ファレル・ウィリアムスってどんな人?|Pharrell Williams
引用pirelli.com
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
音楽シーンで数々のヒットを飛ばしながらも、大手メゾン「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」の、新たなメンズクリエイティブディレクターに就任したファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)。
高い音楽のセンスだけでなく、アートやファッションなどさまざまなフィールドで活躍する人物です。
今回はファレル・ウィリアムスについて、
- ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターに就任
- ファレル・ウィリアムスとは?
- 音楽業界での活躍
- ファッション業界での活躍
という形で、ルイ・ヴィトンの大胆な人事として話題を呼んだファレルが、どのような人物なのか?を紐解き、ご紹介します。
デザイナーを知ると、よりそのアイテムに愛着が湧くということもあるかと思います。
ルイ・ヴィトンがお好きな方はもちろん、ファレルの活躍に注目されている方も、ぜひとも本記事をご覧ください。
目次
ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターに就任
2023年2月14日、ラグジュアリーブランドのルイ・ヴィトンは、メンズの次期デザイナーに、“世界一のヒットメーカー”と称される「ファレル・ウィリアムス」を任命したことを発表しました。
この人事発表は、2021年11月に当時メンズデザイナーだったヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が亡くなって以来、“ファッション界で最も注目されるポジション”と言われています。
さらにファレルが、世界的に有名なシンガーで、音楽だけでなくファッション・アートなど幅広く活躍していることから、ファッション界だけでなく、あらゆる業界で大きくニュースになりました。
彼が手掛ける初のコレクションは、2023年6月にパリで開催されるメンズ ファッション・ウィークで発表される予定です。
ファレル・ウィリアムスとは?
ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams) 引用nylon.jp
最初に、ファレル・ウィリアムスの生い立ちや音楽やファッションに関わるまでの軌跡についてご紹介します。
幼い頃の出会い
アメリカバージニア州南東部ビーチ 引用gousa.jp
彼の本名は、ファレル・ランシーロ・ウィリアムス(Pharrell Lanscilo Williams)。
1973年4月5日に、アメリカ南東部にあるバージニア州で、ビーチで便利屋を営む父と、教師として働く母の間に生まれました。
幼少期から、文字や数字に色が付いて見えたり、音を聞くと色が見えたりする”共感覚”という、周りの子供とは異なる力があったそうです。
かつてはモーツァルトや宮沢賢治、現在ではスティービー・ワンダーなどが持っている力と同じと言われています。
そんな力を持って生まれた彼は、幼い頃から自然と音楽に慣れ親しみ成長していきますが、彼の2つの幼少期の経験が、現在に大きく影響を及ぼしています。
1つ目は、教会に毎週通っていたことで、賛美歌を歌うことが習慣になっていたこと。
2つ目は、その教会での少年との出会い。
教会で出会った2歳年上の少年は、のちにラッパーのティンバランド(Timbaland)として活躍し、ファレルの音楽活動のきっかけを作っています。
ティンバランド(Timbaland) 引用snrec.jp
ザ・ネプチューンズの結成とテディ・ライリーとの出会い
「ザ・ネプチューンズ(The Neptunes)」チャド・ヒューゴとファレル 引用fnmnl.tv
ファレルとティンバランドは、10代半ば、音楽好きが高じてヒップホップグループの「S.B.I.」を結成しています。
この時一緒に活動していたのが、今後彼と共に歩んでいくチャド・ヒューゴ(Chad Hugo)です。
ファレルとチャドの出会いは、中学1年生の夏に参加したバンドキャンプ。
そこで意気投合した二人は、S.B.I.を解散した後も関係は続き、高校で「ザ・ネプチューンズ(The Neptunes)」を結成します。
ザ・ネプチューンズは、学校でのライブなどを中心に活動していましたが、二人は大きな転機を迎えます。
