イヴ・サンローランの歴史と名作|Yves Saint Laurent
引用 medium.com
こんにちは。ブランド古着買取専門店のKLDです。
「イヴ・サンローラン」。
ファッション好きはもちろん、ファッションに興味のない方でも、「昔、贈答品でもらったタオルがこのブランドだったような気がする…?」など、このブランドの名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
イヴ・サンローランは、フランスで創業した、60年以上の歴史を持つ世界的なファッションブランドです。
1960年代、当時は異端であった女性のジャケットスーツやトレンチコートなどの普及に大きく貢献し、それからも常に世界のファッションシーンを牽引してきたブランドでもあります。
そして、2023年9月~12月にかけて国立新美術館で開催されている、「イヴ・サンローラン展 時をかけるスタイル」。
ブランドの創設者で“モードの帝王”とも称されるデザイナーの「イヴ・サンローラン」を間近に感じられる大回顧展が日本で初めて開催されるため、ニュースなどでも大きな話題になっています。
同展では、イヴ・サンローラン美術館パリによる協力のもと、彼が手がけたデザインや功績の数々が、大々的に展示されています。
今回の記事では、そもそもイヴ・サンローランとはどんなブランドで、どんな特徴があるのか…ブランドの歴史や歴代デザイナーにも触れながら、ブランドの全体感を紐解いてお話していきます。
- ブランドの歴史
- 歴代デザイナー
- イヴ・サンローランの名作
という形でお話していきたいと思います。
目次
ブランドの歴史
創設者「イヴ・サンローラン」の生い立ちと「Dior」での活躍
まずは、ブランドの歴史についてお話していきます。
ブランドの創設者は、ムッシュ イヴ・サンローラン(Monsieur Yves Saint Laurent)。
彼は、1936年にアルジェリアの港町オランで生まれました。
ムッシュ イヴ・サンローラン 引用 fashionpost.jp
比較的裕福な家庭で育った彼は、母親の勧めもあり、17歳でパリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュールファッションデザイン学校(パリ・クチュール組合学校)に入学。
3か月のコースが修了する頃にデザインコンクールに応募したところ、ドレス部門で最優秀賞を受賞しました。
余談ですが、同コンクールで毛皮部門の最優秀賞を受賞したのは、後にシャネル(CHANEL)のデザイナーとなる「カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)」でした。
そのコンクールで審査員を務めていた雑誌「VOGUE」のディレクターが、彼の才能に感銘を受け、彼を「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」に紹介します。
そして彼はディオールでアシスタントとして働くことになりました。
しかし、彼が働き始めてからわずか数年後、クリスチャン・ディオールが急逝。
ディオールの強い遺志で後継デザイナーに選ばれた彼は、当時まだ21歳という若さでした。
Dior時代のムッシュ イヴ・サンローラン 引用 elle.com
それから約3年間、ディオールの主任デザイナーとして様々な賞を受賞し、世界中から注目を浴びていましたが、1960年にアルジェリア独立戦争に徴兵され、クリスチャン・ディオールを離れることになりました。
その後、彼は自身でオートクチュールメゾンを設けます。
それが現在のイヴ・サンローランのブランドにつながっているのです。
ブランド設立と世界への進出
Yves Saint Laurent立ち上げの頃、1962年 引用 elle.com
彼はディオールを離れたあと、時代の最先端を行くファッションを求めて、1962年に自身のオートクチュールメゾンである「イヴ・サンローラン」を設立します。
そこに出資したのは、その後生涯にわたって彼を支え続けるパートナー「ピエール・ベルジェ(Pierre Berge)」と、アメリカの実業家「マック・ロビンソン(Mack Robinson)」でした。
彼のブランドは、彼自身の「ディオールの元主任デザイナー」という肩書きも手伝って、ファーストコレクションから大成功をおさめます。
彼の提案するコレクションは、常に新たなファッショントレンドを切り開き、瞬く間に業界で注目を浴びることになりました。
モデルに合わせて調整をおこなうサンローラン 1965年 引用 vogue.co.jp
その後の1966年には、今までよりも広い顧客層に向けたプレタポルテライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」を設立。
