mont-bellの歴史について|モンベル

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引用arashimanosato.com

こんにちは。ブランド古着のKLDです。

大阪に本社を構え、国内のみならず世界にも店舗を構える日本のアウトドアブランド、「mont-bell(モンベル)」。

今や多くのユーザーが愛用しているモンベルですが、ここまでブランドが広く認知されるまでは数々の経験や挑戦を乗り越えてきました。

今回は、

  • mont-bellとは
  • mont-bellの歴史

という形でお話していきます。

モンベルの歴史を知ることで、他のアウトドアブランドにないモンベルの魅力をより深く理解できると思います。

mont-bellとは


引用instagram@montbell_official


引用instagram@montbell_official


初期のモンベルロゴ 引用bepal.net

mont-bell(モンベル)は、「Function is Beauty」と「Light & Fast」というコンセプトのもと商品開発を行っている、日本のアウトドアブランドです。


創業者の辰野さん 引用forbesjapan.com

創業者は、辰野勇さん。

過去には、21歳(当時の世界最年少記録)で「アイガー北壁」の登攀を達成したり、総合商社の繊維部門に勤めていたりなど、モンベルの発展には欠かせない豊富な経験や知識を持つ人物です。

そんな辰野さんが築き上げたモンベルは、比較的リーズナブルな価格帯で、多種多様な衣料品やアウトドアギアを展開し、多くのユーザーから支持されています。

mont-bellの歴史

今や日本のアウトドアブランドの代表的地位を確立しているモンベル。

モンベルがここまで支持されるブランドに成長したのには、創業者である辰野勇さんの存在が大きく関わっています。

ここからは、そんな辰野さんのエピソードを交えながら、モンベルが辿ってきた歴史をお話します。

1975年に資本金ゼロでモンベルを設立

1975年、辰野勇さんは28歳の誕生日を迎えた7月31日に、勤めていた総合商社繊維部門を退職。


モンベルを立ち上げた雑居ビル 引用bepal.net

その翌日、大阪府西区立売堀の雑居ビル一室にオフィスを構え、たった一人でモンベルを起業しました。

会社の資本金は200万円と決めていた辰野さんですが、当時は十分な貯金がなく、法務局に提出する残高証明書のために母親から200万円を借りて、会社設立登記を行ったそう。
そして手続き完了後、銀行から200万円を引き出し母親に返金。

実質、資本金ゼロからのスタートでした。


(一番右)真崎さん、(一番左)増尾さん 引用bepal.net

会社を起こして1か月後には、辰野さんの山仲間である真崎文明さんと増尾幸子さんが社員として加わります。

そして今後加わるであろう仲間のことを考え、「家業ではなく、組織として企業を起こす」という結論を出した辰野さんは、会社の規模を拡大していくことを心に決め、モンベルの一歩を踏み出しました。

モンベルの最初の商品はスーパーのショッピングバッグ

2人の山仲間と十分な意気込みとともにスタートしたモンベルですが、創業当初はなかなか注文が入らず、そう順調には進まなかったそう。

そこで辰野さんは、商社時代の元同僚から持ち掛けられた、スーパーのショッピングバッグの製造を受け持つことに。

モンベルの記念すべき最初の商品は、登山とは無縁のショッピングバッグでしたが、時代のニーズとマッチしていたのか、予想を超える好調な売れ行きを見せました。

さらに、モンベルの初年度売り上げ1億6000万円の大部分を担う結果となるまで売り上げを伸ばし、創業1年目は黒字を記録したのです。

画期的な「寝袋」を開発し、ブランドの独自性を高める

創業1年目、ショッピングバッグ製造に手を尽くしていた一方で、モンベルは登山用具の商品開発にも力を注いでいました。

モンベルが最初に手掛けた登山用具は「寝袋」です。

辰野さんは布団工場で寝袋のサンプルを作ってもらい、数々の問屋や小売店に売り回りましたが、当時まだ無名であったモンベルの商品を取り扱ってくれるところは少なかったそう。

寝袋のほかにもザックやスパッツなども作っていましたが、他ブランドのものと差別化するのが難しく、大きな売り上げを作ることができませんでした。


インビスタ社のダクロン・ホロフィルを詰め込んだ布団 引用santas.co

そんな中、辰野さんは商社時代の先輩から、大手繊維会社「デュポン(現インビスタ)」が当時新しく開発した「ダクロン・ホロフィルⅡ」という素材を紹介されます。

ダクロン・ホロフィルⅡは、中空のポリエステル繊維で、保温性が高く手触りがしなやか、おまけにコンパクトにもなる素材。
寝袋の中綿としては画期的な素材だったのです。

商社時代にデュポンの担当者と面識があった辰野さんは、「『ダクロン・ホロフィルⅡ』を、ぜひうちで扱わせてほしい」とコンタクトをとり、ダクロン・ホロフィルⅡの原綿をアメリカから取り寄せることを可能に。


