渡辺淳弥ってどんなデザイナー?|JUNYA WATANABE
渡辺淳弥 引用vogue.co.jp
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
“世界でも絶大な人気を誇る日本人デザイナー”と言われて思い浮かべる人は、どんな人がいるでしょうか。
多くの人は、その言葉から「川久保玲」「三宅一生」「山本耀司」などを連想するでしょう。
そして、彼らに次ぐ次世代を担うデザイナーとして世界中から熱いまなざしを向けられているのが、今回紹介する「渡辺淳弥」です。
コムデギャルソンに入社して以来、川久保玲と共にブランドを大きく成長させつつ、自身のブランドを華々しく展開しているデザイナーで、彼の先鋭的なデザインアプローチ方法は他の追随を許しません。
“ものづくり”という言葉を好み、洋服を生み出す過程を非常に重要視している彼は、自分自身が表舞台に立つことはほとんどありません。
パリコレではほとんどすべてのデザイナーがフィナーレの挨拶を行いますが、彼はここにも姿を現すことはないのです。
また、私生活のことはもちろん、仕事についても多くを語ることを嫌います。
そういった“自分自身のこと”よりも、“自分のクリエーション”に焦点を当てることを強く望んでいるのです。
今回は、そんな渡辺淳弥が、デザイナーとしてデビューした経歴や、手掛けたブランドなどについて、詳しく紹介していきます。
目次
『川久保玲』との出会い
インタビューやマスコミの前で、プライベートな話を避けていることで有名な渡辺淳弥。
彼のターニングポイントとなった幼少期の出来事や、家族や恋人などの交友関係など、彼の土台となる体験談は世の中にほとんど出回っていません。
これだけ注目されている有名なデザイナーであるにもかかわらず、彼の人となりは闇の中。
それはあくまでも、“自分の作った洋服を見てほしい”という彼の思いが反映されているからでしょう。
そんな渡辺淳弥は、1961年に福島県で生まれました。
渡辺淳弥 引用tenpomap.blogspot.com
そして1984年、文化服装学院のデザイン科を卒業します。
多くは語られていませんが、デザイナーを志したきっかけは、洋裁店を営んでいた彼の母親に影響されたのではないかと言われています。
卒業後、彼はすぐに「コムデギャルソン(Comme des Garçons)」にパタンナーとして入社。
そこで、彼のデザイナー人生に大きな影響を与える人物『川久保玲』に出会います。
川久保玲 引用wwdjapan.com
川久保玲は、彼と8年間共に仕事をしてきた世界的に著名な女性デザイナーで、彼を語る上で最も多く引き合いに出される人物です。
時には、「渡辺淳弥は川久保玲の唯一の愛弟子」と言われることもありますが、実際の現場では“手取り足取り具体的な指導を受ける”ということはほとんどなかったそうです。
もともと川久保玲は、ファッション・ビジネスにおいて0から教えていくタイプではなく、自分の仕事を見て、何を感じるかを常に考えさせるようなタイプでした。
だからこそ、彼も川久保玲の仕事を常に近くで観察し、自分の感性と合わせて考え、ビジネスの基本を見て盗むことで学んでいたのかもしれません。
そして経験を積んだ彼は、1987年に「トリココムデギャルソン(Toricot Comme des Garçons)」のチーフデザイナーに抜擢されました。
トリコは、1981年に創設された歴史あるブランドで、ニット類のみを展開しているのが最大の特徴です。
彼は以降約16年間トリコを担当し、当時のコムデギャルソン内で、トリコを国内での年間売上1位のブランドにまで大きく成長させました。
JUNYA WATANABE COMME de GARÇONS 華々しいデビュー
その実力を買われ、実績を着実に構築していく中で彼が自身の名を冠したブランドを設立したのは、1992年のことでした。
1992-93AWデビューコレクションより 引用tenpomap.blogspot.com
ブランド名は、「ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン(JUNYA WATANABE COMME de GARÇONS)」(※現在は「ジュンヤワタナベ」)です。