それまでのイヴ・サンローランのオートクチュールは、一部の上流階級しか楽しむことのできない価格設定でしたが、リヴ・ゴーシュの登場によって、ファッション好きの一般人のクローゼットにも取り入れられることが増えていきました。
注目すべきは、彼がファッション界に与えた大きな影響です。
この最初の数年だけでも、後世に語り継がれるスタイルをいくつも展開していきました。
例えば、のちほど商品の特徴でも触れる「モンドリアンルック」(ミニスカートのワンピースを水平・垂直に分割したようなデザイン。赤、黄、青をそれぞれのスペースに配した、”アート×ファッション”の代表作)、や、「Le Smoking」(女性向けのタキシードスーツ。当時、女性が人前でパンツを履くのは常識外れとされていました)などといったもので、女性の服装に新しい自由さをもたらしていったのです。
モンドリアンルック 引用 vintage-paris.co.jp
Le Smoking 引用 museeyslparis.com
それからもブランドは大躍進を続けます。
1978年には、メイクアップラインの「イヴ・サンローラン・ボーテ」を開業。
ファッションだけでなく、幅広い領域にブランドの名を馳せていきました。
1987年には会社として登録を完了させ、2年後にはファッションブランドとして初めて、パリ証券取引所に上場。
目を見張るスピードでビジネスを広げたイヴ・サンローランは、こうして社会的にも大きな注目を浴びることになったのです。
ブランド買収と大復活劇
彼の活躍は世界中で広く影響を及ぼしていましたが、2002年、パリでのオートクチュールコレクションを最後に、イヴ・サンローランが引退を発表。
それと同時に、オートクチュールも閉業することになりました。
そしてその頃、世界のファッション業界もまた大きく揺れ動いていた時期です。
「ルイヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)」などの“多業種間にまたがる巨大企業”が大きく力を持ち始め、次々と有名なブランドを買収し、傘下に収めていったのです。
その波はイヴ・サンローランにも波及し、「グッチ(GUCCI)」などを所有する世界的な複合大企業である、「ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)」に買収されました。(現在は「KERING」という名称に変更)
買収後はブランド独自の打ち出し力が弱まり、ライセンスビジネスを中心にしていたことでブランドイメージが低下した時期もありましたが、その後のブランドの大々的な復活に携わったのは、デザイナー・エディ・スリマン(Hedi Slimane)の功績が大きいと言われています。
ムッシュ・サンローランとエディ・スリマン 引用 harpersbazaar.com
彼は1997年から「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ・オム」のデザイナーを務め、ブランド買収によって一度はブランドを離れ、ディオールへ転身。
しかし、2012年に再びイヴ・サンローランに戻ってきた、世界的にも有名なファッションデザイナーです。
彼の改革で最も大きかったのは、ブランド名の変更。
今までのブランド名「イヴ・サンローラン(Yves Saint Lauren)」から「サンローラン(SAINT LAURENT)」へと変更したのです。
変更後のロゴ 引用 imn.jp
ほかにも、デザイン拠点の変更や、既存のコレクションの定番ラインナップの見直しなど、抜本的な改革を大胆に進めていきました。
その結果、売上は大きく向上し、低下していたブランドイメージも取り戻すことに成功したのです。
そして現在に至るまで、イヴ・サンローランは“価値の高いラグジュアリーブランド”として、世界中の人々に愛されています。
デザイナーのイヴ・サンローランは病気によって2008年に逝去していますが、彼の抱いていた創造性と革新性は、コレクションを通じて、今もなお影響を与え続けています。
それだけでなく、「ジェンダーの平等性」「国際的な視点」など、様々な領域のテーマを発信していくことでファッションの枠を超えて、多くのクリエイターにインスピレーションを与えているのです。
歴代デザイナー
「イヴ・サンローラン」と言えば、創設者本人もさることながら、才能豊かなデザイナーが消費者を飽きさせない工夫をし続けていることも大きな特徴です。
こちらでは、いままでメゾンを率いてきた5人のデザイナーについて紹介していきます。
アルベール・エルバス(Alber Elbaz)
引用 wwdjapan.com