ダクロン・ホロフィルⅡを用いた初代寝袋 引用hyakkei.me

辰野さんは布団工場で試行錯誤をし、軽量でコンパクト、しかも暖かく肌触りの良い寝袋を開発しました。

デュポンの素材で作った寝袋は、多くの登山者から「こんな寝袋がほしかった」という歓迎の声を集めました。

そして、モンベルは「寝袋」の成功を皮切りに次々と商品を開発。


1976年に発売した「ハイパロン・レインギア」引用bepal.net


1978年に発売した日本初のフリース「オーロンフリース」引用bepal.net

デュポンの「ハイパロン」という素材をコーティング剤としたレインウェアや、デュポンの乾式アクリル素材「オーロン」を国内で初めて起毛ニットで編み上げた「オーロンフリース」など、他ブランドと差別化したモンベルならではの商品を生み出しました。

そんなモンベルのもの作りに対する熱意とチャレンジ精神はデュポンにも伝わり、なんと幸運なことに、デュポンの高機能素材を日本市場において、モンベルに独占権を与えてくれたのです。

デュポンとの独占権はその後10年間も続き、モンベルは競合他社からリードすることができました。

創業3年目で海外市場に挑戦

デュポンとの良好な関係を結ぶこととなり、日々商品開発に励んでいたモンベルですが、国内市場はまだまだ開拓できていない状況にありました。

1977年、創業3年目でビジネスの基盤も固まっておらず、国内ですら認知度が低いという時期でありましたが、モンベルは海外市場へ進出することに。

まず、アルピニズム(近代登山思想)を生んだヨーロッパの市場で認められたいと考えた辰野さんは、西ドイツに乗り込みます。


spoga+gafa2024より引用spogagafa.com

到着後、タイミング良く、ケルンで国際的なアウトドア用品の展示会「SPOGA(現spoga+gafa)」が開催されていました。

ヨーロッパ市場の予備知識など何もない辰野さんでしたが、とにかくぶつかってみようという意気込みだけを持ち、SPOGAへ。

しかしそこに出店していたのは、商品を売る側の立場、言わば自分たちと同じメーカーばかりであったため、そこに売り込むのは筋違いだと思い、退散することに。


ドイツ出張中、営業の合間に町を散策する辰野さん(当時30歳)引用bepal.net

ケルンで何の成果も得られなかった辰野さんは、その足でミュンヘンに向かいました。

ミュンヘンにあるヨーロッパ最大の老舗登山用品店「スポーツ・シュースター」に、飛び込みセールスをするつもりだったのです。


スポーツ・シュースター 引用bepal.net

「日本から来ました。私の作った寝袋を見てください。」と、つたないドイツ語でスポーツ・シュースターの仕入れ責任者に営業を始めた辰野さんでしたが、最初はなかなか受け入れてくれなかったそうです。

しかし、「私はクライマーで 1969年にアイガー北壁を登りました。」と話した途端、雰囲気が一変。

実はスポーツ・シュースターの仕入れ責任者は、ケレンスペーガーさんという、伝説の登山家、ヘルマン・ブールとともに過去にヒマラヤのナンガ・パルバット登山隊に参加したというアルピニストだったのです。

そのため、「アイガー北壁を登った」という辰野さんの実績が肩書として尊重され、話を聞いてくれるようになったのです。

ただ、その場での注文はなく商談は終了。

しかし帰国して約4ヶ月後の12月24日、スポーツ・シュースターから寝袋100個、オーバーミトンと防寒衣料などが少々、という注文書が届きました。

そうして、モンベルの海外輸出がスタート。

その後も海外ビジネスにおける試行錯誤を続けていた頃、1982年の冬に暖冬の影響で冬物の衣料品が大量に売れ残るという事態が起こりました。

過剰に売れ残った在庫は処分したい、でも異常に値下げをして売りさばきたくない…そう悩んでいた時、ふと自宅で地図を眺めていた辰野さんは、「南半球ではこれから冬が始まる。オーストラリアやニュージーランドで冬物が売れるかもしれない。」ということに気が付きます。