彼の初めてのコレクションは、東京で年に2回開催されるファッションショー、東京コレクションでした。
そして翌年にはパリコレのプレタポルテコレクションでウィメンズを発表し、大絶賛を浴びました。
1992-93AWデビューコレクションより 引用tenpomap.blogspot.com
彼の手掛けたジュンヤワタナベのアイコンとなるデザインは、ずばり「パッチワーク」。
それ以外にも、ツイードやデニム、チェック柄などを数多く使用し、そのキービジュアルはかとなく近未来を連想させています。
このように、ジュンヤワタナベは、コムデギャルソンのエッセンスを残しながら、彼独自の世界観を楽しむことができるブランドであると高い評価を得たのです。
余談にはなりますが、ジュンヤワタナベは彼の名を冠したブランドであるものの、彼はあくまでもコムデギャルソンの社員。
パタンナーで入社したはずの彼が社内で大きく力をつけていくことを、会社全体が誇りに思い、新たな門出を祝う…彼のブランドデビューは、そんなコムデギャルソンの社風を感じられるような大きな一つの出来事となりました。
そして、このブランドデビューが大成功したことが、後のブランド躍進への足掛かりとなっていきます。
1995年には、50年以上続く日本のファッション関係の雑誌・メディアの編集者などが中心となった組織「日本エディターズクラブ(Fashion Editors’ Club of Japan)」で、ファッション界に影響を及ぼしたデザイナーに贈られる「デザイナー賞」を受賞。
ほかにも、1999年には毎日新聞社が主催するファッション文化や産業に貢献した人を表彰する「毎日ファッション大賞」を受賞しました。
これは、過去に川久保玲や「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」を手掛ける三宅一生も受賞した、非常に名誉ある賞です。
話は少し逸れますが、実は彼が影響を受けたデザイナーの一人に、三宅一生が挙げられます。
三宅一生 引用vogue.co.jp
若い頃ファッション誌に掲載されたイッセイミヤケのコレクションに感銘を受けた彼は、当時の一流デザイナーが“ボディラインを美しく見せる洋服”をこぞって提案している中で、三宅一生は、その潮流を無視した斬新なフォルムの洋服を作り出していることに衝撃を受けたのだとか。
その体験は、彼に「自分も今までのデザイナーとは全く違うなにかを作り出したい」と強い意思を持つきっかけになりました。
三宅一生からの影響は、彼の手掛ける洋服はもちろんのこと、非常に高く評価されているファッションショーにも反映されています。
ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン2000SSより引用tenpomap.blogspot.com
特に2000年のランウェイでは、ショーの中盤で雨を降らせ、リバーシブル仕様の洋服を裏返してウォータープルーフになるようなコレクションを披露し、観客から驚きの声があがりました。
パンチの効いた独創的なディテールや、他にはない素材使い、アシンメトリーなデザインなど…彼の手掛けるジュンヤワタナベが注目されるまでに時間はかからなかったのです。
そして、彼のブランドはウィメンズウェアにおける代表的なものにまで成長します。
そこで、満を持して新たに”メンズウェア”の立ち上げを決意するのです。
メンズラインの大成功
コムデギャルソン ジュンヤワタナベ・マン2002SSより引用tenpomap.blogspot.com
2001年、ジュンヤワタナベの成功により、新たにメンズのコレクション「コムデギャルソン ジュンヤワタナベ・マン(COMME de GARÇONS JUNYA WATANABE MAN)」(※現在は「ジュンヤワタナベ・マン」)を、コムデギャルソンの傘下でスタートしました。
今もなおファッション好きの男性から高い支持を得ているブランドです。
当時ファッション業界では、「イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)」や「ディオール(Dior)」を手掛けた世界的デザイナーの「エディ・スリマン(Hedi Slimane)」の影響力が強く、メンズウェアもタイトなロックスタイルが主流となっていました。