アルベール・エルバスは、パリ・シックを代表するデザイナーの一人。
モロッコで生まれ、イスラエルで育った彼は、その温かな人柄も手伝って、多くの人を魅了していた伝説のデザイナーです。
彼のファッションキャリアの始まりは、ブライダルの企業での勤務を経て、アメリカブランドである「ジェフリー・ビーン(GEOFFTEY BEENE)社」に入社したところから始まります。
そこで約7年間、ファッションのディレクションの基礎を学びました。
その後、フランスのモード界の黄金期を築いた「ギ ラロッシュ(GUY LAROCHE)」に活躍の場所を移し、以降イヴ・サンローランと共に仕事を進めていくことになります。
彼がブランドのディレクターを任されたのは、1998年から1999年。
主にウィメンズのファッションディレクターとして3シーズン活躍し、彼の提案するスタイルは”遊び心のある大人のエレガンス”として絶大に評価されました。
99AWコレクションより 引用 firstview.com
しかしその後、ブランドの買収合戦に巻き込まれ、巨大企業の傘下に入ると、担当デザイナーから解雇されてしまいます。
約2年弱というわずかな期間でイヴ・サンローランを離れた後、彼は2001年にはフランスのファッションブランドの「ランバン(LANVIN)」のデザイナーに起用され、今度はランバンでのブランドの大復活劇を起こします。
洗練されたエレガントなスタイルが特徴なランバンに、リュクス感とアメリカ風のシックスタイルを加えた彼独自のスタイルは、マスコミや世界中の女性たちからたちまち喝采を浴びることになりました。
このように、様々なブランドで歴史を守りながら新たな風を送り続けてきたアルベール・エルバスは、2021年に59歳で惜しまれながら逝去しました。
トム・フォード(Tom Ford)
引用 vogue.co.jp
トム・フォードは、アメリカのテキサス州出身。
映画監督としても活躍する一面もある、バイタリティ豊かなファッションデザイナーです。
多彩な彼は、10代の頃は持ち前の美貌でモデルとして活躍していました。
ニューメキシコの高校を卒業した後、ニューヨーク大学に入学し、美術史を専攻します。
その後自身の強い関心のあったファッションに転向し、「マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)」も卒業した「パーソンズ・スクール・オブ・デザイン(Parsons School of Design)」でデザインの基礎を学び、卒業後はデザイナーとしてキャリアを積んでいきます。
「キャシー・ハードウィック(Cathy Hardwick)」でブランドのディレクションの経験を積み、その後は徹底したナチュラル志向の「ペリー・エリス(Perry Ellis)」でコレクションを発表していきます。
1990年には、活躍の場をニューヨークからミラノに移し、言わずと知れた「グッチ(GUCCI)」のレディス部門のデザインを担当し、4年後にはクリエイティブ・ディレクターまで昇進。
当時創業一族の内紛によって破産寸前だったグッチを、都会的でセクシーなブランドへと昇華させた逸話もあり、彼の存在感は増すばかりでした。
その後、グッチの母体会社がイヴ・サンローランを買収し、グッチだけでなく、イヴ・サンローランのディレクターを兼務することとなり、彼は“セクシーな女性像”という新しいテーマをイヴ・サンローランに持ちこむことで、ブランドを大いに盛り上げました。
2002AWコレクションより 引用 firstview.com
サンローランでは2001年春夏コレクションでの発表を皮切りに、順調に2ブランドのコレクションを展開していきましたが、ディレクター就任から3年後、グッチの母体会社を「ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)」が買収したことで、兼任していた2ブランドのディレクターを辞任することを余儀なくされました。
2004年にグッチのグループ会社から離れた後、自身のブランド「トム・フォード」を立ち上げます。
クラシカルなスタイルに控えめな色調を取り入れた彼のスタイルは、世界中で人気を集めました。
彼の発信するエレガントでモダンなスタイルによって、ブランドはあっという間に最先端の一流ラグジュアリーブランドの仲間入りを果たしたのです。
ステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)
引用 wwdjapan.com
パリと並ぶファッション都市である、ミラノ出身のイタリア人デザイナー。
もともとは測量士を志していた彼は、目の前のミラノの都市が“ファッション”で大いににぎわっていくのを目の当たりにし、ファッションの世界に身を投じることを決意。