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の作品なども手掛けた、大御所プロデューサーのテディー・ライリー(Teddy Riley)の目に止まったのです。
テディーの目に止まった二人は、高校卒業後には彼のもとで働きはじめ、テディー流のサウンドとプロデュースを学びます。
彼らは経験を積むにつれて、テディーの大ヒット作の多くに積極的に参加するようになり、音楽プロデュースのいろはを学んでいます。
テディー・ライリー(Teddy Riley) 引用sakuratapsmusic.info
30歳で全米No.1プロデューサーへ
ザ・ネプチューンズは、テディーとの出会いを機に、“音楽好きのR&Bグループ”から、“ファレルとチャドのプロデューサー・ユニット”にシフトチェンジしていきます。
テディーの元で様々な経験を通じて、お蔵入り作品を生み出しながらも上達していく中で、特に高く評価を受けた2つの曲があります。
1つ目は、1997年に発売されたメイス(Ma$e)の「Lookin’ at Me」。
そして2つ目は、翌年に発売されたノリ(N.O.R.E.)の「Superthug」。
どちらも、プロデューサーとしての自分たちの音楽を形成していることが明確で、2人のプロデュース力は高く評価されました。
ザ・ネプチューンズの生み出す斬新なサウンドは多くのアーティストを魅了し、アメリカのラッパーだけでなく、ポップ界でも活躍。
その後、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)やマライア・キャリー(Mariah Carey)といった世界的に有名なシンガーの楽曲も手掛け、2004年には、グラミー賞で最優秀プロデューサー賞を受賞しています。
ファレルは30歳にして、全米No.1プロデューサーとしての地位を確固たるものにしました。
ソロ活動と表舞台での活躍
「ザ・ネプチューンズ」のプロデュース業で他者の楽曲を手掛ける一方で、自身の楽曲を発表するために1999年には、友人のシェイ・ヘイリー(Shay Haley)を加えた3人の音楽グループ「N.E.R.D」を結成しています。
またファレル自身のボーカルとしての才能も芽生え、ソロ活動も並行して開始し、2006年にはソロ活動でファーストアルバムをリリースしています。
しかし当時のソロアルバムは、プロデュース作品ほどインパクトを残すことは出来なかったようで、“プロデュース”や“フィーチャリング”に専念することを決めたそう。
ファレル自身もファーストアルバムに関して「今では聞けたものじゃない」と語っています。引用fashionsnap.com
その後の数年間、ファレルとザ・ネプチューンズは、様々なアーティストたちとコラボレーションを続け、多くの功績を残します。
転機となった1枚のシングル
シングル「HAPPY」 引用commodity-infobox.com
ファレルは、プロデュース業を始めてから約20年、数え切れない程のヒット作を展開してきました。
そして2013年、1枚のシングルでさらに転機が。
2014年最大のヒットとなり、アカデミー賞にもノミネートされた「Happy」の発売です。
全世界で大ヒットし、1,000万枚以上を売上げ、ファレルのキャリアを決定づけました。
楽曲の軽快でポップなサウンドは日本でも大人気で、あらゆる所で耳にした人も多いはずです。
この転機で、遂にファレル自身も表舞台に立つことになりました。
類まれなファッションセンスに注目が集まる
ファレルは、ソロ活動を再開したことで、必然的にメディアへの露出が増加。
類まれなファッションセンスは、もともと話題を呼んでいましたが、メディア露出の増加により、ファッションアイコンとしても支持を集めるようになっていきました。
これを決定づけたのが、ファレル・ウィリアムスの“デカ帽子”です。
このフレーズだけでピンとくる方もいるかもしれませんが、2014年に公開された彼の楽曲「Happy」「Come Get It Bae」「Gust of Wind」のミュージックビデオでは、いずれも大きなハットを被っています。
公私共に着用された「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」のマウンテンハットは、特に注目を集めました。
音楽で成功を遂げただけではなく、ファッションセンスまでも兼ね備えたファレル。
また彼は、グラミー賞で被っていた帽子をネット・オークションに出品し、4万4100ドルで落札された代金はすべてチャリティ団体に寄付しています。
その活動は、音楽・ファッションだけに留まらず、社会的にも注目を集めた出来事でした。
音楽業界での活躍
ファレル・ウィリアムスの音楽業界での活躍を、もう少し詳しく紹介していきます。
ソロ活動