しかし、彼はあえてその真逆を行ったのです。
コムデギャルソン ジュンヤワタナベ・マン2002SSより引用tenpomap.blogspot.com
カラフルでキャッチーなロゴをあしらったトップスに、リラクシーな太めのパンツなどを合わせた、シックな雰囲気とはかけ離れた挑戦的なカジュアルスタイルでした。
他にはない新たな提案となりましたが、シルエットはいたってシンプルで、流行に左右されずに長く着用できるサイズ感にこだわったそう。
逆に、デザイン自体はミニマルでシンプル、シルエットが特徴的なアイテムも数多く展開しています。
「子供や孫の代まで、いつまでも着続けられる洋服を作りたい」という、彼の根底の思いがしっかりと反映されたブランディングとなっているのです。
そして、ウィメンズラインとメンズラインは、ものづくりの観点で大きな違いがあります。
ウィメンズラインは「ゼロベースから渡辺淳弥がクリエーションして作り上げる」コレクションですが、メンズラインは「既存のベーシックに、渡辺なりの新解釈を加えて提案する」構築方法になっています。
例えば、カジュアルアイテムであるデニムを使ってラグジュアリーな印象のドレスを作ったり、いつものカジュアルウェアにドローコードを取り入れてシルエットを自由自在に変えられる洋服を作ったり。
そういった意味では、メンズのコレクションは、ウィメンズとは考え方の土台が全く異なっているのです。
また、メンズラインは、様々なブランドとコラボしていることでも有名なので、「自分の好きなブランドとコラボしたから、ジュンヤワタナベを知っている」という方も多いかもしれません。
実は今でこそ一般的にも普及した、ブランドとのコラボレーションを指す“ダブルネーム”ですが、その立役者となったのはこのジュンヤワタナベ・マン。
コラボ先は、誰でも耳にしたことのある老舗ブランドから、新進気鋭のデザイナーが手掛けるまだまだ無名のブランドまで様々ですが、コラボレーションの歴史が一番古いのは、「リーバイス(LEVI’S)」です。
ジュンヤワタナベ・マン×リーバイス2024SS 引用fashionsnap.com
2001年のデビューコレクションから、定期的にコラボレーションを行っています。
このダブルネームが注目を集める理由は、“2つのブランドで、全く新たなオリジナルモデルを作り出していること”です。
通常のコラボは既存モデルに裏地を変えたり、限定色を出したりといったものがほとんどですが、彼らのコラボは“ジュンヤワタナベの得意とするパッチワーク・チェック柄・特殊なステッチが施されたデニム”など、通常のリーバイスにはない一から作り出されたモデルが多く展開されているのです。
そしてメンズラインのコレクションデビューも大成功を収め、ブランドとして軌道に乗せた2003年。
今度は、レディース向けに「コムデギャルソン・ジュンヤワタナベ・マン・ピンク(COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN PINK)」をスタートしますが、こちらは2005AWをもって終了しました。
コムデギャルソンを担う中心人物へ
ジュンヤワタナベのウィメンズ・メンズの大成功によって、彼は社内でも川久保玲と共にコムデギャルソンを担うトップデザイナーとして名を馳せるようになりました。
日本のファッション業界に欠かせないデザイナーとして、高い地位を確立するようになったのです。
そして2004年には、コムデギャルソンのメンズライン「コムデギャルソンオム(COMME des GARÇONS Homme)」のデザイナーに就任しました。
1978年にスタートしたこのメンズラインは、ベーシックな中にもアクティブな雰囲気を纏う、ライフワークを重要視する男性のためのブランドです。
もともとは、ブラックをベースにしたシックなモノトーンスタイルや、ボックス型のたっぷりとしたシルエットのスーツなど、コムデギャルソンの価値観をそのままメンズに落とし込んだアイテムが多くありました。
そのような以前までのコムデギャルソンオムが、彼の就任でどう変わったのか、簡単に紹介していきます。
田中啓一 引用90s.yamadakoji.com
