しているともとられる”4インチのワイドタイ”を生み出し、各売場で猛烈にプッシュし始めたのです。
ワイドタイとラルフ氏 引用everythingzoomer.com
最初は同意を得られることのほうが少なかったといいますが、彼の提案するワイドタイは瞬く間にベストセラーになり、彼のカリスマ性が開花したのです。
そこから彼の独自性が評価され、1967年にノーマン・ヒルトンのもとで「Polo(ポロ)」のブランドをリリースし、ハンドメイドのネクタイを展開していきます。
そして翌年の1968年には、同社から独立し、トータルのメンズウェアを手掛ける「ポロ ラルフローレン」がデビューしたのです。
以降、彼の類稀なデザインセンスはネクタイだけに留まらず、メンズアパレルウェアへと大きく広がっていくことになっていきます。
そして、世界が彼のデザインしたアイテムに注目することになるのは、そう遠くない1970年のこと。
メンズアパレルウェア部門で“ファッション界のアカデミー賞”とも揶揄される名誉ある賞「コティ賞」を受賞したことがきっかけで、ファッション感度の高い地区にショップをオープン、世界のブランドとして拡大していくことになりました。
ウィメンズへの拡大と名品「ポロシャツ」展開
メンズアパレルウェアを中心に世界進出を果たしたラルフローレンですが、1971年から、婦人服も手掛け始めました。
ウィメンズへの拡大の理由は明確には語られていませんが、“妻であるリッキー・ロービアのためにデザイン・制作を始めた”とも言われています。
ウィメンズアパレルのスタートは、メンズで大ヒットしたクラシックスタイルを基盤にしたウィメンズスーツが中心でしたが、シーズンを追うごとにアイテムが増えていき、カジュアル・ビジネスを問わないトータルアイテムの展開と変化していきます。
そして名品「ポロシャツ」が誕生したのもこの頃。
1972年、メンズアパレルコレクションで幅広いカラーバリエーションの半袖シャツをリリースし、それが世界中で大きな話題を呼びました。
これこそが、ラルフローレンを世界的ブランドに押し上げた名品「ポロシャツ」の誕生です。
翌年には「ラルフローレン パープルレーベル」というラグジュアリースタイルを中心とした別ラインや、「ラルフローレンホーム」といった家具や日用品を展開するラインを立ち上げ、彼の名前とブランド名を世界中に広めていくことになったのです。
販売市場を世界中に拡大
このように、ラルフローレンは様々なアクションを通じて継続的に成長し、世界中の多くの国で市場を拡大し続けています。
特に1980年から1990年代の成長には目を見張るものがありました。
1984年にニューヨークの“ラインランダーマンション”という、老朽化した豪奢な建物を大規模に改装し、Ralph Laurenの直営店としたのです。
Ralph Laurenのメンズ、ウィメンズやその他のラインを集約して販売するということで、ブランドの世界観を表現することをかなり重要視し、作られた直営店でした。
ラインランダーマンション 引用wikipedia.org
こうして、ハイブランドのブティックが立ち並ぶ場所にブランドの世界観を余す所なく表現した店舗をオープンすることで、アメリカ国内でのブランドの価値を確立させます。
また、そのあとも海外でも続々とブティックをオープンすることで、グローバル企業へと大きく成長していくことになるのです。
それからも、世界各地に大規模な旗艦店を続々とオープン。
各国の人気セレクトショップや百貨店でも展開を始め、現在では50か国以上でブランドを展開するようになりました。
2023年5月現在では、アメリカ国内に213店舗を構えるほか、アジア進出にも力を入れていて、台湾に53店舗・中国に159店舗・韓国に219店舗と非常に多くの流通市場を持っています。
この規模感だけでも、世界中からラルフローレンが支持されていることがわかります。
“衣食住”を支えるライフスタイルブランドとしての変革
ラルフローレンが目指しているのは「頭の先からつま先まで、また衣食住などのライフスタイルに自然に溶け込むブランド」なんだとか。
彼のコンセプトは、その商品展開数の豊富さに表れています。
メンズ・ウィメンズ・キッズ・ベビーのアパレル・シューズ・バッグなどをはじめとした衣料品のほか、ゴルフを始めとしたスポーツライン、生活に彩りを与える時計や寝具や食器、化粧品や香水といったホームコレクション、さらにはレストランやカフェまで、ラルフローレンの展開領域は多岐に渡ります。
今回、一部抜粋してご紹介します。
RALPH LAUREN HOME(ラルフローレン ホーム)
1983年に発表されたコレクションで、ライフスタイル全般を支えたいという思いから、トレンドに流されることなく、長く使えるタイムレスなデザインを追求したラインです。
商品のラインナップは、寝具などのベッド用品やクッションなどのリビングアイテム、タオルやブランケット、パジャマやエプロンといった日用品まで、幅広く展開しています。
また、オリジナルのボックスに包まれたギフトボックスなども展開していて、結婚や引っ越しのお祝いにも非常に人気があります。
RALPH’S COFFEE(ラルフズ コーヒー)
表参道のRALPH’S COFFEE 引用tabelog.com
現在世界で11店舗ある、ラルフローレンの提案するカフェです。
特筆すべきはそのインテリアで、全体的にグリーン×ホワイトで統一された店内は、カジュアルでクラシカルな印象。
また、ラルフズコーヒーでは、中南米・アフリカで有機栽培されたコーヒー豆を使用したコーヒーを提供していて、Tシャツやマグカップ、カトラリーなども手に入れることができます。