はじめはメンズスーツで有名なイタリアブランド「セルッティ(Cerruti)」のインターンに加わり、そのキャリアをスタートさせました。
そのあと「ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani)」のメンズアパレルのアシスタントに採用され、3年後には「プラダ(Prada)」のファブリック(生地・素材)調査担当者に就任。
この経験を通して、彼は素材についての豊富な知識と経験を得ることになります。
その後、「ミュウミュウ(MiuMiu)」のアシスタントデザイナーに昇格し、プラダ創業者の孫で世界的なデザイナーの「ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)」直々の部下となり、主要スタッフとして勤務することになりました。
そして2000年には、イヴ・サンローランのレディス・プレタポルテ担当として、当時のディレクターであったトム・フォードのアシスタントとしてチームに加わることになります。
そのわずか2年後の2002年には、全ラインを担当するデザイン・ディレクターにも任命。
2004年にトム・フォードがブランドを離れる時に、当時彼の右腕だったステファノ・ピラーティが後任を務めることになったのです。
2007SSコレクションより 引用 firstview.com
グッチグループに買収された当時のイヴ・サンローランは戦略が成功せず、営業損失が大きく膨らんでいました。
しかし彼がディレクターに就任して経営戦略を練り直し、ブランドのビジネスは復活。
大きな営業利益を出すところまで成長させました。
ビジネスを大きく復活させた彼ですが、実はブランド内で冷遇されていたという話もあります。
というのも、創業デザイナーのムッシュ・サンローランが2005年、彼のデザインについて「いいものもあるが、あまりよくないものもある」とインタビューで答え、彼のデザインをあまり気に入っていないのではないかと推測が飛び交いました。
結果的に、ビジネスで大きな成果を上げながらも、2012年、彼はブランドを去ることになります。
後任は、以前同ブランドのメンズ部門でデザイナーを務めていたエディ・スリマンでした。
エディ・スリマン(Hedi Slimane)
引用 vogue.co.jp
世界的なファッションデザイナーとして知られるエディ・スリマンは、1968年にフランス・パリで生まれました。
彼の母が洋服の仕立てを仕事にしていたため、彼は早くから洋服に興味を持つようになりました。
11歳頃には写真にも興味を抱き、独学で世界を広げていきます。
それからファッションへの関心が高まり、16歳頃には自身で洋服を作り始めていたそうです。
そんな彼ですが、選んだ進路はフランス屈指の名門校である「パリ政治学院」。
そこは、卒業生には各国首脳や国際機関のトップに立つような人物が名を連ねる、いわゆる超難関校でした。
パリ政治学院卒業後は、ルーブル美術館の一角に位置する教育機関、「エコール・デュ・ルーブル(ルーブル美術学院)」に入学し、美術史を専攻します。
このように、彼はエリート中のエリートが集まる教育機関に入学し、高度な政治や美術、歴史などについて学んでいたのです。
そして、肝心の”ファッション”については、自身で時間を見つけながら、独学で培ったのでした。
持ち前の高い学習能力を用いてファッションの知識を身につけたあと、彼はファッションブランドでの下積みを経験し、成長した彼の才能は多くのブランドから注目されることになるのです。
彼の転機は、イヴ・サンローラン(リヴ・ゴーシュ)のメンズラインのディレクターに指名された1997年。
彼がデザイナーを任されたのは、それから3年間、2000年までです。
2000SSコレクションより 引用 firstview.com
その期間、彼はメンズのジーンズラインなども手掛けながら大きな功績を残し、その才能を世界に知らしめることになりました。
2000年にイヴ・サンローランを離れた後、2001〜2007年の間、「クリスチャン・ディオール」が新たに提案するメンズラインの「ディオール・オム(Dior Homme)」の初代ディレクターとして大抜擢されます。
低迷していたメンズファッション業界で、彼は素晴らしいコレクションを展開し続け、ディオール・オムはあっという間にカルト的人気を誇るようになりました。
その後、しばらくファッション業界から姿を消していた彼は、2012年にイヴ・サンローランに戻ってきます。
以前はメンズのみを担当していましたが、今回はメンズ・レディスどちらも展開するクリエイティブディレクターとしての就任でした。
2016AWコレクションより 引用 fashion-press.net