もともとコムデギャルソンオムは、ブランド設立当初は川久保玲が、そしてそのあとは「田中啓一」がデザインを担っていました。
田中啓一は、お笑いコンビ「爆笑問題」の「田中裕二」の実の兄としても知られるデザイナーで、一般企業でエンジニアを経験したのち、文化服装学院で服飾を学び、コムデギャルソンに入社するや否やオムのデザイナーに大抜擢された、異色の経歴の持ち主です。
そんな田中啓一から2004年にバトンを受け取った渡辺淳弥は、“普通だけど、普通じゃない”“どんな人が着ても洒落感を感じるもの”をコレクションに落とし込んでいきました。
コムデギャルソンオム2020SSより引用fashion-press.net
オーセンティックで定番的なワードローブを、ワーク・ミリタリー・トラッドといったエッセンスを取り入れることで、新たな価値を創出しているのです。
それは、彼の手掛けるジュンヤワタナベ・マンとは作風が異なっているポイントでもあります。
あくまでもコムデギャルソンのルーツを守りつつ、異なる印象を与えるよう、彼の力で昇華していったのです。
そしてその翌年には、渡辺淳弥が株式会社コムデギャルソンの取締役副社長に就任します。
こうして彼は、名実ともにコムデギャルソンの中心人物になっていったのです。
ちなみに、今まで手掛けていた『トリココムデギャルソン』は、2003年にデザイナーを交代。
以降、渡辺淳弥のもとで修業を積んだ栗原たおが担当し、彼女の個性を打ち出した愛らしいコレクションを展開しています。
コラボレーションの強化とセカンドライン「eYe」誕生
自身の2つのブランドとコムデギャルソンオムで成果を出した渡辺淳弥が、ファッション界での横のつながりである、“コラボレーション”を特に活性化させたのもこの頃。
2004年には、ダウンウェアで有名な「モンクレール(MONCLER)」とのコラボでダウンジャケットを展開する限定ライン「モンクレール ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン(MONCLER JUNYAWATANABE COMME de GARÇONS)」を発表。
本格的にダブルネームを強化しはじめたモンクレールから白羽の矢が立てられ、美しいシルエットと高級感のあるデザインのアイテムを数多く展開しました。
そして翌年、2005年にはジュンヤワタナベ・マンのセカンドラインでもある「アイ ジュンヤワタナベ・マン コムデギャルソン(eYe JUNYA WATANABE MAN COMME des GARCONS)」(※現在は「アイ ジュンヤワタナベ・マン」)をスタートさせました。
ブランド名の最初の“eYe”は、渡辺淳弥が「今、本当に着たいもの」という意味を込めてつけられたのだとか。
商品のテイストとしては、渡辺淳弥が得意とするミリタリー・アウトドア系のエッセンスを取り入れながら、歴史あるオーセンティックなムード漂うワードローブがずらりと並びます。
そして、彼自身のブランドのセカンドラインということで、メインブランドであるジュンヤワタナベ・マンの個性の強い洋服と組み合わせた時に、よりコーディネートの幅が広がるようなシンプルなアイテムも展開しているのも大きな特徴です。
さらに、シーズン毎に様々なブランドとのコラボレーションも積極的に行っています。
いくつか例に挙げて紹介していくと、まずは歴史ある英国ブランド「ブルックスブラザーズ(Brooks Brothers)」とのコラボ。
ブルックスが得意とするトラッドスタイルに、現代的なエッセンスを織り交ぜた商品が定期的に発売されています。
アイ ジュンヤワタナベ・マン コムデギャルソン×ブルックスブラザーズ 引用mastered.jp
中でも、ブルックスの定番シルエットのジャケットにパッチワークを施したものや、ブルックスの最もアイコニックなアイテムであるポロカラーシャツには、襟・袖口を独自のパターンに作り上げ、ポップでチャーミングなカラーリングに仕上げたものなどが展開されていました。
ほかにも、都会的なシューズブランドの「ニューバランス(New Balance)」とも定期的に協業を実現。
アイ ジュンヤワタナベ・マン コムデギャルソン×ニューバランス 引用fashion-headline.com