ファレル初のソロアルバム「In My Mind(2005年)」 引用hmv.co.jp
ソロ活動を開始したのは、2005年に発売した「イン・マイ・マインド(In my mind)」からです。
当時、チャドと「ザ・ネプチューンズ」を組んでいましたが、ボーカルとしての素質が頭角を現したことと、チャドが表舞台に立つことを嫌ったことで、ソロ活動を開始したようですが、前述したとおり、チャートを賑わすことはありませんでした。
自分自身が表舞台に立つことは向いていないと感じ、プロデュース業や客演に力を入れていれています。
しかし、実際には一部でこのアルバムはカルト的人気を誇っていたようです。
ファレルのアルバムを皮切りに音楽活動をスタートしたことを公言している、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)など、影響を与えています。
そして2014年、大ヒット作「Happy」を含めたソロアルバム「ガール(GIRL)」をリリース。
爆発的な人気となりました。
アルバム「G I R L(2014年)」 引用hmv.co.jp
グループとしての活動
ファレルは、いくつかのプループで音楽活動をしています。
属していた代表的なグループは3つです。
- ザ・ネプチューンズ(The Neptunes)
- N.E.R.D
- チャイルドレベルソルジャー(Child Rebel Soldier)
ザ・ネプチューンズ(The Neptunes)
ザ・ネプチューンズ 引用discogs.com
先にご紹介していますが「ザ・ネプチューンズ」は、ファレルとチャドによる音楽プロデュースグループです。
主にヒップホップ・R&B・ポップ系の楽曲を提供していて、彼らの手掛ける音楽は“ネプチューンズ・サウンド”と呼ばれるほど、独自性の強い音楽で、特に1990年代後半から2000年代前半にかけて、多くのヒットナンバーを生んでいます。
N.E.R.D
N.E.R.D 引用fnmnl.tv
2008年に結成された「N.E.R.D」。
ネプチューンズの二人に、友人シェルドン・ヘイリーを迎えた3人の音楽グループです。
グループ名には“オタク”という意味が込められていて、彼らの遊び心が詰まったサウンドを展開しています。
2001年から2017年にかけて計5枚のアルバムを発売し、日本の野外音楽フェス「フジロック・フェスティバル」にも参加しました。
チャイルドレベルソルジャー(Child Rebel Soldier)
チャイルドレベルソルジャー 引用last.fm
ヒップホップグループ「チャイルドレベルソルジャー(Child Rebel Soldier)」。
シカゴ出身のラッパーであるルーペ・フィアスコ(Lupe Fiasco)と、同じくラッパーのカニエ・ウェスト(Kanye West)の3人で結成されたグループです。
2007年に結成されたものの、惜しまれながらも2013年に解散しています。
プロデューサー活動
続いて、彼のプロデュース活動について触れていきます。
彼の豪華なプロデュース歴に関しては、そのアーティストたちの名前を見れば一目瞭然です。
マドンナ(Madonna)、ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)、ビヨンセ(Beyonce)、アリアナ・グランデ(Ariana Grande)。
挙げていくときりがないのですが、多岐にわたる有名なトップアーティストたちとの協働は、業界でもトップレベルだと言われています。
彼がプロデュースする中で大きな特徴として挙げられるのは、“アーティストの印象を活かしながら、新たな一面を見せること”。
例えば、2001年に彼がプロデュースしたブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)の「I’m A Slave 4 U」。
この楽曲では、今まではキュートな印象だった彼女の、セクシーでクールな新たな一面を見せています。
彼のプロデュースは“音楽”だけでなく、“プロデュースする相手の新たな一面を引き出す”という点が高く評価され、業界トップのプロデューサーの地位を得ていきました。
ファッション業界での活躍
彼のファッションセンスは早い段階から注目され、20年以上の間、ストリートファッションに影響を与えています。
メッシュキャップやビッグシルエットのパーカーなどのカジュアルなアイテムから、ラグジュアリーブランドを中心としたクラシカルなスタイルまで。
ここからは、ルイ・ヴィトンのクリエイティブディレクター抜擢の背景になり得る、ファレルのファッション業界での活躍をご紹介します。
自身のデザイナー業