早速、商品サンプルをバッグに詰め込みニュージーランドへ。

辰野さんは到着後すぐ、アポイントを取った登山用品店に行き営業を行いました。
ただ、どの店でも商品を絶賛してくれたのに、注文には結びつかなかったそう。

というのも、当時ニュージーランドでの繊維製品の輸入条件が厳しく、輸出はほぼ不可能という状況だったのです。

ニュージーランドを諦めオーストラリアへ行っても、輸入条件は厳しく、ほとんどの店で断られました。
そんな中、最後に飛び込んだアウトドアチェーン店で、わずかな注文をもらえることに。

結果的に売れ残った冬物の衣料品は翌年まで持ち越すことになりましたが、それ以上に、モンベル商品が海外で受け入れられた時の喜びと自信を得ることができました。

また、創業3年目というタイミングで海外市場に挑戦したことで、日本市場での総合力の強化へと繋げることができたのです。

パタゴニアとのライセンスビジネスを始動させる

1980年、モンベルの海外進出で縁ができた登山用品店「スポーツ・シュースター」の店舗拡張パーティーに、取引先の一人として招かれた辰野さん。


パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナード氏 引用gqjapan.jp

そこでモンベルの未来に大きく関わる人物、パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナード氏と出会います。

国は違うが共通点の多い2人は、クライミングや仕事についての会話を通じ、互いの考え方や人生哲学に共感し合いました。
そして、意外にもシュイナード氏から「パタゴニアの日本でのビジネスは終了しているから、興味があったら引き受けてくれないか?」と誘いの一言が。

その頃のモンベルは、ブランドとしてまだまだ成長段階であり、他ブランドを取り扱うことなど考える余地もない状況でした。
しかし辰野さんは、彼の人生観やもの作りに対する価値観に惹かれ、シュイナード氏の誘いを受けることに。


引用bepal.net

その後1ヶ月ほどして、辰野さんは商談のためシュイナード氏のいるロサンゼルスへ。
そして、ベンチュラのパタゴニアオフィスにて商談が成立しました。

1984年、モンベルとパタゴニアの本格的なライセンスビジネスが始動。

モンベルはパタゴニアにハイパロンの雨具素材を供給し、パタゴニアはその素材を「シールコート」と名付けたレインウェアに使用しました。
ほかにも「コアスパン」などの機能素材を供給。

また、デザイン面でも「アルパインカフ」や「ドロップシート」などの特殊な縫製仕様上のアイデアを提供し、パタゴニアの商品開発に協力しました。

一方で、日本国内におけるパタゴニア商品の販売をモンベルが引き受け、輸入販売事業も開始。

ただ、カリフォルニアの乾燥気候をベースにデザインされたパタゴニア商品はなかなか売れず、苦戦したそうです。

しかし、アメリカのライフスタイル衣料として支持するユーザーが徐々に増加したため、パタゴニア商品の売れ行きも良くなっていきました。


80年代のパタゴニアのシンチラジャケット 引用newjoke.shop-pro.jp

中でも、1985年に発売された「シンチラ」(両面起毛の生地、いわゆるフリース)のジャケットは、日本市場でも受け入れられ大人気商品となりました。

取引を開始して3年後の1987年には、パタゴニア商品の売り上げが、モンベルの総売り上げの4分の1を占めるまでに増大。

しかしパタゴニアの良好な売れ行きの裏で、辰野さんは釈然としない葛藤を感じるように。

なぜなら、辰野さんが目指していたのは「モンベル」というブランドを築き上げること。
4分の1を占める売り上げを作るパタゴニアのビジネスに空しさを感じていたのです。

さらにそういった心情だけでなく、パタゴニアの経営権がいつ他社の手に移るか分からないというリスクも懸念していました。

1987年、「今、パタゴニアと決別しなければ、モンベルの未来は危うい」と確信した辰野さんは、パタゴニアとのライセンスビジネスを終わらせることを決断。

ブランドを確立させるため直営店をオープン

モンベルに注力するため、パタゴニアとの契約解除を決断した辰野さん。

「パタゴニアの日本での販売は自分たちでやってくれないか?」と、商品開発のために来日していたパタゴニアの副社長(当時)であるクリス・マックデイビッド氏に、辰野さんは自身の思いを伝えました。
突然の申し出に驚きながらも、辰野さんの思いを理解してくれたクリス氏。