そこで彼は大きな改革を行います。
ブランド名を「イヴ・サンローラン」から「サンローラン」に変えたり、代表的なロゴマーク「YSL」を「SAINT LAURENT」に変更していきました。
外側だけではなく、広告デザインやストアデザインも一新することで、今までよりも高級感のある印象を確立していくことになったのです。
彼の改革と世界中を魅了するコレクションの展開は、2016年まで続きました。
それからまたブランドを離れ、2018年から現在までは「セリーヌ(CELINE)」のディレクターに就任しています。
アンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)
引用 vogue.es
エディ・スリマンが再びサンローランに戻り、2012年から2016年までクリエイティブディレクターを務めたのちに抜擢されたのが、現在までクリエイティブディレクターを務めているアンソニー・ヴァカレロです。
1982年、ベルギーのブリュッセルでイタリア人の両親の間に生まれたアンソニー。
大学では法学部に所属し、一時は法曹を目指していたそうですが、自分が本当にやりたい事に向き合った結果、ファッションの道に進むことに。
ファッションスクールに進学ののち、2006年、イエール国際モードフェスティバルにて大賞を受賞したことでファッションデザイナーとしてのキャリアのスタートを本格的に進めることになります。
受賞後、カールラガーフェルド率いるフェンディへ入社。
そこではファー部門で働いていたそうです。
その後、フェンディから独立した彼は、2008年に自身のブランド「Anthony Vaccarello」を立ち上げます。
黒を基調とし、ウィメンズを中心にエッジの効いた世界観を表現した同ブランドは、ファッション好きに支持されていましたが、2015年秋冬シーズンを最後にコレクションの発表を停止しています。
自身のブランドを停止した2015年、ヴェルサス ヴェルサーチェ(ヴェルサーチェのセカンドライン)のクリエイティブディレクターに抜擢された彼は、このブランドにおいても独特のエッジの効いたデザインを展開していました。
2016年、ヴェルサーチェを退社したアンソニーは、エディ・スリマンの後任としてサンローランのクリエイティブディレクターに就任。
弱冠34歳での就任、しかも大人気だったエディの後任ということで、かなりの大きなプレッシャーがある中、2017年春夏コレクションでデビューしました。
2018AWコレクションより 引用 fashion-press.net
エディの作り上げたロックな世界観から一転、サンローランの伝統的な表現にリスペクトを捧げつつも新しい色気のあるコレクションを展開。
一躍注目のデザイナーとして名を上げたのでした。
彼のディレクター就任によって20%以上の売り上げ増加を実現した等とも言われ、現在もサンローランのクリエイティブディレクターとして第一線で活躍しています。
イヴ・サンローランの名作
イヴ・サンローランの人気の秘訣は、なんといってもそのデザイン性の高さにあります。
優雅で繊細、そして革新的なデザインは、ブランド創業当初から世間の脚光を浴び、創業デザイナーのイヴ・サンローランは「モードの帝王」と呼ばれるようになりました。
そして、そのデザイン性の高さは“世界的な有名デザイナーを次々に雇用する”ことにも起因しています。
2016年にエディ・スリマンがディレクターを辞したあと、現在は「アンソニー・ヴァカレロ(ANTHONY VACCARELLO)」がクリエイティブディレクターを務めていますが、ブランドの伝統と革新を融合させたコレクションは、今もなおファッション業界で大きな成功を収め続けています。
そして、そのコレクションの商品にも特徴があります。
展開アイテムは、どれもモードでクラシカル、高級感あふれるアイテムがずらり。
流行の最先端、流行の先取り…というよりは、トレンドに左右されないものが多く、メンズ・レディスともに黒を基調にしたコレクションが多いことも特徴です。
中でもアパレルコレクションでは、トレンドである“ビッグシルエット”をどのブランドも取り入れていますが、イヴ・サンローランはスリムなシルエットへのこだわりが強く、スタイルを変えることなくすっきりとしたスキニーなシルエットのアイテムを提案し続けています。
今回は、それぞれの領域の名作についてご紹介していきます。
レディース
モンドリアンルック 引用 fashion-press.net
長い歴史の中で、イヴ・サンローランの名作と言えば「モンドリアンルック」「シースルー」「女性のスーツ」が挙げられます。
“モンドリアンルック”は、オランダの画家「ピート・モンドリアン(Piet Mondrian)」の作品から着想を得てデザインされたミニドレスのこと。