すでに複数回コラボレーションが行われており、ベーシックなモデルに新たなフィーリングを取り込んだ、渡辺淳弥らしいスニーカーを生み出しています。
ブラック・ホワイト・ベージュなど、ベーシックカラーを基調にしながら、ヒールタブに“eYe”のロゴを型押した、さりげないアクセントを加えたデザインが多いのが特徴です。
また、日本の老舗カバンブランドの「ポーター(PORTER)」とは、アースカラーを軸にした大人カジュアルなナイロンバッグを、イギリスのアウトドアブランド「カリマー(Karrimor)」とは、スポーティーな印象はそのままに、都会的で洗練された色使いのナイロンジャケットやダウンなどを発売。
アイ ジュンヤワタナベ・マン コムデギャルソン×カナダグース 引用fashionsnap.com
さらに、コラボ許可がなかなか降りないと言われている「カナダグース(CANADAGOOSE)」では、迷彩柄やデニム素材を利用したジュンヤワタナベらしさ溢れるダウンなどが発売されました。
このように、2つのブランドのアイデンティティを守りながら新たな価値を創出していく手法は、渡辺淳弥ならではのアプローチであり、その「ダブルネーム」と呼ぶにふさわしいアイテムを求め、発売日にはショップに長蛇の列が出来ることも多かったそうです。
現在の活動
2022年、彼の手掛けるブランドが名前を変えたことが大きく話題になりました。
「ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン」は「ジュンヤワタナベ(JUNYA WATANABE)」へ、「コムデギャルソン ジュンヤワタナベ・マン」は「ジュンヤワタナベ・マン(JUNYA WATANABE MAN)」へ、「アイ ジュンヤワタナベ・マン コムデギャルソン」は「アイ ジュンヤワタナベ・マン(eYe JUNYA WATANABE MAN)」へブランド名を変更。
彼の個性が強く打ち出されたブランドたちから、「コムデギャルソン」の言葉が取り除かれたのです。
しかし、コムデギャルソンの傘を外れてからも、渡辺淳弥は精力的に活動を進め、世界中にその名を轟かせています。
ネットフリックスとのコラボキャップ 引用fashionsnap.com
コラボレーションにも継続して力を入れており、「ネットフリックス(Netflix)」「コカ・コーラ(Coca-Cola)」「ホンダ(HONDA)」といった企業とも協業し、ロゴ入りキャップなども発売しました。
また、海外の著名なセレブからも人気を誇っていて、世界的アーティストである「カニエ・ウェスト(Kanye West)」がリリースしたアルバム「Donda」の中に、「Junya」という曲があるほど。
これはまさに渡辺淳弥のことを指していて、曲の中では「俺の腕にWATANABE JUNYA」というフレーズも出ていて、カニエ・ウェストのファンからも熱狂的な支持を集めています。
ジュンヤワタナベ・マン×ジュンヤワタナベ2024SSより引用fashionsnap.com
また、ジュンヤワタナベ・マン×ジュンヤワタナベという、自身の手掛ける2つのブランドのコラボも発表。
同じ名前でも、クリエーションに対するアプローチが全く異なるということで選んだ、新しいコラボレーションとなりました。
1シーズンの期間中に18ブランドともコラボレーションを行ったこともある渡辺淳弥。
これからも、彼の活躍に目が離せません。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ジュンヤワタナベというメインブランドをはじめ、感性豊かなセカンドラインなどを展開している、世界的デザイナーの「渡辺淳弥」。
コムデギャルソンにパタンナーで入社し、川久保玲から多大な影響を受けた彼は、多くを語らず常にクリエーションを重要視してきました。
その‘‘ものづくり”を大切にする姿は、多くのコラボレーションの実現や取締役副社長の就任など、ブランドや自身の成長に繋げてきました。
社内の中心的人物である彼ですが、今後も、その立ち位置に慢心することなく、彼のクリエーションを世界に発信してくれるでしょう。
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