ファレルが身につけるアイテムは、都度注目を浴びていますが、またファレル自身のブランドも、いくつか立ち上げています。
代表的なブランドをご紹介します。
ビリオネアボーイズクラブ(BILLIONAIRE BOYS CLUB)
引用billionaireboysclub-store.jp
「ア・ベイシング・エイプ(A BATHING APE)」の創始者のニゴー(NIGO)と、2003年に立ち上げられたブランドで、アメリカと日本に拠点を持っています。
“ドッグ”や“ダイヤモンド”などといったキャッチーなモチーフがふんだんに使用されたデザインが特徴になっています。
原色系のカラーパターンを使用した目を引くデザイン性に加え、どんなシーンでも映えるインパクトもあり、その唯一無二の世界観は、彼のファッションそのものです。
アイスクリーム(ICECREAM)
引用billionaireboysclub-store.jp
上記に挙げたビリオネアボーイズクラブのセカンドラインに位置するブランドで、
アイテム展開は、Tシャツやスウェット、ニットやデニムなどといったカジュアルアイテムが中心です。
デザインはポップな印象のものが多く、“宇宙飛行士”や“アイスクリームのキャラクター”などといった目を引くアイコンが目印になっています。
この2つの代表ブランドはローンチが発表された途端に、世界中から何千という注文が入ったのだとか。
彼が「自分で着たい」と思った服を発表していくことで、世界中で人気を呼んでいます。
ファッションブランドとの協業
アディダスとのコラボ「スパースター」全50色 引用/sneakerwars.jp
ファレル・ウィリアムスのファッションセンスと影響力の高さにいち早く注目したのが、「アディダス(adidas)」です。
両者は2014年に協業をスタートさせると、“スタンスミス”や“スーパースター”などのアイコンモデルを、数十回に渡ってコラボとして発表していきました。
2016年にはデニムブランドの「ジースターロゥ(G-Star RAW)」の協働オーナーになったことで、彼のカジュアルスタイルをより強固なものにしていきます。
音楽だけでなく、ファッションシーンでも華々しく参画したファレルは、ファッション業界でもプロデューサーとしての強みを遺憾なく発揮していきます。
ブランドとの協働は続き「コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)」「ネイバーフッド(NEIGHBORHOOD)」そして「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボまで、幅広く展開していきます。
音楽業界同様、ファッション業界でも、彼のプロデュース力が世界中で求められていたのです。
コムデギャルソンとのコラボで発売された香水 引用fashion-press.net
ラグジュアリーブランドとの協業
シャネルのショートムービーに出演 引用fashion-press.ne
今回、ルイ・ヴィトンのメンズディレクターに就任したことが大きな話題を呼びましたが、彼は今までも、様々なラグジュアリーブランドとコラボレーションしています。
2004年には、当時ヴィトンのディレクターだったマーク・ジェイコブス(MARC JACOBS)と共に、サングラスをコラボ。
「モンクレール(MONCLER)」では、転写プリントのダウンアイテムを展開したりと、活躍の場をラグジュアリーファッションの世界にも広げていました。
また2017年には「シャネル(CHANEL)」のキャンペーンにモデルとして登場し、初の男性モデルとなったことも、世界中でニュースになっています。
ファレルが起用されたキャンペーン 引用hypebeast.com
ファレルは、今回の就任を通じてルイ・ヴィトンの親会社である「LVMH」との結びつきをさらに強めています。
というのも、LVMHは2021年には、プロデューサー兼デザイナーのNIGOを、彼らのブランド「ケンゾー(KENZO)」のクリエイティブディレクターに迎えた背景があるからです。
NIGOとファレルの結びつきは、二人で設立したストリートウェアブランド「ビリオネアボーイズクラブ」から続いている強固なもの。
ルイ・ヴィトンのメンズディレクターにファレルを起用していくことは「ラグジュアリーブランドを世界的なポップカルチャーに浸透させていく」というLVMHの最大の戦略になっているのではないか、と話題を呼んでいるのです。
ここまで読んでくださった方へ
今回は、ルイ・ヴィトンのメンズディレクターに就任した「ファレル・ウィリアムス」という人物にフォーカスし、お話ししました。
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