ビビッドなカラー使いと大胆な配色方法が話題を呼び、アート×ファッションの先駆けとして指示されました。
シースルー 引用 vogue.co.jp
“シースルー”は、今もトレンドとして挙げられる”肌が透けて見える洋服のデザイン”のこと。
今でこそ様々なブランドからシースルーのアイテムが展開されていますが、実は初めて提案したのはイヴ・サンローランです。下品ではない性的魅力と華やかさを、”男女平等”というテーマのもとに提案したのが始まりでした。
女性のためのスモーキングスーツ「ル・スモーキング」 引用 fashion-press.net
最後に“女性のスーツ”。
これは、女性のパンツスタイルと言えばカジュアルなものしかなかった時代に、いわゆる男性の着るようなカッチリとした印象のパンツスーツを提案したものです。
モードでエレガント、そして女性の強さを訴えるパンタロンスタイルは、女性たちから絶大な支持を得ました。
メンズ
2014SSコレクションより ライダースジャケット 引用 pen-online.jp
イヴ・サンローランのアパレル全体の中でも最も有名なのが、「メンズのライダースジャケット」。
ライダースジャケットと言うと、アメリカ映画などで大型バイクにまたがったサングラスの男性…そんな無骨なイメージがあるかもしれません。
実際にバイクに乗る人が着用する、分厚い革で作られたジャケットなのですが、そんな実用性を重視したライダースジャケットをラグジュアリーに昇華させたのが、イヴ・サンローランです。
柔らかなラムスキン、スリムで体のシルエットがわかるようなサイジング…ジャケット代わりに羽織ることができるライダースジャケットは、世界中のセレブリティがこぞって着用する人気アイテムになりました。
ほかにも、エディ・スリマンの提案した非常に細いシルエットの「スキニーデニム」、同じくエディ・スリマン時代の細身のスタジャンである「テディジャケット」、「ハーネスブーツ」など、ロックなテイストとカジュアル感のあるアイテムが多く提案され、トレンドに左右されることなく愛され続けています。
テディジャケット 引用 ysl.com
ハーネスブーツ 引用 cettire.com
小物系
アパレルブランドとして名を馳せたイヴ・サンローランですが、バッグやシューズ、アクセサリーなどの雑貨も多数発売していて、こちらも高い人気を誇ります。
バッグでは、もっとも有名なレディースバッグである「カバス(CABAS)」、上品でクラシカルな雰囲気のフラップ式の「カサンドラ」、ベルトのデザインが特徴的な「サック ド ジュール」など、ロゴが前面に主張しているものから、モノグラムなども使用せずコンパクトでミニマムなデザインのものまで、人気の鞄がバリエーション豊富に提案されています。
カバス 引用 magaseek.com
カサンドラ 引用 ysl.com
サック ド ジュール 引用 ysl.com
財布では、一目見ただけでわかる高級感が特徴の「モノグラム・サンローラン フルジップウォレット」、流行のミニウォレットからは「モノグラム コンパクト スリーフォールド ウォレット」などが定番的に人気のある商品です。
モノグラム・サンローラン フルジップウォレット 引用 ysl.com
そして、肌なじみの良いグレインレザーや、高級感漂うクロコ型の型押しレザーなど、好みに合った革を選ぶのも楽しみの一つ。
また、アパレル同様にブラックが人気ですが、豊富なカラーバリエーションから、自分にぴったりのものを探していくのもおすすめです。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
長い歴史を持つイヴ・サンローラン。
今の華々しい「憧れのブランド」の顔の裏には、ブランドが歩んできた道のりと、歴代デザイナーたちの努力があることが分かりました。
KLDでもイヴ・サンローラン(サンローラン)のお買取を強化しています。
インポートブランド、ラグジュアリーブランドの査定を得意とするスタッフの在籍により、高い精度での強気のお値付けが可能です。
宅配買取というと、
「時間かかるんじゃないの?」「面倒臭そう…」「配送料の分、買取金額を安くされそう…」
という不安をお持ちの方も多いのではないでしょうか?
実はそんなことも無いんです。
KLDでは、取り扱いブランドをある程度絞ることにより、高い水準のお買取金額を維持。
もちろん送料、キャンセル料なども無料です!
LINE査定も出来ますので、もし気になるアイテムがございましたらお気軽にお声かけ下さい!
\ご登録はこちらからどうぞ/
ありがとうございました!
KLDの販売ページはこちら
こちらのページでKLDの商品を販売しています。
関連記事
こちらの記事もぜひご覧ください!