日本でも表参道、新宿、横浜、名古屋、京都、大阪などで展開しています。
ここまで領域を広げても、ラルフローレンが提案していることは「クラシカルなアメリカらしいライフスタイル」に統一されています。
世界観が崩れることはなく、まさしく”衣食住を支えるトータルブランド”として人気が続いているのは、根底にあるゆるぎないブランドコンセプトの為せる技なのかもしれません。
CEOからの退任
ブランド創業以来、ラルフ氏はデザイナーだけではなく、会社のCEOという立ち位置で経営をもおこなってきました。
2015年、当時76歳になるラルフ氏は、CEO、社長業から退任し、エグゼクティブ・チェアマン(常勤の代表取締役会長) 兼 チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、クリエイティブ(デザイナー)方面においてブランドに尽力していくことを発表しました。
RALPH LAURENのCEOとして後任となったのは、オールドネイビーなどを率いて業績を伸ばしてきた功績を持つステファン・ラーソン氏。
H&Mなどの事業拡大にも尽力してきた人物…でしたが、2015年に就任後、1年半という短い期間でCEOを退任しています。
左からステファン・ラーソン氏、ラルフ氏 引用wwdjapan.com
ラルフ氏がそれまで培ってきたRALPH LAURENのやり方や美学と、ステファン・ラーソン氏の見解が合わなかったという事が退任理由だそうです。
76歳までCEOとデザイナーの二足のわらじでブランドを取り仕切っていたことも驚きですが、Ralph Laurenを作ってきたブレない美学は今も健在で、それゆえ外部の人員との折り合いをつけるのが難しかったのかもしれません。
ラルフ氏は、今もなお現役でクリエイティブ方面の舵取りをおこなっているということで、Ralph Laurenのブレないクリエーションはやはりラルフ氏あってのものといえそうです。
人気のブランドラインナップ
ラルフローレンは、成長と拡大を遂げていく中で、ブランドのラインナップを増やしてきました。
様々なブランドラインがあるので、現在人気のあるものについて、一部抜粋してご紹介していきます。
RRL(ダブルアールエル)
ロンドンのRRLコンセプトショップ 引用fashionnetwork.com
まず、現在コレクターに非常に人気があるのが「RRL(ダブルアールエル)」。
ヴィンテージ感を追求したラインで、取扱店舗が限定されていることや、入手経路が他と比較して少ないことから非常に人気があります。
もともとヴィンテージマニアとしても知られているラルフ・ローレン氏が自分自身でこだわりのヴィンテージスタイルを作り上げるために始まりました。
日本には1994年に上陸しましたが、彼の持つコンセプトと異なったアイテムが人気となり、”オーバーサイズのストリートファッション”としてコアなファンを獲得することになってしまいます。
彼はそこに懸念を感じ、1998年に一度生産中止を決意。
しかし、世界各国から強い要望が集まり、2001年にブランドが復活したのです。
復活後のRRLはコンパクトなサイズ感と高い価格設定、ほかには再現できないヴィンテージディティールを取り入れることで、爆発的な人気を得ることになりました。
現在も、限定品や生産数の少ないアイテムが多いことで、コレクターに非常に人気のあるラインとなっています。
POLO GOLF(ポロゴルフ)
続いて、同ブランドのゴルフラインである「POLO GOLF(ポロゴルフ)」。
日本に初めて上陸したのは1994年のことで、ウィメンズ・メンズの展開があります。
ゴルフウェアとしても活躍できる機能性とデザイン性を併せ持ったコレクションで、スウェットやパーカー、ソックスやキャップなどといったスポーツに欠かせないカジュアルアイテムがバリエーション豊富に揃っています。
Ralph Lauren Purple Label(ラルフローレン パープルレーベル)
そして、ラルフローレンの中でも最上級と言われているメンズのアパレルラインが、「Ralph Lauren Purple Labe」(ラルフローレン パープルレーベル)」。
1994年に登場し他コレクションで、伝統的なヨーロッパの高級テイラーにインスパイアされた、最上級の素材を使用して仕立てられたラインです。
全体的に高価格帯で、すべての商品をイタリア製に拘っていて、ラグジュアリーな雰囲気と高級感のある点が大きな特徴となっています。
RALPH LAUREN COLLECTION(ラルフローレン コレクション)
続いて、上記に挙げたパープルレーベル同様、最上級のウィメンズのアパレルラインが、「RALPH LAUREN COLLECTION(ラルフローレン コレクション)」。
上質な素材を使用し、一つ一つが大人の女性が身につけるのに相応しい、ハイエンドラインとなっています。
LAUREN RALPH LAUREN(ローレン ラルフローレン)
最後に、ウィメンズアパレルを展開する「LAUREN RALPH LAUREN(ローレン ラルフローレン)」。
1971年に登場したラインで、洗練されたラグジュアリーな雰囲気のウィメンズアパレルを、価格を抑えて低価格帯で展開しているのが特徴です。
豊富なサイズ・カラー展開が魅力で、低価格で手に入る上品なラインとして世界中で人気のあるラインです。
バッグなどの展開も豊富で、人気があります。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
アメリカントラディショナルの王様、Ralph Lauren。
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