双方、何の遺恨もない「さわやかな別れ」で、モンベルはパタゴニアとのライセンスビジネスに幕を閉じました。

そして辰野さんは、他ブランドに依存したり他社の下請けを担ったりするのではなく、モンベルブランドに全力を注ぐことを決意。

もともとモンベルは、商品を問屋や小売店に販売するB to Bビジネスを行ってきました。

しかし量販店などは、売れるもの、もしくは売れそうなものをセレクトして取り扱うため、モンベルがどれだけ良い商品を作っても、その店で売れそうでなければそもそも取り扱いすらしてくれません。

辰野さんはそんなビジネスから脱却し、一人でも多くのユーザーにすべてのモンベル商品を直接手にとれる場所を作りたい、とずっと考えていたそう。

そんな中1990年代のはじめ、当時大阪駅構内に新しくできるショッピングモール「ギャレ大阪(現エキマルシェ大阪)」から直営店の出店依頼がありました。

自然をテーマにしていた「ギャレ大阪」側が、モンベルが商標登録しているキャッチフレーズ「Bring Comfort Warmness to The Great Outdoors」の「The Great Outdoors」というフレーズを、モールのコンセプトに使用したいという依頼と同時に出店依頼もしたのです。


モンベル創業者・辰野勇さんの著書「モンベル7つの決断」より引用

そして1991年、モンベル初の直営第1号店がオープンしました。

店舗面積わずか32坪の小さな店でしたが、大阪駅構内という立地だけに賃料は高額。
当時まだ弱小零細で、小売業としての実績もなく収益の確証もない、そのうえモールには有名アウトドアブランドやモンベル最大の取引先ブランドも並んでいるという、勝算不明の状況でした。

しかしこの決断は、「モンベル」というブランドを確立させるための大きな一歩であったのです。

アウトドアを通じて行う様々な活動や取り組み

直営店オープンで、ブランドとして確立性を高めるようになったモンベルは、ある出来事をきっかけに多くの活動や取り組みを行うようになります。


地震発生当時の神戸市東灘区 引用asahi.com

1995年1月17日、最大震度7を記録した阪神淡路大震災が発生。

当時大阪の自宅にいた辰野さんは、大きな災害を受けた神戸の友人から「ブルーシートがほしい」と助けの電話を受けました。
辰野さんは出来る限りの水と食料、そしてブルーシートをピックアップトラックに積み込み神戸へ。

友人の家に着き品物を手渡した後の帰路、路上で家を失った多くの人たちが、瓦礫を燃やして暖をとっている姿を目の当たりにした辰野さん。

その時、生き残った人々に寝袋を使ってもらおうと考えました。
また同時に、会社の業務を一時中断してでも、災害の被災者に支援をしようと決断しました。

早速辰野さんは、会社の経営に支障をきたさない2週間という期限を決め、会社全体での支援活動を開始。


被災者が集まる公園や空き地にはモンベルのテントが並んだ 引用bepal.net

被災地には、モンベルのテント500帳や寝袋2000個などのアウトドア用品を配って回りました。

しかしモンベルだけの支援では、人数や日数に限りがあると判断した辰野さんは、アウトドアに関わる団体や個人に連絡をして、支援活動をできる人や支援物資を集めることを実行。


現在も積極的に活動しているアウトドア義援隊 引用montbell.jp

そして、その活動名を「アウトドア義援隊」と名付けました。

阪神淡路大震災での支援活動は、多くの被災者の助けになったと同時に、アウトドア用品がいかに災害時に役立つかを実感できたことでもありました。

そしてモンベルはその体験を活かし、以下のような支援活動にも尽力するように。

  • 障害者施設や障害者個人の活動支援
  • 環境保護活動
  • 緑化活動への支援
  • 子どもの野外体験や環境学習のサポート

など

こうしたいわゆるCSR活動に力を入れているモンベルですが、会社的には特段熱心に意識しているわけではないそうです。

支援を必要としている人がいて、モンベルが手助けをできる立場にある、その状況や縁を活かして活動しているのです。

そして現在も、モンベルはアウトドア用品の可能性を様々な活動に役立てています。

ここまで読んでくださった方へ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

1975年に誕生したモンベルは、様々な経験や活動、また苦戦や喜びなどを経て、日本を代表するアウトドアブランドへと成長しました。

最初は創業者・辰野さんと2人の山仲間の3人だったモンベルも、今や全国に多くの店舗を構えるほど大きくなり、数多くのユーザーから愛されています。

今後も、これまで培ってきたモンベルらしい魅力を発揮していくとともに、アウトドアを通して更なる進化を遂げていくでしょう。

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